第2話 最推しとの初会話

「おっ、生き返ったか親友」

「三割くらいは今も死んでるけどな」


 保健室から無事に戻ってくると、真っ先にかなめから声を掛けられた。さすがは親友である。


「えっ、これ夢じゃないの? 一発顔面頼んでいいか。グーで」

「そんな事したらお前がイケメンになっちまうだろうが」

「お? やるか? 表出ろ」


 というやり取りをしている間にも目は一点しか見れていない。


 ――七海ちゃん、まじで転校してきたのか。


「話しかけに行かなくていいのか?」

かなめは水面に浮かぶ月と話せると思うのか?」

「いや人間。相手は人間だから」


 返ってきた言葉にため息を吐き出した。


「はぁぁぁ。いいか? 俺は認知されたくないタイプのオタなんだ。握手会とか毎回変装して偽名使ってるし、ライブも年中問わずニット帽メガネマスクの不審者スタイルで通してるんだよ」

「うわ怖」

「怖がって貰って結構。あくまで俺のスタイルなんでな」


 人のあれこれには口は出さないが、俺には俺の矜恃きょうじがあるのだ。

 推しが転校してきたと言うのならば教室の壁になろう。空気になろう。椅子になりたい。


「――あっ! これ【Sunlight hope東北限定ライブタオル】だよね!  しかも五十組限定の!」

「カヒュッ」

「おい今人体から聞こえちゃいけない音したぞ」


 声がした方を向いて……俺の脳内は何も処理することが出来なくなった。



 えっ、嘘。嘘だ。嘘だよな。



 これ現実じゃなくて夢だよな。『なんだ夢か……そりゃそうだよな』って起きた瞬間なるやつだよな。結構キツいんだよあれ。


「おーい現実見ろー。推しに話しかけられてんぞー?」

「……コヒュッ」

「あ、ダメだこれ。えっと、くすのきちゃん? 悪い、こいつ【Sunlight hope】の大ファンらしくてさ」



 くりくりとした大きな瞳が輝き、タオルからこちらに移る。え? 死? 俺死ぬ?


「嬉しい! しかもこのライブタオル持ってるなんて……すっごい大ファンなんだね! ありがとう!」

「アッソノッスキデスッ」

「こいつすげえ小せえ声で告白してんぞ」


 つい癖で言ってしまった。いや、そういう好きというか……そういう好きじゃなくてああいう好きなんだが。


「ふふっ、ありがとっ。でもごめんね。アイドルとして誰かの恋人になる気はないんだ。だから、お友達になろうね」

「――」

「おい泣き始めたぞどうした」

「――」


 いや、だって。推しにフラれるなんて経験貴重すぎる。

 しかもすっごい良いフラれ方。ちょっとどころかめちゃくちゃ感動してる。


「だ、大丈夫?」

「なんかよく分からんが、嬉し泣きっぽいから多分大丈夫だろ」

「それなら良い……のかな?」


 しかし、推しにいつまでも醜態を晒す訳にもいかない。

 ということで姿勢を正していると、最推しにじっと見つめられているのに気づいた。


「……ねえ、君、名前はなんて言うの?」

「えっ、あっ……神流雪翔かんなゆきとです」

雪翔ゆきとくんね」

「アッ」

「それにしても雪翔くん、どこかで見たことあるような気がするんだけど……」


 推しに名前を呼んで貰えた……いくら払えば良いんだ。全財産貢いでも足りないんじゃないか。

 というかやばい。推しに見つめられるのやばい。死ねる。



「アッソノッ、ライブとか握手会でちょこちょこ見たんじゃないかなと」

「ううーん。私、これでもファンの顔と名前はかなり覚えてるはずなんだけどな」


 そりゃ毎回服装とか変えて顔も隠してるし……バレてなくて良かった。


「でも、今ちゃんと覚えたからね!」

「アッスキッ」

「限界化してんな……」


 そりゃ最推しのアイドルと話せて限界化しないオタクは居ないだろ。


 え、俺今最推しのアイドルと会話してんの? え? 大丈夫? 俺明日死なない?



 やばいな、夢と現実を行き来してるみたいで情緒が狂い始めてる。


「要。一発殴ってくれ。夢か確認したい」

「やだね。人殺しにはなりたくない」

「お前親友を本気で殴ろうとしてる? 加減って知らない?」

「ふふ」


 要とのやりとりを聞いて七海ちゃんが神をも魅了する笑みを見せた。

 ひょっとして要に殴られたら七海ちゃんは喜ぶ……?


「また頭おかしいこと考えてるなお前」

「正常だよ」

「正常ではないだろ多分。何考えてるのか知らんが」


 このまま要と会話して落ち着きたいけども、七海ちゃんを無視する形は非常によろしくない。


 ということで、七海ちゃんの方を向きかわいっっっっ!


 ……落ち着け。落ち着け俺。普通に会話しろ。するんだ。


「そ、それはそれとして……その。七海ちゃん……ちゃん付けきもいか。呼び捨て……? さん付けが良いのか?」

「推しの前で自分の世界入ってんじゃねえぞ」


 やべえ。普通に会話ってどうすればいいんだっけ。


 めちゃくちゃ失礼なことをしている自覚が出てきて冷や汗が垂れる。


 しかし、七海ちゃんは笑いを堪えようとしていて……堪えきれずに笑った。女神か?



「く、ふふ。雪翔くん、本当に面白いね。呼び捨てでいいよ。クラスメイトだし」

「女神……じゃあ七海と呼ばせて――いや、それだとちょっとハードルが高すぎるのでくすのきと呼ばせて頂きます」


 さすがに推しを名前で呼び捨てするのはハードルが高すぎる。


 それはそれとして、ちゃんと話せ。伝えろ俺。



「あー、その。俺は楠……というか【Sunlight hope】の大ファンだけど、今はクラスメイトになったから。そのつもりで接します。接する予定です。頑張ります。善処します」

「どんどん声ちっさくなってんぞ」

「うっせえ。……ということなので、よろしくお願いします」

「うん、そう言ってもらえると私としても助かるかな。ありがとね、雪翔君」


 アッ……スキ。いや、どうにかこの気持ちも頑張って抑えなければ。


「あ、そうだ。私先生に呼ばれてたんだった。ごめん、ちょっと行ってくるね」

「あっはい。行ってらっしゃいませ」

「お前は使用人か……?」


 うるさいぞ要。


 楠が教室から出て行くのを見送り、ふうと息を吐いた。



「……」

「どうした? 推しと話せて緊張したか?」

「それはそうなんだけど、一つ思うことがあってな」


 カバンからはみ出ていたタオルを中にしまう。


「七海ちゃ――いや、楠って日常生活でもアイドルしてるんだなって思ってな」

「あー。そういうことね。お前へのファンサ凄かったもんな」

「ああ」


 ステージに立つ姿と今の姿が重なる。ただのお節介ではあるが。


「休まる時間、あるのかな」


 そんなことを考えてしまった。



 ◆◇◆◇◆


 とある教室の中。一人の少女が机に突っ伏し、タオルに顔を埋めていた。


「……ごめんなさい」


 誰も居ない教室にその言葉が響く。彼女の手にはスマートフォンが握られてた。


「弱い私で、ごめんなさい。早く復帰しないと、いけないのに……待ってくれてる人がたくさん居るのに……」



『#待ってるよ七海ちゃん』

『【Sunlight hope】全員がそろったライブ見たいなぁ……待ってるよ七海ちゃん』

『正直七海ちゃん居なくても【Sunlight hope】なら生き残れるっしょ。正直要らなくね?』

『七海ちゃんが早く戻ってこれるよう推し活がんばっぞ!』



 その画面には、彼女に対する応援と――一部、否定的な呟きが多く映し出されていた。


 彼女の心には否定的なものが強く刻み込まれる。


 同時に、強い罪悪感がその瞳を濁らせていた。

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