42話

「光……遅いな」


 帰宅した俺達は制服から普段着に着替え、亜咲の家へと集まっていた。俺とヒナ以外はそこで暮らしているわけだから、改めて集まったというほどの事でもないが。


「そうねえ。確か未成年は二十二時以降働く事は禁止されているし、話を聞いた限りでは光ちゃんをその後も働かせるとは考えづらいから、早退なんかで家に帰しているはずよ。亜咲ちゃん、光ちゃんから連絡は来た?」

「いえ、送ったメッセージの既読はついているので認識はしていると思いますが返信はないですね」


 時計を見れば既に二十二時は過ぎている。であれば少なくともバイトは終わっているはずだし、亜咲に返信するくらいは出来るはずだ。にもかかわらず何の連絡もないとすればやはり光に何かあったのではないだろうか。


「やっぱり一緒に連れてくるべきだったんじゃ……」

「かもしれませんね……申し訳ありません。私が余計な事を」

「いや、亜咲を責めるつもりじゃないんだ」


 今のは失言だった。別に亜咲を責めるつもりじゃなかったんだけど、不安のあまりつい口に出してしまった。

 今まで光達に対して不安な気持ちになった事なんてなかったからか、俺自身気持ちを上手くコントロールできていないようだった。


「でも既読はついてるって事は少なくとも私達が集まってる事は光ちゃんも分かってるんだよね?」

「そうですね。それは間違いないと思います」

「なら一度電話してみたらいいんじゃないか? 少なくともまだ仕事中って事はないんだろうし……」


 --ピンポーン


 と、タイミングを見計らったかのようにインターフォンが鳴った。さすがにこんな時間に誰かが訪ねてくる事はないだろうし、おそらく光で間違いないだろう。

 俺は自分の家ではない事も忘れ、慌てて玄関に向かい、ドアを開けた。


「あはは……ごめんね。遅くなっちゃった」


 そこにいたのは間違いなく光だった。珍しく息を切らし、申し訳なさそうな表情をしながら謝罪を口にする。


「大丈夫か?」

「何が? 私は大丈夫だよ?」


 ほんの一瞬。見間違いだと言われても仕方のないほんの一瞬だけ光の表情が歪んだ気がしたが、いつも通りの光がそこにいた。


「光ちゃんいらっしゃい。小吾もそんなところに女の子を立たせてないで、まずは家に入れてあげなさい」

「あ……すまん光。とにかく入ってくれ。って言っても俺の家じゃないんだけどな」

「お邪魔しまーす」


 先ほどまでの不安故か、要母さんに声をかけられなければそのまま話をしようとしてしまっていた。どれだけ焦ってるんだよ俺……

 反省して光に家に入るように促し、一緒にリビングへと向かう。


「ごめんねみんな。遅くなっちゃった」

「いいえ、アルバイトで疲れているところ申し訳ありません」

「大丈夫だよ亜咲ちゃん。アルバイトは楽しいし疲れてなんてないから!!」


 光もいつも通りと変わりない様子だった。やはりさっきのは見間違えだったんだろうか……?


「あれ……大兄は?」

「ああ、大輝はちょっと調子が悪いみたいで、先に家に帰ったよ」

「大兄が……? 珍しいね」


 まあ嘘と言えば嘘じゃない。お前の父親を見たらいきなり不機嫌になって帰ったなんて言う方がよっぽど変だろうし。


「まあ明日になればいつも通りになると思う」


 そう、いつも通り。

 今日の事はたまたまいろんな事が重なっただけで、明日からはいつも通りまたみんなで集まってバカな話でもしてるはずだ。


「しょうちゃん、もう時間も遅いんだし早めに切り上げてあげないと明日が大変だよ?」

「それもそうだな。なあ光、今日バイト中に様子が変だったけど大丈夫なのか?」

「あー……そうだよね。見られちゃってたよね……」


 ナツの言う通り明日も授業があるんだし肝心な事を聞いて早く解散しないといけないな。特に光はこれからまた家に帰るとすればその時間もかかるわけだし……


「ああ、ちょうど見てたんだ。光の様子がおかしくなる前に男の人が来たことも。それで光がその人の事をお父さんと呼んでいたことも」

「そっか、そこまで聞かれちゃってたんだ」


 あれは無意識に発した言葉だったのかもしれない。もしかしたらこの話題に触れられたくない可能性もある。

 でも聞かない事には何も始まらないし終わらない。少しだけ緊張を覚えながら光に尋ねる事にした。


「今まで光の家族の事とかは聞いたことなかったけど、あの人が父親なのか?」

「うんそうだよ。あの人は私のお父さん。久しぶりに会ったからびっくりしちゃって」


 なんだ久しぶりに会ったからびっくりしたのか。

 --なんて納得できるはずもなく。


「そっか、でもびっくりしたからってあんな状態には--」

「小兄」


 あんな状態にはならないだろう。と聞くよりも早く、光に遮られるように呼ばれた。見ればまるで怒ってるような、泣き出しそうな。

 そんな複雑な表情がわずか数瞬。

 それからまるで表情が抜け落ちたかのような無表情で。


「それを聞いて、小兄はどうするの?」

「どうする……?」


 光が発しているとは思えない冷たい声。


「小兄はきっとこう思ってるんだよね。私がお父さんに虐待されているのかもしれない。もしくはそこまで具体的でなくても、何かお父さんに怯える何かがあるって。そうだよね。みんなと違って私だけ寮に住んでるんだもん。何かあるって思うよね」

「光……?」

「で? 仮にそれが正解だったとして小兄はどうするの? 何が出来るの?」

「光さん。落ち着いてください」


 亜咲が静止の声をかけるが光は止まらず。


「亜咲ちゃんは小兄に甘すぎるよ。そりゃあ私達の境遇を考えればそうなるのも分かるけどさ。本来理解できない側の人間が私達の事を理解しようとしてくれるのはありがたいよね。でもそれだけ、それ以上は何もできないよ。だって小兄は普通の人だもん」

「光さん。それ以上は」

「無理だよ。私もここに来たのがただ心配されるだけだったら、こんな事言うつもりはなかった。でも小兄はそれ以上に踏み込んでこようとした。その資格もないのに。だから私は拒絶するよ。お願いだからこれ以上私の事情に深入りしようとしないで」


 訥々と語る光のそれは本心なのか、それとも--

 表情を消しているためか光の感情が読めない。本心から拒絶しているようにも見えるし、それともそう見せるために表情を消したのか。


 少なくとも拒絶の意を示した光に対して俺は何も言えず、ナツやヒナ、要母さんに至っては初めて見る光の姿に驚きを隠せない様子だった。

 亜咲は光の事情をある程度把握しているのか、心配そうな表情をしている。美咲さんに関しては我関せずと言ったところだ。


「言いたいことは言ったから、じゃあ私は帰るね」

「光さん、もう夜も遅いのでうちに泊まって行っては? 少々話したいこともありますし」


 無表情のまま変わらない光と、光を心配するような表情の亜咲がしばらく視線を交わす。


「……そうだね。亜咲ちゃんとは少し話をした方がいいかもしれないね」

「分かって貰えて幸いです」

「それじゃあ私達は一度あっちの家に帰りましょうか。夏希」

「う……うん。その方が良さそうだね」

「お二人ともすいません。小兄様も日向さんも一度解散という事でよろしいですか?」

「私は大丈夫だけど……」


 ヒナがちらちらと俺の方を見る。妹にまで心配されてしまって情けない限りだ。


「……分かった。でもな、光」

「……なに?」


 結局何も分からないままだったし、何もできていない。けれど何もできていないまま引き下がるべきではないと、そう思ったから。


「俺は普通の人間かもしれない。けどお前だって普通の人間だろうが。ちょっと人より凄い事出来るくらいで自分が特別な人間だと思ってたら大間違いだぞ。そこんとこよく考えろ駄々っ子が」


 そして何より言われっぱなしというのが気に入らない。なんだよその演技くさい無表情と言い方は。こっちは知らないから聞いてるんだろうが!! 俺は大輝みたいになんでもできるわけじゃないし、亜咲みたいに頭も良くないんだよ!!


 口に出したら余計腹が立ってきた。


「大体普段は小兄小兄くっついてくるくせに都合の良い時だけ何もできないとか言ってんじゃねえよ!! こっちは頭良くないんだから、分からない事は聴くのは当たり前だろうが!!」


 あとでヒナや亜咲から怒られそうだが頭に血が上った俺は止まらない。


「だからこれで俺が諦めると思うなよ!!」


 これは宣戦布告だ。光がもし敵になるとしたら恐ろしい事この上ないが、それでも年下の女の子に言われっぱなしでいられるかよ。

 仮にも兄と呼ばれるのなら。


「……ほんと、そういうところだからね」


 必死で言い返す俺の姿に呆れたのかは分からないが、ようやく先ほどの無表情から光の表情を引き出すことができた。

 であれば今はきっとこれで良かったんだろう。自己満足かもしれないけど。


「ヒナ、帰るぞ」

「え? あれ? そこまで言ってここで帰るの!? みんなまた明日ね!!」


 狼狽えるヒナを連れて家に帰る事にした。これ以上反論されても上手く返せるか分からないし、ここは言い逃げするに限る。


 光の表情が気になりはしたが、ここで振り返ると負けのような気がしたので後ろを振り返ることなく、隣の我が家へと向かった。

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二年振りに再会した幼馴染には、どうやら彼氏がいるらしい エビ仮面RX @ryousanv

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