第19話 萌々子・アット・ザ・キッチン

「お兄様?」


 調理の手を休めて萌々子が俺を見た。


「どうしたんですか、ぼーっとして」

「ん? いや、別に」

「えっち」

「なんでだよ!」

「ふふ。冗談です」


 ドレッシングを調合しながら萌々子が笑う。


「エプロン姿の萌々子、どうですか? 新妻みたいでしょ」

「調理実習かと思った」

「調理実習中の新妻?」


 萌々子がくるんと一回転。おどけたポーズで言った。

 確かに、情景的・絵的には新妻ではある。だが。


「新妻じゃないだろ」

「今はね」


 萌々子がグリルの火をつけた。


「メインはチキンステーキです。お兄様、テーブルの準備をしてくれます? ナイフとフォークをお願いします」

「おう」


 テーブルクロスを敷き言われたとおりナイフとフォークをセット。


「うん、いい感じ」


 パタパタ忙しく萌々子が動き回る。いつの間にかスパゲティをゆであがっていた。付け合わせにするようだ。


「萌々子、料理は得意なんですよ。知ってました?」

「小学生にしては上手だったもんな」

「覚えてくれてたんだ」


 嬉しそうに身体を横に振る。


「ああ。特に味噌汁が美味しかったな。あれ、ちゃんと出汁からとったんだったっけ?」

「そうですよ」

「いい香りだったなあ、あの味噌汁。あんな味噌汁なら毎日飲みたいよ」


 かたん。キッチンで何かが落ちる音がした。


「ん? 萌々子何か落としたか?」

「べ、別になんでもないです。ちょっと乱暴に食器を置いただけです」


 こちらを振り返らず萌々子が言った。


「そうか。ならいいけど。食器割ったりするなよ。怪我するぞ」

「うん」


 その声の調子が妙に明るかったので俺は「楽しそうだな」と萌々子にいった。


「ええ。楽しいです」


 ちょっとだけこちらに視線を送る萌々子。あまり調理から目を離せないようだ。あまりしゃべりかけて集中力をそいでもいけない。静かにしておこう。


 ダイニングに移動し椅子に座って待つ。キッチンからは萌々子の鼻歌と調理の音がする。


「できましたよ」


 萌々子が料理を運ぶ。俺も手伝う。

 皿をテーブルに並べる。まるでレストランのように色とりどりだ。チキンステーキからは味塩胡椒ではないスパイスの香りが漂い、サラダには萌々子お手製ドレッシング。スープには見たことのない何かが具として用いられ、最後に野菜と何か(俺にはわからない)で作られたらしきコジャレた一品が片隅に鎮座していた。


「本当はバケットの方が合うんですけど」


 炊きたてのご飯をよそう。


「……すげーな」


 まさに夕食。晩ご飯。一汁三菜。茶色一色だった俺の料理とは格が違った。


「これくらい普通ですわ、お兄様」


 萌々子の旦那になる人は幸せだな。素直にそう思った。

 あ、それって今のところ一応俺だった。でも大丈夫だ。法的には根拠無い。親父とその仲間の悪徳弁護士は口約束でも契約だとかいってたけど俺未成年だし。ネットで調べたら親が決めた婚約なんて意味が無いって書いてあった。所詮ネットの情報だけどね。


 それはともかく。


 ママゴトとお医者さんごっこが大好きだったあの萌々子がこうなるとはね。びっくり。


「本当ですか?」

「何が?」

「萌々子の旦那様になる人は幸せだろうって、お兄様おっしゃいました」


 うっかり声に出していたらしい。


「ま、一般論としてはそうだ」

「お兄様、幸せになりたい?」

「一般論としてはなりたいぞ」

「つまり萌々子の旦那様になりたいとかしら?」

「そうは言ってない」

「ふふ。照れ屋さんね、お兄様」

「変な勘違いするな。さ、食べようぜ。せっかくの料理が冷めちゃうぞ」

「はーい」


 ニコニコ笑顔の萌々子の視線を浴びながら俺は萌々子の手料理を食した。

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