第28話 萌々子のお口

 萌々子がお口を開ける。


「はやく、萌々子のお口に頂戴」

「ちょ、待てよ」

「いやです。待てません」

「あーんとか、恥ずかしいだろ。やらないぞ」

「萌々子は恥ずかしくないわ。早く、あーん」

「俺は恥ずかしい」

「顎が疲れちゃう」

「わかった、わかった。じゃ……入れるぞ」

「ゆっくりお願いします。やさしくしてくださいね」

「わかってる」

「あーん」


 フォークにパスタを巻き付けソースを絡めた。それを萌々子の口の高さに持ち上げる。フォークの先端で唇と口内を傷つけないよう、狙いを定める。


「じゃ、いくぞ」

「はい」


 萌々子が目を閉じた。


 なんか緊張してきた。とりあえず……そーっと……ゆっくり……だ。


 よし。ちゃんと入った。少しだけ奥へ……このへんでいいかな。舌の上にパスタの塊を置こう。


 ぴた。


 パスタが舌に着地した直後、萌々子の唇が閉じられた。軽い抵抗を感じながら、萌々子を傷つけないようフォークを抜く。軽く閉じられた唇と舌で、フォークについていたパスタソースがお掃除された。萌々子が目を開ける。


「……ちょっと苦いです」

「そう。苦みがあるんだよ、学食のたらこ」

「あと……むわっとした匂いと味が……鼻の中を突き抜けていきます」

「生臭いだろ? なんか全体的に臭うんだよ。この和風たらこスパゲッティ」

「うぐう。なんか気持ち悪いですう」

「添加物のせいだな」

「……もーやだー! お兄様に『あーん』してもらったら少しは美味しく食べられると思ったのに! なんでこんなの売ってるんですか!?」

「いいから食べろよ。欲しかったんだろ、たらこスパ」


 俺はフォークを萌々子に返す。


「む……」


 恨めしそうに俺をにらんだ後、萌々子は返されたフォークを渋々手にし、残りを食べ始めた。よかった。これでやっと俺もメシにありつける。


「ところでお兄様、部活のことなのですけど」

「部活?」

「ええ。萌々子も部活に入りたくて」

「そうか。入るといいぞ。運動部がおすすめだ。きのう運動部の部活動紹介があっただろ」

「はい」

「興味持った部活に行くといいよ。今日から体験入部開始だからね」

「今日は文化部の部活紹介があります。それを見てから考えようと思っています」

「見なくていい。部活といえば運動部。それが高校だよ。文化部に入ろうなんて考えなくていいぞ」


 今日は俺の初舞台。稽古不足を幕は待たないというが、俺の場合稽古不足なんてものじゃない。そもそも台詞を覚えていない。台本を片手に舞台に立つのである。おまけに演目はラブコメ。そんなの萌々子に見せられない。一生ネタにされる。


 部活動紹介は建前上任意参加の行事だ。実際にはほぼ全員参加するが、当然出席しない新入生も僅かだが存在する。萌々子には是非そんなマイノリティになってもらいたい。


 そんな気持ちが届くよう目に力を入れて萌々子を見つめた。


「文化部部活動紹介には来ないで欲しい……それがお兄様のお気持ちですか?」


 お。伝わった。俺の目ぢから、なかなかだな。


「そうだよ萌々子。文化部の説明なんか聞かなくていい。さっさと運動部に入部。というのが俺のお気持ちだ」

「ふうん」


 声のトーンが低い。


「ところでお兄様って、演劇部に入っていますよね」

「ん? まあ、そうだな。入っているかいないかと問われれば入ってる方になるかな」

「演劇部は運動部ですか? 文化部ですか?」


 どくん。鼓動が強くなる。


「運動量は多いんじゃないかな」


 本番前のアリス部長の練習量は半端じゃない。あれはどう見ても運動部だ、うん。


「あと腹筋とかストレッチとかもするし」


 アリス部長によれば「発声の基礎は腹筋」だそうで、なぜか裏方である俺たちにも腹筋が課せられている。「激しい演技による肉離れ防止」のためのストレッチも欠かせない。これもなぜか俺たちも参加させられる。


「運動部ですか、文化部ですか?」


 とくん。またもや心臓がはねる。

 そういえば部活の話題ってしなかったんだよな、萌々子と。

 

 きっと萌々子は俺と同じ部活に入りたるがろう。意識下でそのことに気がついていた俺の自意識が無意識のうちに部活の話題を避けていたに違いない。


 だが。時は来た。カムアウトするときが来てしまったようだ。


「演劇部は内容的には運動部かな」


 平静を装い俺は言った。


「ふうん。演劇部が運動部。初めて聞きました」


 だよね。違うもん。


「演劇部って文化部です」

「そういう意見もあるか」


 口の中が乾いてきた。年季の入ったプラスチックコップの水を一口。


「繰り返します。演劇部は文化部。違いますか?」


 同じ質問をやや強い口調で萌々子が繰り返す。


「まあ……区分上はそうかな?」

「萌々子、演劇部の部活動紹介見てみたいな」

「見なくていい。俺が説明してやる。役者は部長だけ。この前電車で会ったアリス部長だけだ。自己紹介は聞いたな? 残りの部員は俺を含めて2名。すべて裏方。先輩が引退したら役者ゼロ、自然消滅しちゃうだろう弱小部活だ。以上。ということで今日は来なくていいぞ」

「お兄様、ひとつ聞いてもいい? 今日の部活紹介、どなたがしてくださるのかしら?」

「……俺ともう一人の2年生の部員でやる」


 嘘はつけない。


「お兄様って恥ずかしがりですね。萌々子に部活動紹介するところ見せたくないのかしら?」

「そうだ」


 あたりまえだ。アリス部長の台本、かなり恥ずかしい。萌々子にだけじゃない。できれば全校生徒に見せたくない。


「わかりました。できた妹である萌々子は部活動紹介、みません」

「え」


「だって、嫌なのでしょ?」

「あ、うん」

「お兄様の嫌がること、萌々子はしません」


 意外だった。何が何でも俺による部活動紹介を見ると言い張ると思っていた。


「萌々子、今日は先に帰ってます。晩ご飯、用意しておきますね」

「お、おう」


 予鈴が鳴った。もうすぐ昼休みが終わる。


「じゃ、お兄様、またお家で!」

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