第40話 両片思い

「では私はこれで失礼する」


 唐突にアリス部長が帰り支度を始めた。


「え? ちょっと、待ってください。近藤さんと何を話したんですか?」


 返事はない。アリス部長はニヤニヤ笑うだけだ。


「じゃ、ごゆっくり」


 ぴしゃん。扉が閉まり、アリス部長が帰っていった。なんなんだ。


「困った部長だよね」

「あのさ、アリス部長、近藤さんに何て言ったの?」

「うーんそれは……」


 近藤さんが目をそらす。どこでもない一点を見つめる。


「ううん。なんでもない」

「なんでもないことないだろ?」

「……」


 近藤さんが俺の方へ向き直る。ほんの少し、顔が赤い。


「あのさ。マメくん。ラブコメの基本って、なんだか分かる?」

「いや、分からない」


 じっ。近藤さんが俺を見つめる。次のセリフを言うべきか否か逡巡してるようだ。


 ややあって決心したらしい。小さく「よし」と言ってから「それはね、両片思いなんだって」と言った。


 出たよ両片思い。植木が言ってたあれか。


「アリス部長、私にマメくんと両片思いごっこをやれって言ったんだ。マメくんに内緒で。こっそり」

「俺に内緒?」

「そう」


 両片思いごっこ、なんだろ? 俺も参加しないと成り立たなくね? 


「私がマメくんに偽りの片思いをする。つまり、そういうそぶりを見せるの。するとマメくん、きっと勝手に私のことを好きになる。はい、両片思のできあがり。って、アリス部長が言うんだ」


 あれか。好意の返報性。そんなの。それを俺と近藤さんの間で発現させようという魂胆か。


「マメくんを本気にさせろ。そうすればマメくんの演技力は向上する。というか向上させろ。でないと県大会は無理だって……」

「俺が下手だから、だろ?」

「……うん」


 想像はついていた。近藤さんに耳打ちするアリス部長の悪魔っぽい顔。それに対照的だった天使のごとき近藤さんの困惑顔。


 口元を隠しこそこそ伝える時点で俺にとっては不名誉かつ近藤さんにとっては迷惑な内容ということくらい、察しが付く。俺は空気が読める男だからな。


 俺の演技力がネックなんだ、俺の演技力を向上させろ。上位大会進出のためにならどんな手段を使ってもいい。


 そう部長が近藤さんに力説したらしい。


「とにかくマメくんを本気にさせろ、本気で片思いさせろ、そうすれば舞台上で奇跡が起こるって」

「奇跡ねえ」


 確かにアリス部長の脚本は素晴らしい。だけど、ラブコメだぞ? 教育活動の延長にある演劇部の大会において、両片思いのラブコメが審査員に評価されるのか? そっちの方が奇跡じゃねーの? 俺の演技力向上よりも脚本内容変更の方が重要じゃね?


 確かウチの地区から去年上位大会に行ったの、コロナ禍で経営傾いた温泉旅館と外国人転校生へのイジメ、そして揺れる進路を描いた社会派演劇だったよ? 俺は途中で寝たけど、そういう社会派高校演劇でないと無理じゃね?


「起こるかなあ、奇跡」


 近藤さんが首をかしげる。


「どうだろう」


 本当はだめだと思うよ、近藤さん。


「両片思いごっこ、どうする?」


 恥ずかしそうに俺に問う。


「告白したいのにできない。そんな気持ちをマメくんに経験させろって言われたんだけど……なんか、それってマメくんを騙すってことだよね? 私、やだ」


 近藤さんが力なく肩を落とす。


「実はね、マメくんの演技力向上だけじゃないんだって、両片思いごっこ。私がマメくんを騙そうと努力することで、私の演技力が良くなるだろう……ってアリス部長言ったの」


 ま、あの人ならそれくらい言うだろう。


「演技力向上ねえ。ま、するだろうけど。そのために両片思いごっこか。なんだかなあ」

「だよね……。無茶苦茶だよ、アリス部長」

「そういう人だ部長は」

「だった」


 近藤さんが笑った。


「やはり今まで通りでいよう。マメくん」

「ああ」

「じゃ、握手しよ?」

「握手?」

「うん」


 近藤さんが手を差し伸べた。それって今まで通りかな?


「なんの握手?」

「アリス部長の思い通りにはならないぞ同盟、略してAON同盟結成の握手」

「なんだそれ」

「なんかかっこいいでしょ? ふふ」


 近藤さんが笑う。


「そろそろ下校時間だね」


 沈みゆく夕陽。


「ね、一緒に帰らない?」

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