第48話 ファン、眠れず
「……寝れん」
夜。俺は眠ろうと思っても全然眠れていなかった。理由は当然夕方のことである。
楠七海。
俺の最推しであり、大好きな人。
――今日、彼女に大好きだと伝えられたのである。未だにあれは白昼夢だったんじゃないかとすら思ってしまう。
だけど――鼻腔に残る彼女の匂い。そして、体を包んでいた暖かく柔らかなものが夢じゃなかったと告げてきている。
まさか――本当に俺のことが?
そこまで考え、首を振った。いや、それはさすがに思い上がり…………とも呼べない気がする。
いや、だって。抱きしめられて『大好き』って言われたらそれはもう思い上がりとは言えないだろう。
まさか本当に……? と思いながらも、どうしても懐疑的になってしまう。
七海達はテレビとかでも色々な人達と共演している。めちゃくちゃ顔の良い俳優とかアイドルとかも大勢居た。
そんな彼らに比べれば、俺なんて塵芥も同然である。
だけど、万が一……いや、億が一。兆が一……京が一そうだったとすれば?
もし本当にそうだとしたら――
凄く、苦しいな。
そこまで考えてまた息を吐いた。ダメだ、これ寝る前の悪循環になるやつだ。気がついたら朝になってて、今の記憶がなくなるやつだ。
あんまり頼らないでいこうと思っていたが、仕方ない。
『起きてるか?』
そう送ったコンマ数秒後に電話が掛かってきた。ちょっと引くレベルで早かった。
『どうした。行くか?』
「判断が速い。いや、ちょっと眠れなくてな。要は起きてたか?」
『おう。絶賛ネットサーフィン中だったぜ』
その言葉を注意して聞いたが、嘘ではなさそうだ。良かった。
『でも本当に行かなくて良いのか? 近いし別に行っても良いぞ?』
「過保護か。もう子供じゃないんだし――」
『子供だろうが大人だろうが、俺らは同い年で親友だ。行かない理由にはならねえよ』
……本当にこいつは。いや、こういう性格になったのも俺のせいなんだけども。
「ありがとな。一つ聞きたいんだけど要、なんでその性格で彼女出来てないの?」
『うるせえ。雪翔より優先したいと思える女子が居ねえだけだ』
「俺のこと大好きかよ」
とはいえ、彼が恋人を作らない理由もなんとなくだけど理解している。
……それとなーく離れられるタイミング見つけたら離れないとな。さすがに要の人生を縛り付け過ぎている。
『言っとくが、もしいきなりお前が居なくなったら俺は地獄の底まで探しに行くからな』
「心を読むな心を。というか俺を勝手に地獄行きにするんじゃねえ」
全て要にはお見通しのようであった。勝てないな、本当に。
軽口を叩きながらも、大人しく目を瞑る。
「なあ、要」
『なんだ?』
「好きってなんなんだろうな」
ため息でも吐くように呟けば、要は少しの間押し黙った。
「結局は感情の一つ。時が経てば風化していって、いつかはなくなるかもしれない。……恋人。特に結婚なんて出来る人は強いなって思うよ」
『……それ、お前が言うのか?』
「だからこそ、ってやつだな」
俺は生涯七海が最推しであるし、【Suh】箱推しである。
その覚悟を持って俺は推してるのだ。うん、めちゃくちゃ重いな俺。
『……なるほどな。そんで悩んでると』
「そういうことだ」
多分、要は七海ではなく櫛目の方を思い浮かべているのだろう。
ちょっと色々突っ込まれたら危ないことではあるが、その時はその時考える。その時の俺頑張れ。
『雪翔は彼女と居て楽しいか?』
「そりゃこの世の出来事とは思えないくらい楽しいけど」
『それなら良いだろ』
いつもの軽い口調とはほんの少しだけ色が違う真面目な声。そのまま彼が続けた。
『あるか分からない未来より、楽しい今を生きればいい……ってだけで意識が切り替わるほど簡単じゃねえよな』
「……要の言いたいことは痛いくらいに分かってるんだけどな」
直さなければ俺は何も変われない。分かってはいるんだけど、難しいところである。
もう数年付き合ってるからな。このめんどくさい感情とは。
『ま、そんな気にしなくて良いだろうよ。そう遠くないうちにその考えも変わるはずだ』
「……そうか?」
『ああ、大丈夫だ。絶対』
何か確信でもあるかのような声。俺を安心させるためだけに言っている……だけではなさそうだ。
何か考えがありそうだが、聞いて教えてくれるものだったら既に話しているだろうとも思う。
「……要に言われたら本当に大丈夫な気がしてきた」
『おう。本当に大丈夫だからな。……ちょっと雪翔が大変かもしれないが』
「ん?」
『ま、悪いようにはならないだろうよ』
「なんかすっごい嫌な予感がする」
本当に酷い目に遭うことはないだろうが。多分。……多分。
そうして要と話していると、眠気はしばらくすると訪れて――気がつけば俺は眠っていたのだった。
◆◆◆
「おはよっ! 雪翔くんっ!」
「……………………七海?」
「うんっ! 私だよっ! 奇遇だね!」
朝、学校に向かっていると七海と出会った。
前も似たようなことがあったような気はするが。今日はあの日と色々違う。
家から出て五分くらいで会ったのである。彼女の家の位置を考えれば、絶対に会わないであろう場所だ。
「奇遇……?」
「知ってた? 雪翔くん。運命って自分でも掴み取れるんだよ」
「偶然要素なくなっちゃったよ。あれ? 俺って七海に家教えたっけ?」
「マネさんが教えてくれたよ」
「そういえばあの日一回家帰ったんだったな」
犯人は貴船さんであった。いや、別に教える分には構わないんだけども。
「あと、一つ聞こうと思ってたことがあってね」
「ん?」
「いつか、雪翔くんのお家にも遊びに行ってみたいなって」
……ん?
「いつも雪翔くんの方から来て貰ってばっかりだったからね。たまには私の方から行きたいなって」
その言葉を理解するまでに数秒の時間を要した。理解して、まず俺は辺りを見渡す。
人は……居ない。民家から覗く影もない。セーフ。いや、七海も分かってたんだろうが念のためだ。
きょろきょろと辺りを見渡す俺を見て、彼女はニコニコとした笑みをより一層輝かせていた。
「ダメかな?」
「……ダメじゃないです。でもその、掃除する時間が結構欲しいといいますか」
「もちろん大丈夫だよ。準備が出来たら呼んでね」
「で、でもあれだぞ? その、俺一人暮らしで」
「分かった。じゃあご飯の準備もしていくね」
「了承が早すぎる」
ということで……七海がそのうち家に来ることとなった。ちょっと掃除に時間が掛かるので、まだ先のことだが。
……それにしても、一人暮らしって言っても全然驚かなかったな。七海もほぼ一人暮らしみたいな感じだからなんだろうか。
「あ、そうだ。雪翔くん。周りに誰も居ないから……ね?」
「朝から七海に会えてすっごく嬉しいです。可愛いです。大好きです!」
朝一大好きコールである。少しだけ頬が熱くなってるような気がするが、気のせいだ。多分。
七海はうんっ! と力強く可愛く頷き――
「私も大好きだよっ!」
「――ウグオッフ」
その反撃に俺は変な声を漏らしてしまったのだった。唐突にそう言われると朝から血圧爆上がりするんだけど。
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