第46話 ファンの癖

「誰のことかな。櫛目香月って」

「誤魔化さなくても分かってる。というか確信してるよ」


 ゆるゆると首を振り、彼は小さく笑った。


「誰にも言うつもりはない。雪翔が悲しむようなことは絶対にしないからな」

「……」



 少しだけ迷った。ここで肯定するのとしないのではかなり大きな差が出てくるはずだ。


 だけど、雪翔くんが野田くんのことを信頼しているのは……いつも二人で居る所を見ていれば分かる



 ……うん。信じてみよう。何かあったらその時はその時考えよう。



「そうだよ。私が櫛目香月だよ。……雪翔くんとのデート中に会ったね」

「やっぱそうなんだな。……しっかしすごい変装だな。あんなん誰も気づかないだろうな」

「……雪翔くんにはバレたけど」

「まじかよ。え、まじで? とんでもねえなあいつ」

「でも、まさか野田くんにもバレるとは思ってなかったかな。……もう少し気をつけないと」

「ん? ああ、違う違う。櫛目ちゃんが楠ちゃんだって見破れたのは見た目とか雰囲気じゃないから」



 その言葉がよく分からなくてつい眉をひそめてしまう。

 カマをかけられた……? でも、そんな感じでもなさそう。


 訝しんでいると、彼が説明を続けてくれた。



「雪翔だよ。あいつに違和感があったんだ」

「雪翔くんが?」

「ああ。まず……あー、その。会った時の前日、色々あっただろ? 思い出させて悪いが」



 あの日のことを思い出して、少し目を瞑る。



 ……もう大丈夫。私には雪翔くんたちがいるから。



「ううん、大丈夫。それで?」

「前の日、知らない人が雪翔を迎えに来たりとか色々あったが……一番違和感に思ったのは、あんなことがあった次の日にあいつがデートをしてたって事実だ」



 その言葉にああ、と納得する。納得してしまう。



「雪翔くんが私を放っておくはずがない、ってことだね」

「そういうことだ。何らかの手段を使って楠さんに会いに行く、支えるくらいはするはずだ。確かに公式アカウントから大丈夫だって報告はあったが、昨日の今日で精神が切り替わるわけじゃない」

「……そうだね」



 そんな大変な時に女の子とデートしている。彼がそんなことをするはずがない、か。確かにそれならデートの相手が私だって気づいてもおかしくない。



 ちょっとだけ悔しいけど、雪翔くんのことは私よりも野田くんの方が知っている。知り尽くしている。



「それともう一つあるな」

「もう一つ?」

「ああ。あん時の雪翔、【楠七海】が呟いてたの見てなかったしな」

「な、なんでそれが分かるの?」

「そりゃあいつがどんだけ【楠七海】が好きなのか知ってるからな。いつもの雪翔なら思い出し泣き叫びくらいしてもおかしくない」

「中々凄いこと言ってるけど理解出来ちゃう……」


 確かに雪翔くんにしては反応が薄かったなとあの時のことを思い出す。


 でも、そっか。それで分かったんだ。



「野田くん、ほんとに雪翔くんのこと大好きだね」

「おう。弟みたいなもんだからな。……前置きが長くなってるけど、あと一個だけ聞かせてくれ」



 その言葉に頷いた。……きっと、雪翔くんに関する話だからと。



 だけど、彼の口から飛び出してきたのは――予想外の言葉だった。



「雪翔のこと、どんくらい好きなんだ?」

「家族になりたいって思うくらい大好きだよ」



 ――予想外の言葉だったけど、私はすぐに返すことができた。


 言ってから自分の顔が熱くなっていくのが分かる。……考えるまでもなく即答しちゃった。



「……アイドル生活と雪翔だったらどっちを取る?」

「雪翔くんだよ」



 続く質問にもまた言葉が飛び出していた。


 ……雪翔くんの癖、伝染うつったのかな。ちょっと良くないな。ここに居るのが彼じゃなかったら今頃大変なことになってる。



「でも、私も彼もそんなこと望んでないから」



 即答しながらも私は口を開いた。言葉が全然足りていない。



「私がアイドルを辞めたら雪翔くんは悲しむ。……絶対に」



 自分のために私がアイドルを辞める。そして、自分の好きなアイドルが辞める。


 そんなの、彼は望んでいない。絶対に悲しむはずだ。



「だから、私は彼が好きなアイドルを殺したりしない」

「……へえ。今更だけどそれ、俺に言っていいの?」

「良くないかな。でも雪翔くんの親友だから大丈夫じゃないかな、っても思ってる」



 決して分の悪い賭けじゃないはずだ。目の前に居る彼が、どれだけ雪翔くんのことを好きなのか知ってる。


 今日のことだって、彼の悪口を言おうとした生徒を怒っていたから。……それも、私より早く。



「誰よりも……きっと私よりも、野田くんは雪翔くんのことを考えてるはずだから」

「……」



 じっと野田くんが見てきて、それから彼は小さく息を吐いた。



「悪かった。試すような真似して」

「それはいいんだけど……合格なのかな?」

「ああ。百二十点の返しされちゃ何も言えねえな。……改めて頼みたいことがある」



 まっすぐと私を見据えて。彼は少しの間を置き――




「雪翔を救って欲しい」




 ――そう言って頭を下げた。



 不穏な言葉に眉をひそめてしまう。彼を救うって、なんの……いや、心当たりはある。



「もしかして過去のことかな。私がデビューする前の?」

「聞いてたのか?」

ってことだけ。話したくなさそうにしてたから詳しくは知らない」

「……そうか」

「とりあえず頭上げて、聞かせて貰えるかな」



 そう言ってやっと野田くんが頭を上げた。その表情は緊張しているように見える。彼の隣では見せないものだ。



「雪翔は過去に囚われている」

「……過去に?」

「悪い。詳しく話したら長くなるし、俺が詳しく話していいことじゃない。まあ、離話さなかったら何の意味もなくなるんだが。言える範囲で話すぞ」



 逡巡の迷いを見せてから、彼がゆっくりと口を開いた。



「雪翔は気絶がになっている」

「……どういうこと?」

「楠ちゃんが転校してきた時気絶しただろ? あいつ、感情が一定のラインを越えたら意識が無くなるんだ。楠ちゃんも覚えないか?」

「……ある」

「そんなら話は早いな」



 あの日――私が彼にキスをした日。それ以外でも、彼はふとした瞬間に意識を落としかけることがあった。


 又聞きになるけど、貴船さんが店長さんから聞いたらしくて……そういえばそれも野田くんから聞いたって話してたっけ。




「感情が一定のラインを越えたら気絶する。その前後の記憶も無くなる。……これは、雪翔の脳が心を守るための自衛みたいなものらしいんだ」

「……それも過去が関係してるの?」

「ああ。だから癖になってる。そうしないとあいつは壊れる。……一度、壊れてしまったから」



 ぐっと握りしめた拳の中では手汗が滲んでいた。


 彼の過去のことはうっすらとしか聞いていない。だけど……彼の身に起きたことは私の想像を遥かに上回っているのかもしれない。



「――それも全部、雪翔の親のせいだ。あいつらが……あいつらのせいで雪翔は」

「……」



 瞳が激情に燃える。怒りと憎悪に満ちたそれは……思わず生唾を飲み込んでしまうような圧があった。



「これだけは伝えておく。親に関することを聞く時は気をつけて欲しい。もしどうしても話したくない……俺に聞けって雪翔が言うんだったら、その時は俺から話そう。二度手間になってすまないが」

「……分かった。大丈夫だよ」



 でも、一つ気になることがあった。雪翔くんのご両親のせい、と言っているけど。



「今、雪翔くんって誰と住んでるの?」

「……一人暮らしだ。保護者は母方の妹ってなってるが、そいつも雪翔の母親が嫌いで雪翔を毛嫌いしてる。最低限お金を出してくれるが……この辺はなんとも言えない」

「……そっか」




 その話を聞いて、改めて思った。



 私、雪翔くんのこと何にも知らないんだなって。



 私がそう思うのと同時に、彼は悔しそうに俯いた。



「雪翔を救えるのは楠ちゃんだけなんだ。……俺じゃ救えない。救えなかった」

「……」

「雪翔を救ったのはまだデビューして数分も経ってないアイドルだった。彼女のお陰で雪翔は誰かを好きになる、誰かを愛することを知った。……ちょっと依存してたが、死ぬよりは全然良い。誰かに迷惑を掛けてた訳でもねえしな」



 私が想像していた何倍も、彼の中で私の存在は大きくなっていたらしい。


 少しだけ複雑でありながらも、その言葉は嬉しかった。……私が彼に救われたように、私も彼を救えていた。いや、違うかな。


 私が彼を救えていたから、彼も私を救ってくれたのだ。



 なんにせよ、救うという言葉も曖昧だ。ここは明確にしておきたい。今の話から考えると――



「『雪翔くんは愛されている』ってことを……ううん。『私が雪翔くんを愛している』ってことを伝えればいいのかな」

「直球で言うならそうなる。雪翔が本当に愛されてるって知ったその日には――きっと、もう一歩先の関係になれるはずだ」

「……」

「変装モードの時だけだろ? 付き合ってることになってるのは」



 ……バレていた。うん、なんとなく気づいてたけど。



「あいつが誰かと付き合う日が来たら、それはもう色々乗り越えたってことだ」

「それは……」

「詳しくはあいつにな。これも俺が言っていいやつじゃない」

「分かった。じゃあそれは今度雪翔くんに聞いてみる」



 少し話が脱線してしまった。話を戻そう。



「とにかく、私が雪翔くんに好きだってことを伝えればいいって話だね」

「そうだ」



 それなら簡単だ。

 今まで以上に――ううん。今まで彼が私にしてくれたように、彼に伝えるだけだ。ちょっとだけ彼が耐えられるか不安だけど、続けていけば慣れるはずだ。



「でも、ほんとにいいのか? ……これ以上踏み込むと戻れなくなるぞ」

「覚悟の上だよ」



 何度も彼に伝えていたことだ。絶対に離すつもりも離れるつもりもない。



「それに、そんなに難しいことでもないから。……私がもっと積極的になれば良いってだけで」

「あ、ああ。その、気絶させない程度にな? 一応お医者さんからは気絶しても脳にあんまり負担はないって言われてるけど、記憶は曖昧になったりするから」

「大丈夫、分かってる。どこまで行けるかは分かってるし、ギリギリ引き戻せるはずだから」

「そ、それなら大丈夫……なのか? まあいいや、その辺は任せる」



 手を繋いだりハグをするのは時と場合によっては大丈夫。


 ……まだキスはだめ。それだけ気をつければ、多分大丈夫。



「ありがとう、楠ちゃん。これからも雪翔のことを頼む」

「任せて。雪翔くんは私にとっても大切な人だから」


 雪翔くんはまだ自分を過小評価している節がある。その認識を改めて貰わないといけない。



 私がどれだけ好きなのか、知ってもらおう。それからまた……彼のことを知っていこう。



 ◆◇◆ side.神流雪翔



『もう来て大丈夫だよ』


 その連絡が来てから俺は図書館から出た。まだ語れるだけの時間はありそうだ。今日はどうしようかな。語りたいことが多すぎるが、今週末やるらしいライブ配信について語ろうかな。



 わくわくとしながら空き教室に向かう。


 空き教室があるところは人通りが少なく、放課後集まるのに丁度良いのだ。念のため周りに誰も居ないことを確認してから扉に手をかける。



 七海はいつもの席に座っていた。俺を見てその顔が輝く。可愛さで世界が弾けそう。


 俺が扉を閉めて鍵をかけると、彼女が立ち上がって近づいてきた。



「ごめんね、雪翔くん。今日は待たせちゃって」

「いや、全然それは良いんだが……どうしかしたのか?」

「なんでもないよ。それよりいつもの欲しいな」

「今日も今日とて大好きです」



 挨拶みたいになってきたな。本当に挨拶にしてもいいんだが。



 ――そんなことを考えてる間にも七海が更に近づいてきた。


 いつもなら止まるところで、さらに一歩踏み出してくる。



 ふわりと、甘い匂いが強くなった。



「な、七海さん?」

「……ねえ、雪翔くん」


 あの、ちょ、え? ち、近くない? もう後ろ扉だから下がれないんだけど?



 そんな俺の動揺にも多分気づいていながらも、彼女は歩みを止めない。



 やがて――その体が密着し、背に手が回された。


 彼女の端正且つ美麗な顔立ちが近づいてきて、そっと顔がすれ違う。


 その口が耳に寄せられ――




「――私も大好きだよ」




 その言葉を理解する前に俺は意識を落とし――



「気絶したらだめだよ、雪翔くん」




 ――ぎゅっと強く抱きしめられ、手放したはずの意識がぐいぐいと手のひらに貼り付いてきたのだった。




 え?



 え???



 ん???

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