第9話 れっつごー最推しハウス

「…………? …………?」

「ゆ、雪翔くん?」



 え?

 あれ?

 ん?

 お?

 何が?




 待て待て。一旦状況を整理しよう。何がどうなってこうなった?



 アルバイト中に最推しアイドル(変装中)が来て、『私の家行こ』と囁かれた。



 一体何を言ってるんだ? と思われそうだが、俺の方が聞きたい。え、待って待って。さすがに聞き間違えだよな?



「ごめん。ちょっと耳がおかしくなってたからもう一回言って欲しい」

「も、もう一回? もう一回、かぁ」

「神よ。おゆるしください」

「なんでいきなり神様にゆるしを乞い始めたの……?」



 推しの言葉を聞き間違え、自分に都合が良いように改変したこと。

 そして、恥ずかしそうにする最推しすんごい可愛いなと思ったことをお赦しください。


「と、とにかく分かったから。つ、次は聞き逃さないでよ? 聞き逃したら怒っちゃうからね?」

「怒る楠はすっごく見たいけど我慢します」


 よし、次こそは聞き逃さないぞ。というか何を言おうとしてたのだろうか。



「……お、お家、一緒に行こ」

「…………悪い。ちょっと耳鼻科行ってくる」

「な、なんで? た、確かに今の私声小さくしてるけどさ」

「いや、聞こえてるはずなんだけどな。一緒に家行こうって言われてるようにしか聞こえなくて」

「だ、だから、そう言ってるの」

「え?」


 多分ドン引きされるだろうなと思いながら言った言葉を楠は肯定した。


「……ゆ、雪翔くんに用事がなかったら。お家、来て」

「ンッ……」


 なんだこの可愛い生き物。家じゃなくてお家なのすっごい可愛い。


 ……じゃなくて。


「えっと、なん――」

「雪翔くん、仕事中におしゃべりとは随分余裕があるんだね」

「あっ」


 後ろから店長が来ていたことに気づかなかった。楠が慌ててお辞儀をする。


「ご、ごめんなさい。私がつい話しかけちゃってて」

「……ま、別に良いんだけどね。たまには店長らしいところでも見せないとなって思っただけだし。普段雪翔くんは真面目に働いてくれてるからね。あの子以外友達が居ないって話だったけど……」


 店長がにやりとして肩をつついてきた。


「まさか、こんなに可愛い彼女が居るなんてねぇ? 最近遅れてるのはこの子が原因かな?」

「訴えますよ店長」

「法的措置に行くまでが早くない?」

「何事も早めにやらないと気が済まないタイプなので」


 ため息が漏れそうになりながらも、楠の前なので自重する。



「ご、ごめんなさい。彼に最後に一個、良いですか?」

「いいよ。POPの件は任せたからね、雪翔くん」

「うっす」


 どうやら店長は見逃してくれるらしい。レジに戻る店長に感謝しつつ、楠を見た。


「どう、かな……お家、来てくれる?」

「行きます」


 脳に伝達される前に言葉を返した。



 顔を真っ赤にして瞳を潤ませる彼女の顔は……断ってしまうと今にも泣き出しそうにも見えてしまって。


 断ることなど出来なかったから。



「良かった。じゃあ終わる頃また来るね」

「あっはい。お気を付けて……」


 そして、楠は【Suh】コーナーからメンバー二人のキーホルダーを取ってレジへと向かった。



 とうとっっっっ!? メンバーのグッズ買う推しとうとっっっっっ!?



 でも、買い物ついでに俺を見つけた……という訳じゃないよな。要がここで俺が働いてることとか全部バラしてたもんな。



 さて、そろそろ仕事に戻らなければ。


 改めて俺は【Sunlight hope】コーナーとにらめっこを始めたのだった。……現実から目を背けるように。


 ◆◆◆


「お疲れ様、雪翔君。はい、差し入れ。カフェオレ飲める?」

「アルバイトの疲れぶっ飛びました。飲めます」


 飲めなくても今飲めるようになります。飲めるけども。


 バイト終わり、店の前で楠が待っていた。相変わらず図書委員っぽい格好で。


「えっと、色々聞きたいことがあるんだけど」

「あー、そうだよね。うん、答えられることなら答えるよ」


 とのことなので、遠慮無く質問をしよう。



「まずはなんで家に?」

「……お、お礼、その。ちょっと恥ずかしいんだけど、私の手料理とか喜ばないかな……って。いや、かな」

「腹三十分になるまで食べます」

「そ、それはお腹が破裂しちゃうからやめてね?」


 え、というか待って。すっごい今更だけども。


「俺って推しの家行くの?」

「う、うん……さっきからそう言ってるけど」

「スキャンダルとかやばくない?」

「それは大丈夫。そもそもこの私に気づける人はいない……はずだったんだけどなぁ」


 あれぇ? と首を傾げる楠は気を抜けば気絶しそうになるくらい可愛い。



「そういえば変装してるよな。ベクトルの違う可愛さですんごい可愛い」

「あ、ありがと。……プロデューサーもメンバーも気づかなかったし、絶対大丈夫って言われたんだけどな……」


 気づけなかったのか、と驚きそうになりながらも。確かに普通なら気づけないだろうとも思う。


 それほどまでに容姿が……何より、オーラを隠しきっている。


 めちゃくちゃ凄いな。


「でも、大丈夫。普通は絶対気づけないはず。雪翔くんがそれだけ私のファンで居てくれたってことだから」

「まあ、俺もかなりの古参ファンだとは思ってるけども」

「……やっぱり古参ファンなんだ?」

「あっ……いや、その。程々には」


 ふうん? と探偵のような目で見つめられて悶える。楠、探偵っぽい服着たら似合うだろうな。何でも似合うだろうな。



 そこで一つ咳払いをした。あんまり立ち止まって話す内容ではない。あとこれ以上詰められるとアカウントとかバレそう。


「と、とりあえず質問したいことはこれぐらいだから。歩きながら話そうか」

「うん、分かった」


 彼女の言葉にホッとしつつ、俺達は楠の家に向かっ――ちょっと待って。



「……あと一つ言いたいんだけど。お礼にしては過大すぎないか? 家に招いてご飯ご馳走って」

「でも雪翔くん、頷いてくれたよね?」

「うぐっ……」


 一度吐き出した言葉は飲み込むことが出来ない。


「でも一ファンが推しの家に……」

「じゃあクラスメイトとして、って考えて」

「……そっちの方がなんかまずくないか?」

「大丈夫だよ。……雪翔くんのことは信じてるから」

「アッ」


 そう言われたら……何より、誘われた時に見たあの涙目うるうるに俺は勝てない。


 そして、俺達は楠の家に向かったのだった。


 ◆◆◆


 楠の家は凄く厳重そうなマンションであった。さすがアイドルである。ファンとしてはセキュリティが高そうなところに住んでて一安心である。


 エレベーターに乗り込むと、楠が心配そうにこちらを見てきた。



「……緊張してる?」

「めちゃくちゃ。ちょっと吐きそう」

「だ、大丈夫? 無理はしないでね?」

「アッスキッ」


 背中を撫でられる。優しさに溶けそうです。


 あと、そんなナチュラルにスキンシップされると好きになります。もう好きに(略)



 しかし、凄く緊張するな。家ということは楠の両親も居るはずだし。初手土下座感謝しなきゃ――



「そういえば言ってなかったけど。家、お父さんもお母さんも居ないから」

「えっ?」

「あ、着いた。じゃあ行こっか」

「ちょ、えっ?」


 なんか今さらっととんでもないこと言わなかったか?


 戸惑う俺をよそに、楠はエレベーターから出たのだった。

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