第26話 アリス部長と萌々子

「誘惑?」


 萌々子が反応する。


「そう誘惑。あれはたしか……おっとこれは失礼。彼女さんの前でする話ではなかったかな?」

「だから彼女じゃ」


 俺が言いかけたその時、電車が止まった。


「ではお先に」


 そそくさと先輩が電車から降りていった。あっという間に人混みのなかに紛れ、視界から消えた。忍者かよ。


「ねえ、お兄様。お聞きしてもよいかしら?」


 俺を呼び止める萌々子。


「あの脚の黒い人に誘惑されたんですか?」

「脚の黒い人? ああ、アリス部長ね」


 確かにアリス部長黒タイツだな。


「誘惑じゃない。勧誘だよ」

「勧誘?」

「そう勧誘。役者のな。俺がアリス先輩と同じ演劇部なのは知っているよな?」

「ええ」

「俺は演劇部に原則的には大道具として所属している。木工工作やジオラマ、プラモデル作りに電子工作が好だからな。萌々子も知ってるだろ?」

「はい。萌々子のファビちゃん、修理してくれました」

「ファビちゃん?」

「はい、ファビちゃんです」


 ああ、あの電動マスコットか。萌々子が母親から貰ったとかいう昔の電動玩具だ。動かないというので軽くメンテナンスしたことがあった。

 メンテナンスつーか、液漏れした電池を外して端子を磨いただけだけどな。


「とまあそんな感じで俺は大道具なんだよ」


 萌々子は納得したらしく「ふんふん」と首を縦に振る。


「ところが演劇部には男子生徒がいなくてだな。アリス先輩は俺に役者もやらないかとあの手この手で迫ってきたんだよ。そのことを先輩はなんて刺激的な言葉で言ったのさ」

「具体的にはどういう誘惑だったんですか?」

「役者やったらハグしてくれるって言ったんだよ」


 昨年の部室での出来事がまるで走馬灯のように脳内を駆け巡った。


 ――なあ遠藤くん。3年の先輩が引退して男子がいないんだ。ということで文化祭で役者をやってくれないか? やってくれたらハグしてやってもいいぞ? 女子の肉体を間近で感じたくはないかい?


 ――ハグはいいぞ。男子は女子の上半身に興味津々だろ? その感触を味わえるのだぞ?


 ――え? そういうのはいらない? そうか、もっと過激な体験を望んでいるのだね? なかなか交渉上手だな、キミは。そうか。フフ。何がお望みかな? もしかして……だったりするのかな?


「ハ、ハ、ハグ!? お兄様とあの脚黒女が、ハグ!?」


 脚黒女って言い方やめような。


「安心しろ。アリス部長とハグはしてない」


 俺のハートが盛大に揺れたのは事実である。それは認めよう。だが俺はそんな言葉には負けなかった。誘惑には負けなかった。


「ずいぶんお安い方ですね。そんなことで身体を許すなんて」


 あきれた口調で萌々子が言った。


「本気で許してたわけじゃないさ。俺をからかっていたんだろ」


 改札を抜け、駅前通りを学校へ向かう。

 やがて正門前へ。


「では、お友達が待ってますので」


 女子のコミュ力は凄い。もう校門で待ち合わせる友人がいるのだからな。このあと購買でドリンク飲みながら談笑するらしい。いくら校内自販機がドリンク100円だからといっても毎日だろ。結構な出費だよね。


「では、お兄様、またあとでね」

「おう」


 去っていった。


「よォ遠藤! またまた朝からいちゃついてるなあ!」

「植木かよ……てか、臭いな!」


 ケミカルな香りをプンプンさせている。


「臭い?」

「いったいどこから……髪の毛か」


 なんか妙にテカっているその髪の毛だな、悪臭の元は。


「ムースつけてきたからな。どう? 決まってる?」

「ムース? ああ、整髪剤か」


 今時の高校生だったらワックスだろうよ。つかさ、安物だろ、そのムース? すげー臭いぞ。


 安物整髪剤の匂いだけで植木とわかる。そんな男は全校広しといえども

植木大介だけ。


「幼馴染みと同伴登校。羨ましすぎだろ」

「そんないいもんじゃないって」

「ふ。余裕こきやがって。もしかして既に両片思い状態か?」

「なんだよ、その両片思いって」

「はァん? ラブコメ基本展開の両片思いを知らないってか? お前それでも高校生かよ」


 ラブコメ基本展開を網羅している高校生の方が希有な存在だろうよ。


「いいか? 両片思いってのはだな、お互い好き合っているのに告白し合ってない二人が繰り広げる恋の駆け引きなんだよ。ちょっとツンデレで勝ち気な幼馴染みが『ア、アンタなんか、好きでもなんでもないんだからねっ!』とか言いながらメシを作ってくれたり起こしに来てくれたりするんだよォ!」


 それ、駆け引きか?


「話し終わった? もう教室に行かないと」

「終わってないぞ、遠藤。俺は聞きたい。おまえら、両片思いなのか!?」

「お互いが両片思いと分かってたら両思いなんじゃないの?」


 さすが国語赤点の植木。日本語がめちゃくちゃだ。そんな全科目真っ赤な青木の顔が青ざめる。


「マジかよ……おまえらすでに両思いなのかよ」

「どう解釈したらそうなるよ?」


 ギャグ漫画のようなポーズで固まっている植木の肩をこづく。

 そして聞こえる始業5分前の予鈴。


「予鈴なったぞ、行こう」

「お、おう!」


 ったく、植木のせいで二日連続で教室まで小走りだ。

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