第19話

「お前……何やってんだ?」

「うぁ……ぅ……」


 俺は天野を認識した瞬間、喉を掴む手に力を籠める。

 駆け付けた際の状況を見れば何をしているかなど聞くまでもないが、それでも耐えがたい怒りに言葉が口から零れ落ちた。

 どちらにしろ、俺が喉を押さえているのだから、問うたところで天野は答える事は出来ないだろう。漏れ出た声の弱々しさから察するに、まともに呼吸が出来ているかも怪しいものだ。


「なぁ、答えろよ。なんでこんな事をした?」

「ぎっ……」


 口をパクパクとしながら苦悶の表情を浮かべる天野。

 酸素不足のためか、顔から血の気が失せたところで手の力を緩め、俺は天野を投げ捨てた。


「つっ!!」


 地面に倒れこんだ天野を上から睨み付ける。相変わらず左半分の視界は真っ赤なままだ。


「ほら、これで喋れるだろ。で、もう一度聞くぞ」


 こちらに怯えた表情を向けた天野に対して、再度問いかける。


「なぁ、なんでナツが泣いてるんだ? 答えろよ」


 倒れたままの天野に一歩ずつ近付いて行く。


「ひっ!! お、おいみんな、早くコイツを……」

「ああ、心配しなくていい」


 周りを見るまでもない。


「光、大輝。ご苦労だった」

「弱すぎてつまんなーい」

「ここに来る途中で居た連中は適当に転がしておいたけど良かったんだよな?」


 すぐ傍に光と大輝の気配を感じ、視線を天野に向けたまま二人に労いの言葉をかける。

 我ながら随分偉そうだとは思うが、戦闘時においてはスイッチを切り替えるため、あえてそうしている。

 光や大輝、亜咲と違って俺は凡庸でしかない。だから軽口を叩く余裕すら省くように徹底した結果がこれだ。


「十分だ。ヒナは――」

「ああ、あっちで感動の再会中だよ」


 なら問題ない。今はナツの事まで気を回す余裕はないのでヒナに任せる事にした。

 俺の大切なものに手を出した報いは受けて貰う。二度と同じ事を繰り返させないために徹底的に尋問し、屈服させ、消し去らねばならない。

 この一年と半年、同じ事を繰り返してきた。それがたった一度増えるだけの事――


 なら何も問題はない、と俺は歩みを再開し、天野へと一歩、また一歩と近付いて行く。


「く、来るな!! 来るなよ化け物!!」

「黙れ。自分の立場を考えろ。命令するのはお前じゃない。俺だ」


 腰が抜けたか、はたまた怪我をしたのかは知らないが、天野は倒れた姿のまま、一向に立ち上がる様子を見せなかった。

 だが口答えする元気があれば十分だろう。と、俺は天野の左腕を踏み抜いた。


「ぎゃああああ!!」

「黙れと言っている。それよりも早く答えろ。お前はここで、ナツに何をしていた」


 靴底には骨が砕ける感触があった。治療不可能というほどではないだろうが、しばらくは動かせないだろう。


「うううぅう。何故僕がこんな目に……」


 俺の言葉が聞こえているのかいないのか、天野は虚ろな目をしてブツブツと呟いていた。


「これ以上無視するのなら残った腕も潰す」

「やめろ……やめて、ください」

「なら早く答えろ。同じ事を何度も言わせるな」


 苛立ちを含んだ声音で天野を脅しつける。

 左眼が抉られているかのような痛みが何度も俺に襲い掛かってきている。正直言って俺自身にも限界が近付いていた。


「僕はただ、夏希を迎えに……それで夏希が僕に変な事を言うから、仲間と一緒にお仕置きしてあげようと……」


 言葉が断片的過ぎて分かりづらいが、必死で弁解しようとしている事は分かる。

 この期に及んでただ迎えに来たとは随分な言い訳ではあったが。


「変な事とはなんだ」

「な、夏希が言ったんだ!! 僕の事を好きなクセに、初めから僕と付き合ってないとか!! 二度と近寄るななんて言うから!!」


 コイツは何を言っているのだろう。

 相手が好きだが付き合っていないというのは照れ隠しと言えばまだ分からなくもない。

 だが好きな相手に二度と近寄るな、なんて言葉はいくらなんでも出て来るはずがないだろうに。


「僕は昔から夏希の事を見てたんだ!! 僕が一番夏希の事を知ってる!! なのになんで邪魔するんだ!!」

「昔から?」


 それはおかしい。俺と夏希は中学生の頃もずっと一緒に居たが、天野なんて奴は知らないし、そもそも見覚えもない。

 だとしたら高校に上がってから知り合ったのだろうと思っていたが、違うのだろうか。


「そうだ!! 誰の見舞いかは知らないが毎日父さんの病院に来る夏希を見て--」

「ああ、そういう事か。ようやく理解出来た」


 つまり俺の見舞いに来ていたナツを見て、一目惚れでもしたのだろう。


「たかが一年やそこらでよくも一番知っているなんて言えたもんだな」

「な、なに?」

「どうせ上辺だけのアイツしか見ていなかったんだろうが」


 器量が良く、成績優秀で部活の代表選手にも選ばれるほどともなれば、さぞかし魅力的な女性に見えた事だろう。実際まだ編入して数日の俺にもそう見える。


 だけど俺は知っている。


 勉強が嫌いだった。

 料理が苦手だった。

 方向音痴だった。

 よく何もないところで転ぶ奴だった。


 相手の良いように見えるところしか見ずして、何がだ。笑わせてくれる。


「アイツは包丁を使うのが下手だったから、よく指を切っていた」

「……え?」

「なかなか道を覚えられないから、いつもスマホと格闘していた」

「な、なにを……」

「すぐに転ぶから、手を引いてやらないと駄目だった」

「……」

「勉強が嫌いだったのに、必死で勉強する理由が出来た」


 最後の理由はおそらく――


「アイツの努力も知らない奴が、ただというだけで、一体それで何を知っているというんだ?」


 少しずつ視界が正常な色を取り戻していく。同時に左眼の疼きも鳴りを潜め始めた。


「別に好きになるなとは言わない。俺にそんな権利がない事は分かっている」

「だったら――」

「だけどお前はナツを泣かせた。それだけは俺が許さない」


 もはや反論をする気力も失せたのか、俺を見上げて口を開こうとするも、天野は言葉を発する事をしなかった。ようやく屈服したと見ていい。ここまでやれば十分だろう。だったらもう。


 ――消してしまっても。


 先ほどいったんは落ち着いた赤が、また左半分を染めていく。

 それに合わせて左眼の疼きも痛みを取り戻す。

 恐らくまた瞳の色が変わっているのだろう。天野が再び怯えの表情へと変わって行く。


「許してもらえるとでも思ったか?」


 俺は腕を押さえながら倒れたままの天野の胸倉を掴み、力任せに引き上げる。

 折れた腕に響いたのか、苦痛に顔を歪ませていたが、もはや抵抗はない。


「小兄!! 駄目だよ!!」

「よせ!! 小吾!!」


 光と大輝が俺を止めるべく声をかけてくる。悪いな。俺はコイツを許す事は出来そうにない。


「や……やめ……たすけて……ごめんなさい、ごめんなさいいいい!!」


 天野が許しを、助け請う。が、その懇願も俺には届かない。何より。


「さっきアイツが助けを求めたにもかかわらず、お前は何をしようとした?」


 これ以上の問答はいらない。

 俺は掴んだ胸倉をそのままに、天野の方に倒れこもうとする。そのまま肋骨に肘を突き立て--


「だめ!!」


 --ようとしたところで、後ろから抱き着かれて動きを止められてしまう。

 本来ならこのまま倒れこみ、肋骨を折るくらいの事は出来ただろう。

 けれど、抱き着かれた感触と、その声に俺は動きを止めてしまった。


「ナツ、離せ」

「やだ!!」


 やだって子供かよ!! と、そう思った。

 そう思ってしまった時にはもう遅い。つまりは我に返ってしまったという事なのだから。

 気が付けば左眼の疼きも消え去っており、視界も正常な色を取り戻していた。


「はぁ……」


 もはや天野に対する興味が失せた俺は、奴の胸倉から手を離した。

 どうやら天野は気絶してしまったのか、膝から崩れ落ちて地面に頭を打ち付けた。


「ほら、もう離したから、お前も離れろ」

「いや!!」


 駄々っ子かよ……


「離したらまたしょうちゃんいなくなるもん!!」


 やだ、いや、に続いて今度は"もん"ときたもんだ。

 幼児退行のオンパレードかよ、と心の中で呟く。


「大丈夫だから、少なくとも前みたいに急にいなくなったりはしない」

「だって――だって本当に心配したんだよ!? 私だって、母さんだって、ヒナちゃんだって!!」

「知ってる。ごめんな」

「謝って欲しいんじゃないの!!」


 俺の謝罪を受け取ってくれようとしない幼馴染。


「ちゃんと帰って来てくれたんでしょ!? だったら――」


 不意に過去の情景が脳裏に浮かぶ。

 確か俺が両親を亡くしたばかりの、まだ七海家にという事に抵抗を覚えていた頃だったと思う。

 他人の家、という印象を拭い切れなかった俺は、「お邪魔します」と言って家に入ろうとした。


『おうちにかえってきたらただいまでしょー!?』


 そう言って俺を叱りつけた少女が居た。

 照れ臭さはそのままに、懐かしさは新たに、俺は後ろを振り向いた。


「ただいま、ナツ」


 そう告げた俺の視線の先には、少女の面影を残した笑顔があり――


「『おかえりなさい、しょうちゃん』」


 あれから大きく成長した少女は、それでも昔と同じ言葉で、俺を迎えてくれた。

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