第19話 子供の家出に深い理由はいらない
里崎優枝の将来の夢はアニメーターらしい。
そういった界隈に詳しくない夜斗が「アニメーター? 漫画家とかイラストレーターとは違うのか?」と聞くと、違うとはっきりと言われた。
絵を描くのが好きだが、別にイラストレーターになりたいわけではないらしい。
あくまでアニメの作画に関わる仕事がしたいのだとか。
ただ、アニメーターという職業の良い噂はあまり聞かない。
過酷な労働環境と、人材不足。優枝が目指す道はいばらの道だ。
そんな道に進もうとする娘を、頑固な市長の父親が許すはずもなく。
──そんな仕事、これからはAIがやってくれる。
お前がやる必要はない。無駄な時間を使うな。そんな暇があるなら人の役になれる仕事をしろ。
優枝からこの話を聞いてから夜斗もアニメーターについて聞いたが、確かに良い部分を見つける方が難しかった。
実際にその場におらず、父親がその時にどんな表情をしてどんな声量で言ったのかはわからないが、娘を心配しての言葉だったことは少なからず理解できた。
言い方は、お世辞にも良い父親とは思えないが……。
高圧的に聞こえる言い方をされた優枝は、当然のように反抗した。
「中学生のときにお父さん、学校に行っている間に私のタブレットとペンシルを処分しようとしたの。だからこの家にいたらアニメーターになれないと思って、それで家出したのよ」
と、行き過ぎた反抗期が顔を出して優枝は高校入学目前で家出をした。
夜斗には将来の夢なんてないから、優枝のようにここまで意地になる理由が理解できなかった。
それでも、やりたいことを否定されて、誰かに決められるのは想像しただけでも気分がいいものではなかった。
それから彼女は、ネットカフェやカプセルホテルを転々としていた。
ただ中学から高校に進学したばかりの少女が、そんな生活を何か月もできるわけなかった。
お年玉貯金は底を尽き、これからどうしようか──もう意地を張らず帰ろうか。そう考えていた。
そんな時に、優枝は夜斗と出会った。
「まあ、最初はこんな長い間、家出すると思ってなかったけど」
「俺も。まさかこんなに居座られるとは思ってなかった」
「やっぱり、迷惑……?」
不安そうな表情で聞かれて、迷惑だ、なんて思っていたとしても言えない。
「別に。生活費は二倍かかるが、飯とか作らなくて楽だから問題ない」
「そう」
「まあ、お前の好きにしろ」
最初にした約束通り、高校を卒業するまで優枝が夜斗の家に泊まり続けていたとしても状況が好転するとは思わない。
優枝としてはおそらく、高校を卒業して、アニメーターとして食っていけるようになったら家に帰ろうと思っているのだろう。
もしくは父親が根負けして優枝の将来を認めてくれるのを待っているか。
ただ、父親が根負けするというのはまず無いだろう。
なにせ娘が家出してから数か月経っているのに何もアクションをしてこない父親だ。
それに母親と連絡を取り合っているということも学校に通っていることも当然、父親は知っているはずだ。だったら娘が無事だということも分かっている。無事なのであればいい、いつか娘が根負けするのを父親も待っているのだろう。
なので今は、お互いがどちらかが根負けするのを待っている状況なのだろう。
本来ずっと前に優枝が根負けしているはずだった。
だけどそうならなかった。その理由の一部は、夜斗とのこの生活が意外にも居心地が良いことが影響しているのかもしれない。
「ねえ」
「あ?」
「まだ起きてたのね」
「は? お前が呼んだんだろ」
「そうだけど」
「なんだよ」
体を横に向けると、優枝も同じくこちらを向く。
視線は合わせず、何か言いたそうに黒目がきょろきょろと揺れる。
「久しぶりにするか?」
「……は? 別に、そういうのじゃないけど」
「そうなのか? セックスしたがってる顔してたぞ」
「どういう顔よ、それ……。しかも、明日だって学校あるし」
「そうだな」
抱き寄せ髪を撫でると、優枝は拒むことなく夜斗の胸に顔を埋める。
「そういえば、父親のことじゃないならなんのことで機嫌悪かったんだ?」
「……さあ。わかんない」
「は?」
「自分でも、なんでここまで怒っていたのかわからないの。最初は、その……ムカついていたけど、すぐ元に直るつもりだったから。だけど、気付いたら元に戻るタイミング逃しちゃって」
「なんだそれ」
よくわからないが、今はもう完全に機嫌が直ったということだろう。
だったらこの話はここで終わり。
そう言わんばかりに優枝の体を抱きしめる。
「あっ、ん……。そ、そんなに、したいの?」
「まあな。お前は?」
「……知らない。したいなら、その、すれば?」
「相変わらず誤魔化すの下手だな、お前」
「うるさい。するなら、さっさとすれば」
夜斗を見つめた潤んだ瞳は、言葉とは違い物欲しそうに見えた。
学校では真面目な優等生で誰もが清純派に見ている彼女も、何度も体を求め合っていくうちに性欲が強いのがわかった。
ただ優枝はいつも「あなたがしたいなら、いいけど」と口にする。
自分から求めるのが恥ずかしいのか。それとも、約束があるから従っているという体でいたいのか。
「まあ、どうせやってたらお前の方から欲しがるんだけどな」
図星だったのか、月明りに照らされた優枝は微かに頬を赤くさせながら反論しようとした。
それを止めるように唇を重ねると、優枝は受け入れる。
彼女の手がシーツを滑らせ、夜斗の手を見つけ、互いの指を絡めるように握る。
「なんだよ、やっぱりその気だったんじゃねえか」
「……別に。あなたが、その、乱暴しないように手を抑えているだけだから」
「はいはい」
「もう……あっ、ちょっと、鼻息……首に当たってるんだけど」
優枝は喘ぎ声を漏らしながら、そっと、夜斗の頭を抱きしめるように腕を回す。
「明日さ……。一緒に寝坊して、一緒に遅刻して。それでもし、私たちの関係が誰かに気付かれたら、どうすんの?」
「あ? 別に寝坊しなければいいだけだろ」
「……そうだけど」
優枝は窓を見ながら「もしバレたら、どうなっちゃうんだろ」と、なぜかちょっと楽しみにしているように微笑んだ。
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