第6話 無意識接近アイドル

 楠に毎日『好きだ』と伝える宣言をした後。話し合っていくつかルールを決めた。



 一つ。教室ではいつも通りで居ること。

 一つ。楠が連絡してきた時、そして放課後は指定された空き教室に来ること。

 一つ。その際は楠を褒めまくること。

 一つ。この関係は公にしないこと。



 といった感じだ。


 このルールを決めた際、連絡先の交換もした。『私用で男の子の連絡先を交換するは雪翔くんが初めてだよ』と言われて脳がどろどろに溶けてしまって昨夜はよく眠れなかった。



 話を戻そう。ルールをまとめると、放課後か楠に呼び出された時だけめちゃくちゃ好きだと伝えれば良いというものだ。他では普段通りに振る舞うだけ。誰かに話すこともまずないし、実に簡単である。



 簡単……なはずだったんだが。



「やっほ、雪翔くん」

「アッフオッフウッフ」

「お前本当に慣れないな」


 ……なんか今日、楠がよく話しかけてくる気がする。

 もう三回目だ。昨日までは多くても一日一回だったが?


「二人は何の話してたの?」

「オタ話……って言いたいがちょっと課題の事で相談しててな。こいつ頭良いから」

「オタ活するにはそれなりの成績取らないといけないからな」

「へえ、もしかして数学? 私も混ざって良い?」


 アッ近いです楠。ふわって甘い匂いが漂ってきて蒸発します!



「……?」


 要がじっと俺を。そして楠を見て首を傾げた。


 あっやばい。そういえばこいつやけに勘が良いんだった。いつも通り振る舞うんだ俺……いや、いつも通りなんだけども。



「お、おお俺なんて勉強が出来るだけで教えるの下手だから。ほ、ほほ他の人に聞いた方が良いんじゃないかな」

「……? そうなの?」

「いや、こいつめっちゃ教えるの上手いぞ。多分推しを神格視しすぎて卑下しまくってる」

「じゃあ私も雪翔くん、雪翔先生に教えて貰おうかな?」

「アッスキッッッッ」

「今日はいつもより限界化してんなお前」


 俺が限界化してるのはなんか普段より近い楠が原因なんだが……という言葉を飲み込む。



 そして、どうにかこうにか俺は勉強を教え……ている途中でとあることを思い出した。



 ある番組の企画で学力診断的なやつがあった。それには【Suh】も参加していたのだが、確か楠は九割以上の得点を取っていた気がする。


 しかも高校生じゃ解くのが難しい数学の問題とかも正解していた……よな、確か。



 しかし、要の前でそれを指摘するのも良くないだろうと。俺は頬を引き攣らせながら説明を続けたのだった。


 ◆◆◆


「なんか距離近くないか?」

「……? 気のせいじゃない?」

「気のせいなら良いんだけども」


 俺と楠は現在とある空き教室に居た。机をくっつけて隣に座る楠に言ってみたのだが……気のせいらしい。


 その手が小さく震えてるのを見て、俺も頷いて腰を下ろした。



 なんでも、時折アンチからの過激な発言や嫌がらせがフラッシュバックするらしい。


 その際……もしくは放課後、こうした人気のない空き教室を使って落ち着くまでの間は一人で居たらしい。

 この高校に来た際にその辺の許可は校長先生から貰っていたとのこと。



 ちなみに昨日は屋上は鍵が開いてたから入ってみたらしく、立ち入り禁止ということは知らなかったと言っていた。


 とりあえず屋上は立ち入り禁止なので、今日は人気ひとけのない空き教室へとやって来たのだ。



「……早速褒めて欲しいな、雪翔くん」

「生きてて偉い」

「いきなりハードル低いね!?」

「いや、ガチで思ってるんで。推しの生存はファンの糧です。もっと言えば推しが楽しく生きてくれてたら幸せです」



 いやもうほんとに。昨日屋上で見つけた時はかなり肝を冷やしました。心臓が雑巾絞りにされたかと思いました。


「もう好きです。大好きです。目に百人くらい楠が入っても痛くないです」

「例えはちょっとよくわかんないけど……嬉しいかな」

「可愛いの博覧会か?」


 多分そのうち万病に効くようになるぞ。この可愛さは。


「……ちょっと元気出てきた」

「え? まだ言えるが? あと五百はぶっ続けで言えるが?」

「ふふ、その言葉だけでも嬉しいよ。……頑張りたくなる」

「休んでても偉いが?」

「そこで張り合うんだ……」


 何をしてても推しは尊いものなのである。


「休むってのは自分の体調を管理してるってことだ。偉いだろ」

「……ん、ふふ。そうかもね」


 つまり偉い。もう何をしても偉い。



「生きててくれてありがとう。大好きです」

「……!」


 拝んでいると教室の空気が変わった。


 ん? どうしたんだ?



 見れば、その綺麗すぎて満点の星空かと思ってしまうような瞳がじっとこちらを見つめていた。多分瞳の奥に天国があるんだと思う。



「うう、ん。なんでもない。気のせいだと思う」

「ん? そうか? それなら良いんだけども」

「……でもちょっとごめんね。顔見せて」

「え? 剥ぎ取れば良い?」

「誰もそんな猟奇的な展開望んでないから。ちょっとごめんね」


 あっちょっ、前髪めくらないで。好きになっちゃうから。もうなってたわ。大好きだよ。


「……」

「ちゃんと息はしてよ?」

「…………します。大好きです」


 バレてしまっていた。こんな至近距離で呼吸なんてして良いのか。楠が来てから朝三回くらい歯磨きするようにしてるけど、ちょっとブレスケアドカ食いして良いかな。


 という冗談はさておき、最低限の呼吸をする。あっ、良い匂いする。死ぬ。



「……やっぱりどこかでみたことあるような? 多分、ライブとか来てくれてるんだよね……? 最近は出来てなかったけど、握手会とかも」

「あー、いや、その。ある、けど。俺、存在感薄いから」

「んー。だとしても私、そうそう忘れないんだけどなぁ。SNSの名前は何でやってるの?」

「ご勘弁願います死んでしまいます本当に」



 ちょっとさすがに最推しに認知されるのは恥ずかしさでどうにかなる。

 結構いいねもされるので、多分アカウントの方は認知されてるし。七海ちゃんエゴサの鬼だからな。



「ご、ごめんごめん。さすがにデリカシーなかったね」

「推しに謝られたので切腹してお詫び致します」

「どうしてそうなっちゃうのかな!?」


 やばい、ちょっとめんどくさいオタクみたいになってきた。落ち着こう。


「……落ち着きたいから楠、ちょっと離れてくれない? 心臓が近所の工事現場みたいになってるからさ」

「あ、ご、ごめんね。ちょっとまだ男の子との距離感慣れてなくて」


 ん? 慣れてない? 割と誰とでも仲良くしてる気がするが。


 という俺の心の声が聞こえていたのか、楠が苦笑いをした。



「……男の子との距離感、まだ分からないんだ。小中、それと前まで通ってたのは女子校だったから」

「えっ、そうだったのか?」


 楠が通っていた学校については知らなかった。調べれば出てきそうではあるが、そういうのって特定班がやってるやつかもしれないし。ラジオとかテレビでも公開してなかったはずだ。



「うん。周りを見ながらなんとなく距離感を測ってるけど、雪翔くんが相手だとつい近づいちゃうね」

「あっだめ、好きになっちゃう」

「ふふ、まだ好きじゃなかった?」

「大好きです!!!!!!!!」


 ファンサが神すぎる。推しがちょっぴり小悪魔な一面見せるとか神か? 女神だった……。女神と小悪魔の両面持ち合わせるとかRPGの裏ボスかよ。仲間になるバグ見つかんないかな。



「……雪翔くんと話すの、楽しいな」

「俺をガチ恋にする気か……? もうなってるけど……?」

「でも節度は弁えてるよね。雪翔くん」

「まあそりゃ、推し第一の人生なんで」


 俺のために生きてるというよりは推しのために生きてると言っても過言ではない。うん。



「……本当に居心地が良いな、君の隣は」



 頬杖をついてこちらを見てくる楠。美少女がやると絵になりすぎる。


 その表情は微笑んでいるものの、手を伸ばせば消えてしまいそうなほど儚いように見えた。


「……」

「……」


 そこから会話がなくなってしまう。

 何か話さないといけない。そのために呼ばれたというのに。頭に色んな言葉が浮き上がりすぎて何も出てこない。



「いいよ、もう何も言わなくて。いっぱい褒めてくれたから……嫌なこと全部忘れちゃった。今は隣に居るだけで大丈夫だよ」


 そして、先手でそう言われてしまった。


 それから、俺はただじっと彼女と見つめ合う以外何も出来ずにいた。



 ……終わる頃には憑き物が落ちたようにすっきりした顔になっていたので、多分これで合っていたのだと思う。



 これから毎日こんな時間が続く。全然苦じゃないし、楠が喜んでくれるのなら……楠が苦しくなくなるのだと思えば凄く嬉しい。



 そんなことを考えた数日後、ちょっとした事件が起きた。

 まさかあのことが楠にバレるなんて――この時の俺は思ってもいなかった。

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