第8話 アイドルはお礼をしたい
「その声は天女を魅了し、悪漢が聞けば次の日には聖人へと変わった」
「今日は叙事詩みたいになってるね」
「そして世界が平和になった」
「すっごい壮大な話になっちゃった」
今日も今日とて推し活タイムの時間である。
この時間、ほんとに神である。推しに直接好きだという言葉を届けられる。これ以上の推し活はあるだろうか。……あるけども。具体的に言うとお金関係だが。
いや、今の推しに必要なのはお金ではないんだけどもな。
とにかく今はwin-winの関係なのである。
――と、俺はそう思っていたのだが。
「――ちょっといいかな」
言葉を割り込まれた。さすがに今日はちょっとやりすぎてドン引きさせてしまったかもしれない。
少し不安になり……だけど、その表情を見て疑問が浮かぶ。
じっと見つめてくる表情は真面目でありながら、何か不安そうにも見えた。
そして、彼女は意を決したように口を開いた。ぐいっと顔を近づけてから。
「――私、雪翔くんには感謝してるんだ。本当に」
「……ッ!」
ち、近い。めちゃくちゃ顔が良い。やっば。え、
――じ、じゃなくて。ちゃんと話、聞かないと。
「私ばっかりいっぱい褒めてもらって、す、好きって言ってもらえて……でも、私は雪翔くんに何も返せてなくて」
「な、何を? 色々返してもらってるけど? 俺、楠の笑顔好きだし……」
「そ、そんなの、返せたって言わないよ」
「なんなら楠の笑顔でご飯三杯は食べられるし」
「それはちょっと分からないかな」
俺からするとそれだけで十分というか、なんなら返されすぎな気もするんだけど。
「と、とにかくね! ……お礼、したいんだ。雪翔君に」
「お礼?」
「う、うん。お礼!」
こくこくと頷く楠も可愛いな。写真撮って壁紙にしたい。やらないけども。
「お礼、か」
「そう、お礼。私に出来ることならなんでもするよ!」
「あんまり男の子にそういうこと言わない。特にアイドルが言っちゃダメだ」
ちょっと無防備がすぎる。
あと俺にもそういうこと言わないで欲しい。
凄いお願いしちゃうぞ。
手握ってみたいとか言っちゃうぞ。
「……って言ってもお礼ね」
「何か、して欲しいこととか……聞きたいことでもいいよ。表に出てない話でも」
表に出てない話はすごく魅力的だな。
でも、一ファンとしてそれは良いのだろうかという思いもある。
「雪翔くんなら誰かに話すこともないって分かってるから。聞きたいことがあれば遠慮なく聞いて……なにか、して欲しいことがあるなら。言って欲しいな」
「……スゥーッ」
非常に、非常にまずい。ただでさえ女の子免疫ないのに。最推しにそんなことを言われたらぐらぐらする。手握りたいって言っちゃう。
限界を越えろ俺の理性。
「……俺は、推しの笑顔が見れればそれで満足なんだ。それ以上を望んだらバチが当たる」
頭の中にある言葉を直接言葉にする。
「俺も【Sunlight hope】……もっと言うと、【楠七海】って人物に助けられたからさ」
「……助けられた?」
一つ頷いて、あの時のことを思い出す。言葉にはしない。少しばかり重すぎるから。
「中学の頃色々あって、その時に見つけて。助けられたんだ。だから、今のはその時の恩を勝手に返してるって思って欲しい」
「……そうだったんだ」
俺がそこまで話したくないことを悟ってか、楠が少し下がる。
「分かった」
言葉にもしてくれた。良かった。分かってくれたようで。
「じゃあ、私も勝手にお礼するね」
「うん……え?」
「今、頷いたね?」
にぃ、と。珍しく彼女がイタズラを思いついた子供のように笑う。
「雪翔くんが『勝手に恩を返してる』って言うんだったら、私も勝手にお礼する。……助けて貰ったお礼、したいから」
「え、ちょ、まっ」
「ふふ。珍しいね。雪翔くんが困ってるの」
楽しそうに笑う推し、めちゃくちゃ可愛いなおい。何でも許せるぞこの笑顔。やはり可愛いは正義なのか。
「だから、楽しみにしててね」
「た、楽しみにします」
勢いで頷いちゃったよ。でも推しが楽しそうなので良しとしよう。
……良しとしていいのか?
いいんだよ。推しが嬉しそうにしてるんだから。
推しが泣く姿は見たくないし。嬉し泣きなら見たいけども。
「じゃあもうちょっとだけお願いしてから帰ろうかな」
「あれは世界に名前が付く少し前――」
「ち、ちょっと話が壮大になりすぎてない!? あと切り替え早いね!?」
「要約するとこんな二次創作を作りたくなるくらい大好きです」
ということで、今日も俺は彼女に好きを伝えたのだった。
◆◆◆
休日。俺は変わらずアルバイトで時間を潰していた。
「
品出しをしていると、店長に声を掛けられた。
「なんですか?【Suh】のPOPですか? すんごい力作にしますよ。SNSでバズるくらいのやつ」
「君は本当に【Suh】が好きだね……実際何回かほんとにバズってるし」
「そりゃ推してるので」
アニメショップ……と言うが、商品は様々。アニメにゲーム、声優からアイドル、同人誌から俳優の写真集まである。……まあ、どこのアニメショップも今どきはこんな感じだと思うが。
「はぁ。それがほんとに【Suh】のPOP作りなんだよ、向こうの事務所から直々の依頼だ」
「えっ!?」
これまた驚きである。ほんとにそうなのか。というか【Suh】……【Sunlight hope】の事務所が?
いや、でも確かにあれだな。俺が作ったやつ何回かバズってたし。
『【Suh】に詳しすぎるオタクのPOPがやべえwww』みたいな感じの呟きを始め、『ほんとにやべえオタクのPOPあったwww』みたいに見に行ってみた系の呟きまでバズってた記憶だ。
確かに広告効果にもなるな。
「よし、じゃあ腕によりを掛けて作ります。通路どれくらい塞いで良いですか?」
「塞がない塞がない。歩けない通路はもう通路って呼べないんだよ」
ぐ、さすがにダメか。こっそり【Suh】コーナーの拡張しようと思ってたんだが。
「それじゃあお願いね」
「俺の【愛】を伝えてきます」
「はいはい、頑張ってね」
店長は相変わらずである。さて、まずは【Suh】コーナーの下見しないとな。
以前はどちゃどちゃに可愛い【Suh】の写真(利用許諾に準ずる)を飾って愛を語ったのだが、次はどうしようか。
……あ、もしかしてあれかな。
『近々二人の新曲出します』みたいなこと言ってたな。【Suh】自体は活動休止してないからな。
ちなみに七海ちゃんが休止宣言した時にメンバーが『いつ帰ってきても良いから。七海の居場所はいつまでもあるよ』『帰ってくるまで【Sunlight hope】は私達が守るからね!!』と言っていたのだ。
やべ、泣きそ。泣いて良いかな。バイト中だしダメかな?
さて、そんなこんなで【Suh】のコーナーにやってきた。どうしようか。
にらめっこを始めようとした時。俺は背後から話しかけられた。
「あの」
「はい、いらっしゃいませ。何かお困り……でしょうか?」
そこには一人の女子高校生らしき人が居た。
黒髪を三つ編みのお下げにし、赤い眼鏡を掛けた子だ。先程までマスクをしていたのか、顎にマスクが掛けられている。
そして、めちゃくちゃに美少女……というか。
「楠?」
「……えっ」
思わず声が出ていて、その子は驚いたような声を上げた。
「……ど、どうして分かったの?」
「え、いや……なんでだろう。でも楠は楠だし」
見れば見るほど楠らしくない。あのアイドルオーラもほとんど消えている。肌の感じとかもいつもと違うのは……メイクのやり方とか変えてるのだろうか?
今はアイドルではなく図書委員で密かに人気があるタイプにしか見えない。だけど――楠だ。楠要素全然ないんだけど。なんで分かったんだろう俺。
「ふ、ふーん。そっか」
「えっと。それでどうしたんだ?」
楠もこういうところに来るんだな。だから変装してるのかと納得していると、ちょいちょいと袖を摘ままれた。可愛さで死ぬが?
「き、今日アルバイトが終わるの何時頃?」
「え? 今日は八時だな」
「八時……うん、行けるね。ちょっと耳貸して」
「耳を……貸して?」
え? 最推し生ASMR? 死亡確定した?
いや、でもなんか真面目な話っぽいし。頑張れ俺、耐えろ俺。
そう自分に言い聞かせながら耳を寄せると……
「終わったら、いっしょに私の家行こ」
「アヒュン」
…………どうやら俺の耳は彼女のささやきボイスに耐えられずぶっ壊れたようだ。
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