第39話 最推しのお母さん

「私が生まれて少ししてから、お母さんが病気になったんだ」


 病院へ向かいながら、七海が少しずつ話してくれた。


「元々体が弱かった、ってのもあってね。結構珍しい病気になっちゃって、……あ、命に関わるものじゃないよ。多分」



 少し自信がなさそうに、七海が小さく呟いた。



「お医者さんもお母さんもお父さんも、前向きに言ってくれる。……だけど、私が気にしないように言ってくれてるのかも、とか。たまに考えちゃうんだ」

「……」

「でも、ずっと寝たきりって訳じゃないんだよ。たまに退院出来るし、運動会とか行事の時は来てくれたし。リハビリもしてるから、歩くのも大丈夫なんだ」



 俺はただ、彼女の話を聞くことしか出来ない。口を挟むのは野暮でしかないと思ったから。



「病気ってさ、かなりお金が掛かるんだ。色々制度があって返ってくる分もあるんだけど、全部じゃない。返ってくるまで時間も掛かる。だから、お父さんはずっと働きづめなんだ」



 その言葉に、初めて彼女の家へ行った時のことを思い出した。

 あの家には――七海の両親の部屋がなかった。いや、説明がなかっただけであったのかもしれないが。七海の部屋を知り尽くしてる訳じゃないし。



「そのせいで、お父さんはあんまり帰ってこないからさ。……ほとんどって言った方が良いかな。ダブルワークと、病院でのお母さんの介助とかもしてるのもあってね」

「……そっか」

「うん。私もありがたいことにお金は貰えてるから出したいんだけど、お母さんとお父さんが大反対でさ。その分、お父さんがかなり頑張り過ぎちゃってて……ね」



 彼女から聞く話はそのどれもが――想像もしていなかったことだった。



「あ、でもね。仲は良いんだよ。ご飯食べに行ったりとか。休日のお昼、お母さんのお見舞いの時とかその帰りにね」

「――なるほど」


 俺は休みの日、バイトが終わってからしか七海の家へ行っていない。

 お昼は何をしてるんだろうと思っていたが、そういうことだったのか。



「うん。だから、お父さんもお母さんも私のことは考えてくれてる。愛してくれてるから、心配しないでね」

「……分かった」


 ちょっと心配になったが、コミュニケーションはちゃんと取れているらしい。

 だけど、気になることがあった。



「一つ、聞いてもいいかな」

「なあに?」

「……その、言いたくなかったら良いんだけど。休止してることはご両親に話してる、んだよな?」

「うん、話してるよ。しばらくはお父さんも帰ってきてたからね」

「そうだったんだ……良かった」

「結局、お父さんもお母さんのことが気になってうずうずしててね。私が『行ってきて』って無理やり行かせてね。……ほんと、雪翔君に会えて良かった」



 ちょっとだけ恥ずかしくなりつつも、俺が七海の支えとなれていたのなら良かったと頷く。



 もっと七海と一緒に居て欲しいという気持ちも確かにあったけど、聞いてる限りあの人達よりは随分優しそうだしな。……あの人達と比べるのも失礼だな、やめておこう。



「あ、そうそう。話してなかったけど、こっちに引っ越してきたのもお母さんの事情だったんだ」

「あれ、そうだったのか」

「私の環境を変えるため、っていうのも確かにあったんだけど。……お母さんの病気、さっきも話したけど結構珍しくてね。こっちのお医者さんの中によく知ってる人が居たんだ」

「なるほど」


 転院、というやつだろうか。俺も詳しい訳じゃないけど聞いたことがある。


「私もよく会ってるけど、良い人だよ。お医者さんとの相性も大事だからね」



 優しく微笑み、手を強く握る七海。自然と握り返す力が強くなっていた。




「――実はね。お母さん、私と亜虹ちゃんの仲が良いの知ってたんだ」

「ッ……」



 七海がその名前を出すとは思わず、一瞬だけ足を止めてしまった。



 じっと彼女の目を見て……心の中で息を吐いた。



 その瞳は揺らいでおらず、まっすぐと見つめ返してきたから。


 だけど、少しだけ不安だ。あのことを七海のお母さんが知ったのなら……。



「お母さん、私のことすっごく心配しててね。昨日、二人とも帰ってこようとしてたくらい。マネさんとみんなが居るから大丈夫って連絡は入れたんだけどね。……昨日はあんまり体調良くなかったから」

「それで今日行こうと思ったのか」

「そういうこと。今日は体調良いらしくて、大丈夫だよって話がしたかったのと、雪翔くんの話いっぱいしてたから。紹介したくてね」

「大体理解出来てきた。……ちなみに七海のお父さんは?」

「居るかも」

「…………そっか」



 居るのか。いや、居るっぽいなーとは思っていたんだけども。

 俺、昨日七海の部屋に泊まったんだよな。なんなら七海が一緒に寝たとか言ってたよな。



 アクロバティック土下座でどうにか許して貰えるだろうか。いや、でも病院だから危ないな。しかも今の話を聞いた後だと余計に。え、どうしようか。



「ふふ、そんなに心配しなくて大丈夫だよ。お父さんにも雪翔くんのこと、いっぱい話してるから」

「そ、そうなのか?」

「うん。会ってみたいって言ってたから喜ぶと思うよ」

「それなら土下座で済みそうだな」

「とりあえず土下座しようとするね、雪翔くん。……私がずっと手繋いでるから出来ないと思うよ」

「えっ」

「あ、あそこの病院だよ。下にコンビニもあるからちょっと寄っていくね」



 待って待って。ずっと手繋ぐんですか七海さん。ちょっとそれはさすがに想定してなかったんですけども。


 ……いや、思えば今日はずっと想定外続きだったな。



 悩んでいる間にも七海は歩き続け、かといって手を離そうとも思えず。

 俺は彼女の隣を歩いたのだった。


 ◆◆◆


 病院に着いた俺達は、面会の手続きを済ませてからエレベーターへと乗り込んだ。



「雪翔くん、緊張してる?」

「き、ききき緊張なんてしてないけどどど?」

「ふふ、そう? 手汗凄いけど」

「今すぐ切り落とします」

「病院だからすぐくっつけられるよ」

「返答が想像の斜め上だった」


 くすくすと笑う七海。でもちょっと一回手離してくれないかな。皮を削ぎ落とす勢いで拭くから。


 そう思って手の力を緩めるも――ぎゅっと、固く握られた手は離してくれない。



「いや、あの、ちょ。こんなに手汗まみれだと七海も気持ち悪いだろ?」



 そう言えば――七海がにいっと笑った。



 くるりと、彼女は俺を軸に半回転回る。向かい合う形で。



 なんとなく、彼女がやりたいことを察して――もう片方の手を後ろに回そうとする。しかし、それは少しだけ遅く。



「つかまえた」



 きゅっと、もう片方の手を握られた。逃げる場所がなくなってしまう。



「別に気持ち悪くなんてないよ。昨日は雪翔くんの胸の中でいっぱい泣いちゃった訳だし」

「い、いや。七海の涙と俺の手汗を比べるのはちょっと雲泥の差が過ぎるというか。月とフグの肝くらい差があるといいますか」

「そんなことないよ。同じだよ」



 どう言葉を返そうと、七海は俺をぎゅっと掴んで逃がしてくれない。密室なので逃げられない。



 その時――ポン、と。エレベーターが目的地に着いたことを知らせる音が鳴った。



「あ、着いたね」

「え、あの。七海さん。手――」



 しかし、七海が手を離してくれるより早く、エレベーターの扉が開いて。




「……あら?」

「……うん?」




 若い男女と目が合った。凄く綺麗で優しそうな男の人と女の人。女の人は入院着を着ているようで……カップルだろうか。



 すっごく気まずいな。これ、七海が変装してなかったらとんでもないことに――



「あ、お母さん。お父さん」




 ん????

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