第12話 くんくんして
放課後。俺は旧校舎にある元視聴覚教室へ向かっていた。そこが演劇部の部室だからであり、さらに明日、新入生向け部活動説明会の準備をしないといけないからだ。ちなみに今日は運動部の説明会だ。
なぜ俺が演劇部なのか。話せば長い。だからやめとく。問題は演劇部は3人しかいないってことだ。同学年は俺と近藤さんという女子生徒だけ。これで2人。のこりが部長。3年生。どう考えても下級生である俺と近藤さんが部活動説明を担当するのはわかりきっている。
近藤さん。フルネームは近藤
「近藤さん、早いね」
部室に入ると、既に近藤さんがいた。定位置で本を読んでる。
「久しぶりだね」
「終業式ぶりかな?」
「だね」
パタン。近藤さんが本を閉じた。
「今日、部長遅くなるんだって」
「なんで?」
「担任の先生と進路面談。さっきLINEがきたよ」
俺には送らないのかよ、部長。
「だから二人っきり」
にこ。近藤さんが微笑む。
「寂しいからお話しよ?」
軽く頭を傾け近藤さんが言った。色素の薄い髪の毛が軽く揺れた。
近藤さんは美しい。透き通るほど白い肌。瞳の色も薄く、どことなく青い。すらりと伸びた手足、端正な顔つきのせいでとても日本人と思えない。親が外国人言われても違和感ないほどだ。
そんな近藤さん。たった数週間会わなかっただけなのに少し大人びていて、俺は思わず見つめてしまった。
「どうしたのマメくん? 私の顔に何かついてる?」
俺が見つめるものだから近藤さんが不思議そうに聞いてきた。
マメくんというのは俺のあだ名だ。ただし近藤さん限定。初めて出会ったとき「遠藤くんていうんだ。エンドウといえばエンドウ豆だよね。だからマメくん、て呼んでいい?」と俺に微笑んで以来、そうなった。
じっ。近藤さんが俺を見る。ちょっとした沈黙。
「な、なんか前より白くなったかな、ってさ」
空気に耐えきれず適当に誤魔化した。
「そっかな?」
「うん。そう」
「そっか。ずっと家にいたからかも。あ、でも散歩はしたよ?」
真面目に答えてくれた。
「マメくんは変わんないね」
再び近藤さんが俺を見る。
「マメくん、春休み、どうだった? なんか面白いことあった?」
「うーん……」
萌々子が来て色々大変だったな。面白くはなかったけど。
「とくに」
「そっか。私はね、普通じゃなかったよ」
ニコニコ笑顔で近藤さんが言った。
「なにかおもしろいことあったの、近藤さん?」
「あったよ。あのね、私の隣の家でね、子犬が生まれたの。何匹も」
「犬種は?」
「なんとかレトリバー。真っ黒なんだ」
「ふーん。レトリバー」
「そう、レトリバー。なんとかレトリバー。でね、そのうちの一匹貰ったの。アリスって名前にしたんだ」
「アリス? それ、先輩と同じ名前じゃん」
「うん」
嵯峨アリス。我が演劇部の部長だ。本名じゃない。本名は白川タエという。
部長は本名が嫌いだ。憎んでいる。部長によれば、部長の名前は一族の長老が名付けた。部長の家は旧財閥系。由緒正しい本物セレブなのである。
タエ。「多栄」「多恵」「妙」など長寿と繁栄の願いを込めたありがたい名前を長老はつけてくれた。
しかし、部長は「令和の女子がタエなどという名前であってよいはずがない」との理由から、物心ついてからは「嵯峨アリス」と名乗っているそうだ。また、どんな手段を使ったか知らないが小中高と、学校でも「白川タエ」ではなく「嵯峨アリス」で通しているという。セレブだから可能なんだろう。
そんな部長はいつも黒タイツをはいている。春夏秋冬、どんな猛暑でもだ。日光に弱いらしい。「アトピーですか?」と聞いたら「違う」と言われた。
「確かに部長は……黒いな」
「なんとかレトリバーの子犬ってとっても可愛いんだ。毎日驚きと発見なの」
「へー」
「だから普通じゃなかったの。私の春休み。特別だったんだ」
近藤さんが両腕を俺に差し出した。
「匂いする?」
透き通るような肌の腕が俺の鼻先に伸びる。突然異性の肌が至近距離に表れ、俺はすこしドギマギした。
「えっと……匂い?」
「うん。匂い」
「なんの匂い?」
「アリスだよ。今日の朝も抱っこしてきたんだ。だから、制服に子犬の匂いしているかもだよ。どう?」
どうって言われても……。戸惑っている俺を促すように近藤さんは俺を見つめる。
「くんくんして」
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