第14話 いっしょなら、がんばれる

「ん? 遠近コンビ。仲睦まじく何を話しているんだい?」


 古ぼけた旧校舎の部室に床に立ち、日常より数パーセント演技を加えたっぽい口調で嵯峨アリス演劇部部長が言った。


「子犬のお話ですよ、部長」


 明るい声で近藤さんが答えた。


「子犬?」


 アリス部長が聞き返す。


「はい。私のお家に子犬がやってきたんです。女の子なの。真っ黒のなんとかレトリバー。とても可愛いんですよ」

「真っ黒のレトリバー? もしかしてフラットコーテッドレトリバーか?」

「ん? えーと、よくわからないですけど、たぶんそんなかんじのなんとかレトリバーです」

「そうか。それはかわいいだろうな。何という名前なんだ?」

「アリスです」


 ぴく。アリス部長の右眉が一瞬だけ動いた。


「ほほう。アリス。良い名前だ。ちなみに私の名前もアリスだが」


 本名じゃないけどね。俺は脳内で突っ込みをいれる。


「……何か関係あるのかな?」

「はい、あります。まるで部長みたいに真っ黒で可愛いから、アリスって名前にしました」

「そうか。可愛い……私みたいに」


 顎に手をやり「ふうむ」と考え込む。

 

「ま、いいだろう。犬の話はこれくらいにして、明日の部活動紹介について話し合う」


 アリス部長が定位置に座った。


「今年の部活動紹介だが、遠近コンビニお願いする」


 わかってますよ、アリス部長。部活動紹介は2年生がやるものだからな。


「ということで、小芝居を演じてもらう」


 え? 小芝居? 俺と近藤さんが?


「喜べ、初舞台だ」


 驚きのあまり声を出せない俺と近藤さんを横に、アリス部長が得意げに言った。


「ちょっと待ってください、部長」


 近藤さんが言った。


「舞台に立つなんて、小芝居をやるなんて、聞いてないです」

「うむ。言ってなかったからな」

「ちょっといいですか?」

「なんだね、近藤くん」

「私とマメくんは演技しなくていいって約束だったじゃないですか? マメくんが大道具と音響、私が照明で、部長が役者。それ以外は認めないって、部長が決めたルールです。忘れたんですか?」


 珍しく近藤さんが語気を強めて部長に迫った。


 そうなのである。俺と近藤さんはもともと演劇部に入る予定ではなかった。だが、アリス部長の陰謀と策略で気がついたら入部していたのである。せめてもの抵抗として俺と近藤さんには演技はやらせないというルールを設けたのだ。


 ま、もともとアリス部長は自分以外に役者をというかやらせない方針だったようだが。


「そのルール、期限が3月31日までなんだ。言ってなかったかな」

「聞いてません」と俺。

「そうか」


 といってアリス先輩がスマホを取り出した。そしておもむろに何かを再生し始めた。


「なんですかこれ?」

「ん? 去年ボイスレコーダーで取っておいたものだが?」


 なんと、例のルールを録音していたらしい。


「な? ちゃんと期限を言ってるだろ?」

「……」


 確かに期限を切っていた。なんなんだよ、この人? この状況を1年前に予見していたのか?


「俺は無理です。大道具と音響の経験しかないんですよ?」

「そうか。それだったら仕方ない。近藤くん、喜べ。一人舞台だ」

「え、ええーっ?!」


 ムンクの叫びのようなポーズで近藤さんが驚愕する。


「むむむ無理ですぅ! 一人舞台なんて!」

「だって遠藤君が出ないっていうから」

「お、俺のせいですか!?」

「うん」


 平然と首を縦に振ったぞ、この人。


「部活動紹介という重大任務。それをか弱き乙女である近藤さん一人に任せてもなんとも思わないとは。いやはや、真にジェンダーフリー、LGBTQな男だよ、遠藤一郎君!」

「そうなの、マメくん! LGBTQな人なの? マメくんがLGBTQだから、私、ひとりぼっちで舞台に立つの?」

「いや、それは……」


 近藤さんと目が合った。潤んだ瞳で俺を見ている。その瞳はまるで捨てられた子犬が段ボールの中から通行人を見上げているかのようで「見捨てないで」と必死に訴えていた。


「わかりました。俺、やります」

「そうか。よかったな、近藤くん。遠藤くんが一緒に舞台に立ってくれるそうだ」


 本当は舞台に立ちたくはない。それが部活動紹介の場であってもだ。だが、俺は段ボールの中で泣いている子犬を見捨てることができない。あんな目で見られたら。


「よかった。マメくんがいっしょなら、私がんばれる……かも」


 にっこり微笑む近藤さん。

 俺も近藤さんが一緒なら、なんとかがんばるよ。


 ……なんとか。

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