第45話 萌々子のお願い

 萌々子のお願い、それは「久しぶりにお兄様と入浴、そして洗いっこ」だった。


「萌々子、もう子どもじゃないから、わきまえています。だから水着を着ているわ」


 普通の家庭用浴槽なんだ。高校生の男女が一緒にはいるには小さすぎる。密着することこのうえなし、だった。


 流石に対面は無理だったので萌々子が前、その背後に俺、でくっついた。萌々子の狭い背中が俺の胸と腹に当たった。


 なんか……だめだ。


 俺にとっては試練だった。さすがに冷静ではいられない。水着女子と密着だぞ。平常心? なにそれ?


 水着着てても駄目なものは駄目だ。プールとは違う。なんか違う。


「身体洗おーっと。お兄様、萌々子の身体、洗ってくださる?」

「ふ、ふえ?」

「水着脱ぎます。こっち見ないでね。いいよって言ってから背中流してくださる?」


 水着を脱ぐだと!? そして背中流す!?


 無理。そんなの無理。前見なくてもお尻は見えるじゃん。全部じゃないにしても!


「ごめん、流石に無理」

「こっち見ないのが無理? つまり、こっちを見るのね。そっか。見たいんだ、お兄様」


 なんでそうなる。


「それはダメだよ、お兄様。えっちね」


 くるん。萌々子がこっちを向いた。いや、だから。


 狭い湯船の中でそんな。……お願いわ、やめて。限界。


「えっちなお兄様は出てってくださーい。えい、えい!」


 萌々子が笑いながら俺に湯をかける。


「わ、わかった、出る。出るよ!」


 萌々子を残して風呂からあがった。


 よかった。追い出されて。


「ガラス越しに萌々子の裸見ようなんて、ダメですよー」

「わかってるって!」


 バスタオルを手に脱衣場から出る。ぽたぽた水滴を垂らしつつ、とりあえずキッチンへ行った。


 キッチンで身体を吹き上げる。濡れた床もふく。


 喉が渇いた。冷蔵庫を開ける。コーヒー牛乳があった。食器棚からマグカップを取り出しコーヒー牛乳を注ぐ。


「ふう」


 あっという間にコップが空になった。


 かちゃ。風呂の扉が開く音。萌々子が風呂から上がったようだ。あわててコップを洗って食器棚にしまい、逃げる必要も無いのに俺は自室へ逃げる。


 パジャマに着替え、ベッドに身体を投げ出し、深いため息。なんとも落ち着かない。スマホをつかみ、適当にSNSやらニュースサイトやらをチェックしてみるが、頭に入ってこない。まさかあんなお願いされるとは。まさか毎晩じゃないよな? 一回だけだよな? さすがに毎晩だと俺は爆発するかもしれない。


 ばたん。ぱたぱた。


 扉越しに足音が聞こえた。萌々子が部屋に戻ってきたようだ。

 俺の部屋に来るだろうか。「お兄様、これから毎日一緒にお風呂ですよ」と宣言するのだろうか。


 もし、そうなら無理だ。色々な理由で。そうなると、この家から出て行くしかなくなる。

 天井を見つめる。白いクロスにLEDシーリング。萌々子の部屋にも同じシーリングが設置されている。

 この家から出たら、俺、どこに行けばいいんだろ。


 萌々子と暮らし始めてまだ一ヶ月も経ってない。俺、2年生。萌々子1年生。萌々子が卒業するまであと2年もある。俺の親も萌々子の親も中国駐在は最低5年、最長で10年なんだそうだ。戦争でも勃発しない限り。この家を出たら、高校から大学までどうやったらいいんだろう。バイトで家賃とかかせげるのか? 


「お兄様、ちょっといいかしら?」


 ドアノブが回転する。すいーっと扉が開く。萌々子が立っていた。目と目が合った。


「お風呂……どうでした?」


 どうでしたっていわれてもなあ。


「萌々子は、お風呂狭いと思いました」

「そ、そうだな」


 凄く密着したもんな。


「やはり二人で入浴は無理。もう小さい子供じゃないんですね、私たち」

「お、おう」

「というこで、一緒にお風呂はあれで終わりですから」

「そう……なんだ」

「ええ。リフォームして大きな湯船になるまでお預けです」


 萌々子が微笑む。勝手にリフォーム計画立てないで。


「でも、萌々子はまだ少し怒っているのです。萌々子の顔を笑ったお兄様のこと、完全には許せていません」


 そうか。そうだろうな。


「もうひとつだけ、お願い聞いて欲しいな」

「なんだ?」

「いつか、一緒に温泉に行きましょう、お兄様。箱根温泉や熱海温泉には部屋に露天風呂が付いている旅館もあるんです。萌々子、そういう旅館に泊まってみたいな」

「俺たち高校生だぞ? 宿泊断られるぞ。それにそういう部屋はバカ高いだろう?」

「ですから、いつか」


 萌々子が俺を見つめる。しばらくして「考えといてくださいね」といって扉を閉めた。


 温泉旅行。それって恋人みたいじゃね? 部屋風呂か。なんかえっちだし。


「あ、それから」


 少しだけ扉が開き、萌々子が顔を出した。


「演劇部、入りませんから」

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