第49話 まずは一歩先へ

 放課後、いつものように俺は七海と空き教室に居た。



 昨日みたいに『大好きだ』と言えなくなるのが怖かったけど、語ってみると案外大丈夫だった。良かった……俺の存在意義が失われなくて。



 安心していると、七海がじーっとこちらを見つめていることに気づいた。なんか顔に付いてたか? と顔に触れてみるも、何もない。


 そんな俺を見て、彼女はこてんと可愛らしく首を傾げた。



「雪翔くん、もしかして昨日あんまり眠れてない?」

「い、いいいや? ぐっすり眠れましたけど? 昨日の七海との色々を思い出してちょっと寝るのが遅くなったとか、そんなことは全くもってございませんけど?」

「……ふうん?」



 寝不足って言ってもちょっとだけなんだけど。なんでバレた?



「いつもより瞬きの数が多かった気がしてね」

「なんという観察眼」


 眠いのがバレないよう頑張っていたつもりだったが、さすがに瞬きまで意識は出来ていなかった。

 とはいえ、寝不足とはいえ我慢出来るのも事実だ。



「ほんのちょびっとだけだからな? あんまり気にしないでほしい」

「でも、今日もアルバイトあるんだよね?」

「あるけど、体動かしてたら眠気も冴えるし」

「……」



 七海がじっと俺を見つめて何かを考え込んでいた。

 考える姿も可愛いので写真を撮っておく。後で二葉さんに送ろう。


 七海ももう慣れたものであり、写真を撮っても何も言ってこなかった。そもそも彼女達から許可も貰っていたので何の問題もない。



「ねえ、雪翔くん。一つ思いついたことがあるんだけど」

「やります」

「言質は取ったよ」

「えっ」


 今のは『まだ何も言ってないよ』って言われる場面じゃなかった?

 いや、七海の提案を断ることもないんだけど……なんか不安になってきた。



 七海が嬉しそうに立ち上がり、隣の席から椅子を一つ取った。そして、元々座っていた椅子を俺の座っている椅子にくっつけた。

 続けて持ってきた椅子もそこにくっつけて座り、椅子が三つ並んだ形となる。



 ……? 何をするつもりだ?



「後はこれでいいかな?」



 七海がタオルを四つ折りにして間の椅子に置いた。



 そして、彼女は端の椅子に座ってニコリと笑う。




「おいで、雪翔くん。膝枕してあげる」




 ……?



 俺の耳、またおかしくなったか。それとも白昼夢か?



「ふふ、私の膝枕、津海希と霞にも好評なんだよ?」

「世界が震撼する大事実なんですが。え、その話詳しく」

「雪翔くんがここに頭置いたら話してあげるよ」


 ぽんぽんと太腿を手で優しく叩く七海。え、ほんとに言ってるの? 冗談とか……でもなさそうだ。



「ほら、早く早く」

「……通報しない?」

「しないよ。雪翔くんなら何をしてもね」

「男心をつんつんしないでください七海さん。ドキドキしちゃうから」


 信頼されているということなんだろうけど、すっごく心臓に悪い。


 え、てか本当に……と目を泳がせていると、七海がニコリと笑った。イタズラを企む子供のように。



 そして――自分のスカートの裾をつまんだ。



「それとも……雪翔くんはスカート越しじゃない方が好き?」

「遠慮なくお言葉に甘えさせて頂きます」

「ふふ。よろしい」



 それはさすがに刺激が強すぎて俺が弾け飛んでいってしまう。文字通りの爆発四散というやつだ。



 一度目を瞑り、心臓を落ち着けてから……うん無理だ。落ち着く気がしない。どうせ落ち着いたとしてもすぐ大変なことになるのは目に見えてるし、諦めよう。



「……失礼します」

「はい、どうぞ」



 ゆっくりと横に頭を下ろしていくと――途中で七海が頭を誘導し、支えてくれた。うぅ……好き……


 そうして、俺の頭は七海の太腿の上に置かれた。



 耳に伝わる柔らかく暖かな感触。触れたことがないスカートの感触に――七海のすっごく甘い匂いがする。



 ――やっばい。え、やっばい何この状況。



「遠慮しないで、力抜いてリラックスして」

「で、でも人体で一番重いのって頭って言うし」

「……こちょこちょしちゃうよ?」

「沈まれ俺の葛藤……むしろそれはご褒美なんじゃとか思うんじゃない……」



 少しの葛藤の後、俺は首から力を抜いた。満足そうに七海が頷く声が聞こえる。



「えっと、七海さ――」



 目を上へ向けようとして、即座に俺は視線を戻した。

 ……とあるもので遮られて彼女の顔がほとんど見えなかったのである。


 うん、良くない。ここで上を見ようとするのはとても非常に凄く良くない。このまま会話しよう。



「なにかな?」

「霞ちゃんと津海希ちゃんの件について詳しくお聞かせ願います」

「雪翔くん、本当にブレないよね。津海希はいつも甘えてくるんだ。レッスン終わりとかよくやってるよ」

「その話だけで白米五合は食べられます」

「お腹壊しちゃうよ?」



 普通なら気持ち悪がりそうなものだが、そこで心配してくれるのが七海さんクオリティである。好き。



「この前は霞ちゃんが疲れてたみたいでね。津海希に勧められて膝枕したんだ」

「尊みエピソードが強すぎて燃え尽きそう」


 何それめちゃくちゃ見たい。

 女性ファンも多く、可愛くかっこいい霞ちゃんが七海に甘える? え? 想像するだけで口角が天井どころか天上まで突き刺さりそうだが?



「最初は恥ずかしそうにしてたんだけど、しばらく頭撫でてたらすやすや眠っちゃってね。ふふ、可愛かったなぁ」

「アッッッッッ!」



 そんなこと聞いたら限界オタクになっちゃう。尊みファイナルエクスプロージョンが始まっちゃう……!



「……こんな感じでね」



 ぽん、と側頭部に手が置かれる。そのまま耳をくすぐられて変な声が出そうになった。



「ねえ、雪翔くん」

「な、なんでしょうか?」



 そのまま頭を撫でられながら――七海が頭を下げてきた。後頭部に名状しがたい柔らかく暖かいものが当たってるような気がする。気のせいだよな。気のせいであれ。



 それから彼女の吐息が耳にかかり――




「大好きだよ」

「――」



 すうっと俺の意識が遠のいていき――



「……もし今気絶しちゃったら、凄いことしちゃうよ?」

「俺の扱い手慣れてきましたね!?」


 ――囁かれた言葉に俺は意識を引き戻された。



 そんなことを言われたら気絶出来なくなるじゃないか。いや、したい気持ちもあるんだが。究極の脅しが過ぎる。


 ……というか。



「す、凄いことって何するつもりだったんだ?」

「雪翔くんが一番されたいこと……かな?」

「て、手を握られるだと……?」

「雪翔くんって実はすっごいピュアだよね」



 だって手を握られるんだぞ。今まで女友達が出来なかった俺には特攻だぞ。ましてや最推しに手を握られた時には狂喜乱舞しちゃうぞ。



「じゃあこれなら良いのかな?」

「ミ゚ッ」


 白魚のように細く綺麗な指が伸び、視界の端で俺の手を捉えた。柔らかく暖かくすべすべな手がきゅっと優しく握ってきた。



「もう思い残すことはないです……」

「……ほんとに? 他にも色々してみたいこととかない?」

「ちょっと口に出すのは憚られる内容なのでないです」



 手を握られるがギリギリ言える範囲である。……待て。手を握られるは本当に言って良い範囲だったのか?



「俺、ひょっとしてめちゃくちゃ傲慢になってる……? これからは謙虚にしもとか食べて生きていきます」

「雪翔くんの中には一かマイナス百しかないの……?」



 手を握られたい。以前の俺ならば絶対七海に言えなかったことである。あれ、言ったっけ。

 ……いや、彼女と出会った頃ならばそう口にすることすら畏れ多かったはずだ。それを言えば名前を呼ぶことすら……と思ったが、それは彼女を悲しませるだけなので言わない。



「い、いいんだよ? 雪翔くん。もっと欲出しても」

「最推しに膝枕されて頭を撫でられながら手を握られる以上のこと……?」

「……確かに私、結構凄いことしてるね」



 やっと気づいてくれた。そうだよ。なんで俺はこんなに甘やかされているんだ。


 ……墓穴を掘ることになるような気がするから聞くのはやめておこう。



「じ、じゃあこの辺りで?」

「それはそれ、これはこれだよ。雪翔くんも疲れてるみたいだし、ちゃんと眠らないとね」

「眠る……俺は眠れるのか?」

「目を瞑るだけでも体は休まるよ。私もマネさんの車で移動してる時はよく目閉じてるし」



 ……どうやら眠るか時間になるまではずっとこの体勢のままになりそうである。

 このまま話していたい気持ちもあるけど、段々顔が熱くなってきた。大好きな人の膝枕だから当たり前である。



「……じゃあ、大人しくお言葉に甘えます」

「うんっ! どんどん甘えていいんだからね!」

「女神か? 女神だった……」



 女神に膝枕をされるとは何事だと思いつつも、これ以上考えても答えは出ないはずだ。大人しく俺は目を瞑った。



「七海」

「なにかな?」

「その……ありがとう。おやすみ」

「……!」



 手をぎゅっと強く握られた。もう片方の手が優しく、さらりと髪を撫でてくる。



 そして――彼女の熱く甘い吐息が耳をくすぐった。



「おやすみ。大好きだよ、雪翔くん」

「――俺も、大好きだ」



 どうにか言葉を返し、更に熱くなる頬から意識を背けるように俺は目を強く瞑る。絶対に眠れないと思っていたのだが、意外なことに数分もすれば眠気がやってきた。



 意識が落ちる直前、俺は一つとあることに気づいた。



 ――最後に七海に『大好きだよ』と言われた時、意識が離れていく感覚がなかったな、と。

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