第6話 目眩と混乱
既成事実。
思うに。ちょっとしたことから既成事実へと繋がるきっかけが生まれる。萌々子の無自覚甘えはそんなきっかけへのクラッシュコース。油断大敵。
例えば、今まさに置かれているシチュエーション。俺と萌々子が一緒に登校。親密度が高まるにはもってこい。気がつけば恋人気分、そしてある日の下校途中、誰もいない神社の境内で二人はキス……。
うん、これ、よくない。近くに神社ないけど。とにかく、一緒に登校するイコール親密度アップだ。親密度アップ、駄目、絶対。
「今日からはバラバラで登校しよう」
そんなわけで、外に出ようとドアノブを握ったままの萌々子に俺は個別登校の提案をした。
「え? バラバラ?」
目をまん丸にして萌々子が言った。
「そう、バラバラ。個別」
「えっと……なんでですか?」
「なんでって……普通男女は一緒に登校しないだろ?」
「兄妹でも?」
「萌々子と俺は兄妹じゃないだろ? 血は繋がってない」
「そっか、義妹でした。義妹でも兄妹ですよ、お兄様?」
「だから義妹でもないって」
「でも……でも!」
うーんと眉間にしわ寄せで萌々子考える。そして目を輝かせた。
「してる人いますよ、男女で一緒に。萌々子みたもん、昨日。ということで、萌々子もお兄様と一緒に登校します」
「残念ながらそういう男女はきっとカップルだ。付き合っているんだ。俺たちとは違う」
「萌々子が見た二人はカップルじゃなかったです」
「何を根拠に言ってるんだ?」
「根拠……」
「そう、根拠だ」
「うー……」
萌々子が子犬のようなうなり声をあげ、俺を睨んだ。
「いぢわる! お兄様のいぢわるっ! いいもん。萌々子、一人で学校に行く」
バン、と乱暴に扉を開ける。
「あーあ、萌々子の幸せ高校生活もたった2日で終わりかあ。きっと今日、登校途中に萌々子は誘拐されちゃうんだわ。お兄様には関係ないですからね。わかりました。ひとりで学校に行きます。たぶん学校には行き着けないけど。誘拐されるから」
「おい……」
そんな不穏な妄想するなよ、と言いかけたところで萌々子が外に出た。
「さようならお兄様。萌々子、誘拐されます。萌々子なんかに身代金は払わなくていいです。もう会うこともないでしょう。萌々子のこと忘れないで」
いきなり走り出す萌々子。
「おい、待て、弁当忘れているぞ!」
俺の声が聞こえているはずなのに萌々子は止まらない。
「待てったら!」
「待ちません!」
「……ったく!」
慌てて靴を履き、二人分の弁当を持って俺は走り出す。
朝から走るのは辛い。ストレッチしてない筋肉が悲鳴を上げる。横腹が痛い。
「待てよ!」
だんだんと距離が詰まってきた。萌々子の脚がもつれだした。
「萌々子!」
よたよたとなって、そのまま萌々子は道路脇に座り込んでしまった。
「大丈夫か? どうした?」
「なんだか……ふらふらします……脇腹も……痛いです」
萌々子の身体から力が抜ける。萌々子は低血圧だ。なのに朝からダッシュなんかするから、立ちくらみになったんだろう。あと、いきなり走ったら脇腹が痛いのはデフォだ。俺も痛い。
「ちょっと休もう。ほら、掴まれ」
「あ、ありがとうございます……」
ふわ。柔らかい身体が無防備に俺に預けられた。
側面から両手を萌々子の背中に回した。萌々子も自然と俺の背中に手を回す。顔が俺の方に倒れた。
「いきなり走るからだ萌々子」
「脇腹痛い……息できない……さすってお兄様」
「こ、こうか?」
脇腹をさする。
「もっと上です……」
肋骨のすぐ下をさする。親指が胸の下あたりにあたる。女性特有な皮下脂肪の感触が伝わる。
これって……いわゆる下乳って部分に抵触しているのでは?
いかん。何を考えているんだ。今、俺は治療行為を行っているんだ。脇腹をさするのは必然なんだ。萌々子のためなんだ。
「なんかクラクラします。頭がふわふわして気持ち悪いの。ぎゅってしていい?」
「ああ」
萌々子がしがみつく。
「ありがとうございます、お兄様」
「萌々子は低血圧なんだ。朝から走ったりしたら駄目だろ?」
「はい……気を付けます……あ、すごく目眩がします!」
よりいっそう強く、萌々子がしがみついてきた。
「大丈夫か!?」
「大丈夫じゃないです……お兄様も萌々子をぎゅってして」
「おう、わかった……ん?」
ちょっと待て。なんかおかしい。
俺は異変に気がついた。萌々子、ものすごくニヤけている。俺の視線に気がついた萌々子が上目遣いで俺を見上げ「えへ」と笑った。
「……萌々子?」
「ふふ。騙された」
萌々子が囁いた。
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