第30話 近藤さんと約束
空気が凍る。アリス部長が冷気を発している。冷気は「それ以上喋るな」というメッセージを込めて近藤さんに送られている。まかせろ、俺は空気を読むのが得意なんだ。
「アリス部長のお兄さん、かっこいいんだよ」
空気を読めない近藤さんが笑顔で俺に言った。冷気が俺にも向けられた。メッセージの内容は――この話を打ち切れ、だ。
「アリス部長って、お兄さんいたんですね。知りませんでした」
いつもアリス先輩にしてやられているのだ。たまには反撃してもいいだろう。
「あれ? マメくん知らなかったの? アリス部長にお兄さんいるの」
「近藤さんは知ってたの?」
「ええ。偶然会ったんだ。デパートでね」
「へー。いつ?」
「えーと、去年の夏休み、だよ。アリス部長ったらね、珍しく白いブラウス着てたの。で、これまた白いシャツがお似合いの素敵な男性と、見たこともない笑顔で腕を組んで歩いてて。私てっきり彼氏参加と思って、お似合いのカップルですねって声かけたの。そしたら……」
スクッとアリス部長が立ち上がり、掌を近藤さんに向けて台詞の継続を制止した。
「そこまでだ近藤君」
やや血走った目でアリス部長が近藤さんを制した。
「兄の話はやめてくれ」
「えーなんでですか?」
「個人情報保護法違反だ」
それ、違うと思いますよ、部長。
「え? そうなんですか?」
「そう。まがうことなき法令違反だ」
珍しく強い調子でアリス部長が言った。
「ということで近藤さん。今後私の兄の話はするんじゃないぞ?」
「はい。法律違反なんですね」
「そうだ。ということで話を戻そう。遠近コンビのラブコメについて、だ」
落ち着きを取り戻したアリス部長が椅子に座り直す。
「部活動紹介終了時刻から30分が経過したというのに、誰一人として新入生がこない。とても残念だがもう新入部員はのぞめない」
確かに。
「やっぱり私とマメくんじゃ駄目だったね」
しょんぼりした声で近藤さんが言った。
「近藤さんは悪くないよ、ちゃんと台詞覚えてきていたし、演技も自然だった。悪いのは……」
脚本だ、と言いたかったが、そんな恐ろしいこといえない。
「俺だよ。台本片手だったし、タイミング悪かったし」
「よくわかっているじゃないか、遠藤君」
アリス部長がうんうんと頷きながら言った。はいはい、いいですよ。俺が悪いってことで。
「じゃあ責任取って地区大会ではいい演技をするんだぞ。私は用があるので帰る。安心しろ、用が済んだら自宅に脚本執筆に取りかかる。では、また明日。万が一、私の帰宅後に入部希望の新入生が来たら適当に説明しといてくれ。来ないだろうがね」
アリス部長が出て行った。
「ね、マメくん。アリス部長、どんな脚本書いてくると思う?」
不安そうに近藤さんが聞く。
「ラブコメって言ってたよな。今日の続きなんじゃないかな」
「それ、やだよ。だってあのヒロイン、マメくんを罵倒するんだもの。いくら演技でもやだな。私」
やさしいね、近藤さん。でも、部活動紹介の舞台では講堂の空気が凍り付くほど冷酷な罵倒ぶりだったよ。みんなドン引きなくらい。なんなら俺も少し傷ついたよ。
「地区大会か。7月だな」
「うん、7月」
壁のカレンダーを見る。そのまま窓に視線をうつすと真っ赤な太陽が目に入った。紫がかった雲の隙間から夕日がみえていた。
「夕日、きれいだ」
近藤さんが呟く。
「うん、きれいだ」
俺も呟く。
「高校2年生になっちゃったね」
近藤さんが窓にもたれかかる。下から俺を見上げる。
「なったな」
「全国に行くラストチャンスかぁ。なんで演劇部は全国が翌年なんだろうね」
「不思議だよな」
「マメくん、全国大会行きたい?」
「うーん、どうだろう?」
かつて、俺たちの高校は強豪校だった。20年以上前の顧問が有名な大物顧問だったらしく、全国大会にも複数回出場したという。
だがそれも昔の話だ。当時買いそろえたらしい機材は大半が壊れているか時代遅れ。職人御用達レベルの大工道具はさびまくり。かつての面影はどこにもない。顧問だって、毎年かわる。今年は確か新任の若い女教師だ。教科は……なんだっけ。
「マメくん、全国なんか無理だって思ったでしょ?」
ばれた。
「私だっていけるとは思ってない。でもね、少しくらい夢を見てもいいんじゃないかな」
近藤さんの髪が夕日を浴び金色に光る。
「いいんじゃないか」
「だよね」
近藤さんが微笑む。
「じゃあさ、一緒に夢を見ようよ。全国行こうよ。いいじゃん、高校生なんだし、おっきな夢見よ? 約束だよ!」
近藤さんが小指を差し出した。
「約束だよ。一緒に全国に行こう!」
もしかして指切り?
「嫌かなあ?」
「まさか」
自分の小指を近藤さんの小指とからめた。初めて触る近藤さんの指。
やわらかい。そしてみずみずしい。
「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーますっ! 指切った!」
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