第26話 静けさ

「ふぁぁ……ねむ」

「目の隈酷いぞお前。ちゃんと寝てんのか?」

「今二徹明け」

「寝ろ。今すぐ寝ろ。ここで寝ろ」

「大丈夫大丈夫。あと一時間もすれば眠気はなくなるから」

「気絶させた方が良いか……?」

「実力行使はやめろ」

「眠ってないのは良くないと思うよ」

「ヌュリョッッッッッッ」

「どうやって発音してんの?」


 背後から聞こえてきたのは、この世の可愛さ全てを凝縮したような声。睡眠不足も相まって意識が吹き飛びそうになった。



「やっほ、野田くん、雪翔くん」

「よっす楠ちゃん」

「アッソノッ、おはようございます楠様」

「声ちっさ。てかなんで緊張してんだよ」

「唐突と寝不足のせいだよ」


 さすがにもうそろそろ慣れて……慣れて……慣れてきたのか?

 まあ最初の気絶した頃に比べればさすがにな。油断したら今みたいになるけども。



「寝不足、って聞こえたけど。ちゃんと寝ないと健康に悪いよ」

「クラスメイトを気遣ってくれるの女神……好き……」

「相変わらずだなお前は。でも楠ちゃんからも言ってやってくれよ。こいつ最近全然寝てないらしくてさ」


 余計なことを言いながら、頭の頭頂部を指でぐりぐりとしてくる要。楠がじーっと俺のことを見つめていた。



「……そうだね。ちょっとお説教が必要かな?」

お説教ご褒美!?」

「すっげえ嬉しそうな顔するのやめろ。ド変態に思われるぞ」


 おっと危ない。睡眠不足のせいで本音がダダ漏れになってしまってる。

 睡眠不足のせいにして楠に好きって言い続けても良いかな? さすがにダメ?



「雪翔くん」

「ヒャイッ」

「睡眠はちゃんと取らないとダメだよ。若くても脳梗塞とか引き起こすこともあるし、将来に響きやすいんだから」

「……ハイッ」

「雪翔くんが倒れちゃったら大変なことになるんだからね」



 真面目なお説教である。ド正論すぎて返す言葉がございません。


「今日はちゃんと寝るんだよ?」

「十五時間くらい寝ます」

「極端。……眠すぎもよくないらしいよ?」

「程々にたくさん寝ます」

「ならよし」



 そろそろ俺がやることも終わりそうだったし。今日は楠に言われた通り寝よう。最終確認だけしてから。


 しかし、やることが多いと時が過ぎるのも早いな。



 今日は十一月十三日。明後日は楠の誕生日だ。もう一ヶ月弱経ったのかと思うと、ちょっとびっくりする。


 楠は今のところ順調だ。見ていて分かるくらい元気になっている。要は全然気づいてないようだけど。



 少し前、【Suh】の公式チャンネルで通話出演も出来たくらいだ。あの時はSNSでトレンド入りもしてかなり盛り上がった。


 楠が復帰する日も、そう遠くないのかもしれない。


 ◆◆◆


「去年のクリスマスであった【Suh】の生配信、すっごく可愛くて――」

「……雪翔くん、眠いんでしょ」


 放課後、いつも通り楠に好きだと伝えていると――言葉を遮られてそう言われた。



「いや、俺は別に……」

「もう、我慢しなくて良いのに」

「我慢なんて……」


 やばい。さっきから欠伸が止まらない。どうにか噛み殺してるけど、全然話せなくなってる。


「雪翔くん、今日はバイトあるの?」

「いや……この前のPOPの件でお金に余裕が出来たから最近は減らして貰ってる」

「じゃあ放課後は暇、ってことね」

「そうだけど……」

「じゃあ眠って」


 ……ん?


「寝る? って今ここで?」

「うん。じゃないと危ないでしょ? 帰るときとか」

「いや、でも――」

「眠って?」

「おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」


 やはり推しには逆らえない。


 ニコリと微笑みながらおやすみと言ってくれる楠。良い夢しか見れなくなりそう。



 タオルを一枚取り出して枕にし、顔を埋めるようにする。……あっちに顔を向けるのも背けるのも、なんかあれな気がして。



「あ、待って、雪翔くん。これも使って」

「……ん?」

「首とか腰とか痛めそうな体勢だったからさ。……はい、これでさっきよりは良いと思うよ」


 顔を上げると、楠が自分のカバンからタオルを取り出して重ねた。簡易枕の完成である。


 ……いやちょっと待って。え? タオル?



「く、楠。ちょっとそれは色々と俺の理性がまずくなるというか」

「……? あ、ごめん! こっち使ったタオルだったね」

「煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散」


 消え去れ煩悩。消え去れ後悔。


「こっちは使ってないタオルだから安心してね」

「安心……? 心に安らぎは訪れるのか……? 本当に……?」


 えっ。ちょっと待って。楠のタオル? 顔を埋めるの?


 いや、別にどちらかを向けば…………でもそれ、なんかあれだよな。さっきは顔を下にしてたのに……みたいな。



 そういうのは多分気にしないと思う。思うんだけどな? 俺が気にするんだ。


「雪翔くん、寝ないの?」

「……………………寝ます」



 意を決して――俺は顔を乗せた。楠の方に顔を向けるように。さすがに人のタオルに顔を埋めるのはやばすぎる気がしたから。



 あっすっごい楠の匂いがする。めちゃくちゃきもいこと言ってんな俺。でもいい匂いしかしないんだもん。仕方ない。仕方ないんだ、うん。



「おやすみ、雪翔くん」

「……おやすみ、楠」



 これ絶対寝れないだろ。心臓バックバクのドックドクだけど。なんかすっごい視線を感じるけど俺の被害妄想だろう。多分。



 しかし――さすがに疲れがたまりすぎていたのか、五分も経てば俺は意識を落としていた。



 ◆◇◆◇◆


 電気の消えた教室の中。規則正しく寝息を立てている男子生徒を、彼女はじっと見つめていた。



「……相当疲れてたんだろうなぁ」



 彼の無防備な姿に、彼女は嬉しそうに呟いた。普段から心の中をさらけ出しているものの、こういう姿を見せるのはとても珍しかったからだ。



「ふふ。ちょっと可愛い」


 その指が彼の頬をつつき、額をくすぐっていた前髪を横に流す。


 頬を手で撫でると、彼がくすぐったそうにして手を離した。




「雪翔くん。私、頑張るよ」


 彼に聞こえていない。それを分かっていながら、彼女は呟く。


「あと少しだけ待っててね。もうすぐ私、前を向けるはずだから」



 その瞳は明るく、強い光を灯していた。




 ◆◇◆◇◆



 十一月十四日。その日は朝からとあるニュースが流れ、世間を騒がせていた。




『【Silent spell】のリーダー、三神亜虹みかみあこが【Sunlight hope】リーダーの楠七海の情報を流出! 更には匿名掲示版での虚偽拡散に誹謗中傷も!? メンバー内での虐めもあったようで――』

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