第35話 最推しと朝チュン

「……んぅ?」


 鳥のさえずる声を聞いて、意識が覚醒していく。


 あれ……俺アラームセットしてなかったっけ?



 というか待って。めちゃくちゃいい匂いするんだけど。え、なんで?


 あと、右腕が凄く柔らか――ん?



 誰か、居る?




 目を開けると――パッチリとした目と目が合った。



「……」

「……お、おはよ? 雪翔くん」

「……おはよう。夢か」

「夢?」



 ああ、そうか。夢だな。そうじゃないとおかしい。


 だって、楠が腕に抱きついてるんだぞ? これが夢じゃないはずない。



「それにしてもなんでまたこんな夢を……。あれ、俺昨日何してたんだっけ」

「夢……き、昨日は雪翔くん、私の家に来てたんだよ?」



 そういえば、昨日は楠の家に行ったんだったな。【サイス】のことがあって。


 めちゃくちゃ楠について語り、誕生日プレゼントも渡した。うん、それで……



 それで……?



「あれ、楠にぬいぐるみ渡した後どうなったんだっけ」

「……!」



 なんか……記憶にもやがかかってるみたいな。



 ……あ、そうだ。


「俺、『ぴょんぴょん』さんだってバレたんだよな」

「……その後のこと、覚えてる?」

「その後? …………あれ、俺どうやって寝たんだ?」



 楠がどんな反応をしたのかすら覚えてないな。めちゃくちゃ気になるんだけど。



「覚えてないならそれでも。ううん、その方がいいかも」

「すっごい気になること言われてる。というか夢で状況整理ってまた珍しいな」


 中々ないぞそんなの。


 ……でも、夢にしてはやけにリアルだな。匂いもめちゃくちゃリアルだし、柔らかいし……ヤワラカッッッッッ。



「夢、だよ。これは」

「う、うん、そうだな、夢だな」



 実際楠の夢なんてしょっちゅう見てたもんな。

 だけどちょっとその、柔らかいといいますかなんといいますか。



「……夢、だからさ。何してもいいんだよ?」

「!?」



 ちょ、あの、腕抱きしめないで楠さん! 起きた時変な目で見ちゃうんで!



「雪翔くんが好きにしても……いいんだよ。き、キス、とか」

「プギュルッッッッ」


 そそそそそそそんなおそれ多いこと。



「落ち着け俺。これは夢、夢だぞ」

「……そうだよ。夢だよ。夢だから何をしてもいいんだよ?」

「そういう意味でも好きになっちゃうから!」

「ふふ、まだなってなかったの?」

「ぶっちゃけ大好きです! 全部の意味が混ざった大好きなので!」



 夢ならまあいいかともう全部ぶっちゃける。というか一回聞かれてるし。今更嘘はつけない。


 だけど、なぜか楠は顔を真っ赤にして俯いていた。



「……そっか、だ、大好きなんだ。私のこと」

「ん? 大好きだけど? 楠の大好きなところ大会始めちゃう?」

「あ、朝からだとちょっと私が堪えられなさそうだから」

「残念」


 堪えられなさそう、というのがちょっとよく分からないけども。



「き、キスくらいなら良いんじゃないかな? 夢、なんだし」

「夢の中で気絶しちゃうから……」

「凄い説得力のある言葉」



 気絶……ん?



「ひょっとして俺、昨日気絶からの寝落ちした?」

「お、思い出したの!?」

「いや、思い出したっていうか予想なんだけど。いつも気絶した後こんな感じだったし」


 ああ、そうか。気絶したっぽいな俺。それなら納得……出来る部分は多いんだけど。



「そもそも俺、なんで気絶したんだ?」

「……な、なんでだろうねー」


 なんか歯切れが悪い楠。言いたくなさそうだ。それなら聞かない方が良いか。




 あれ? そうなるとこれ……



「もしかして夢じゃない?」

「……バレちゃった」

「えっ……えっ!?」


 夢じゃないの!? 本当に!?



「な、なんで俺は楠のベッドで寝てるの?」

「気絶しちゃったから、安静にさせておいた方がいいかなって」

「え、えっと、その。……楠は別の場所で寝てたとか?」

「ううん。この体勢で寝たよ」

「――」

「ゆ、雪翔くん? 雪翔くん!? 気絶しないで!」

「――ッ」



 あ、危ない危ない。また気絶するところだった。楠は今なんて言った?


 この体勢で寝て……待って待って待って待って。ちょっと待って。そっちも気になるんだけど、それよりこっちをなんとかしないと。



「く、楠さん」

「な、なにかな」

「そ、そそそそそその。物凄く、非常に言いにくいのですが。色々と当たってまして」

「……」


 楠の顔が真っ赤になっていく。すっごい罪悪感。全然気にしてなかったんだろうな。


 だけど、これで一旦は平穏が訪れる……と思ってた。



「そ、それがどうかした?」

「……!?」

「わ、私は気にしないけど?」

「俺の理性さんが気にしてるんです楠さん」


 ちょっとこれは本当に中々やばい。



 楠七海という【アイドル】は俺にとって最推しである。……しかし、昨日楠に伝えた通り、俺は【楠七海】という一人の女性も好きなのだ。



 ん? あれ、俺もしかしなくても昨日とんでもないこと言ってた?



 ……それは置いておこう、うん。



 とにかく、俺は楠七海が好きなのである。色んな意味で。



 それで今はベッドの上で好きな人に腕を抱きしめられている。うん、やばい。気絶したい。



 てかどういう状況? なんで俺腕を抱きしめられてるの?


 あれか。女子校ではこれも普通だったのか。羨ましいぞ女子校、って言いたいけど今の俺がその羨むべき状況なんだよな。



「あ、あの、楠さん?」

「……一つ思ったんだけどさ、雪翔くん」

「あっはい。なんでしょうか」

「そろそろ名字じゃなくて名前で呼んで欲しいかな」



 そろりそろりと抜け出そうとした腕をぐっと引き寄せ、楠がそう言った。



「霞と津海希は名前呼びなのに、私だけ名字なのは壁を感じるんだ」

「……じ、じゃあ七海ちゃん?」

「呼び捨てでいいよ。ううん、呼び捨てがいい」

「ちょっとハードルが三光年くらい高いです」

「高さに光年って単位使う人初めて見た」



 楠を名前呼び且つ呼び捨てなんて恐れ多い。なんなら様とか付けたい。



「……むぅ。ちょっと寂しいな」

「七海」

「……!」


 もう反射的に返していた。推しにそんな顔をされては手のひらを五回くらい返したくもなる。



「こ、これでいいか?」

「……うん! 雪翔くん……私も呼び捨てがいいかな?」

「俺の心臓さんがどこかに行っちゃうので今のままでお願いします」



 唐突に『雪翔』なんて呼ばれたらかっこよくて二回目の一目惚れを起こしてしまうかもしれない。


「分かった。それじゃあお願いね」

「わ、分かった、七海」



 あっ、なんかすっごいこそばゆい。心がむずむずする。



 そして、そこでやっと楠……七海が腕を解放してくれた。おかえり腕。



「……七海」

「な、なにかな?」



 色々と聞きたいことや言いたいことはあったものの、一つ思い出したことがあった。



 一応寝る前に言ったけど、もう一度。これは言わないといけないと思ったから。



「改めて、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう」

「……!」


 七海は目を見開き、そして笑った。


 ニコリと、太陽に向かって咲く一輪の花のように。



「ありがとう、雪翔くん。……もう一回ぎゅってしていいかな」

「い、今はダメです。あと、ちょっとさっきまでのはイタズラが過ぎるかと思います」

「じゃあ後でね」

「華麗にスルーされた」



 なんか七海。いつもより表情が豊かになっている気がする。


 それは良いことなんだけども。……それにしても七海、色々変わったような? 今まではあそこまでのイタズラはしてこなかったよな?



 と、俺は考えていて気づかなかった。

 ――同じ部屋に霞ちゃんと津海希ちゃんが眠っていて、最初から全部聞かれていたことに。

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