第4話(改稿済)

 大輝達と別れてから、俺は家路へと着いた。

 ここで補足しておくが、家と言っても今現在住んでいるこの家ではなく、当時は要母さん達の住む七海ななみ家にお世話になっていた。

 一度に両親を亡くしてからというもの、身寄りのなかった俺達兄妹を引き取ってくれたのが要母さんだった。ただ戸籍は移す事無く、どちらかといえば居候と言った方が正しいのかもしれない。


 なので俺の足は当然のように七海家へと向かって歩いていた。

 たった一年半と言えばそれまでだが、見覚えのある風景を目の当たりにした時は懐かしさがこみあげてきたものだ。

 辿り着いた頃にはすっかり夕日も沈んでおり、ちらほらと家々にも灯りがともり始めていた。


 急にいなくなって心配しているだろうな、と思う反面。もしも自分の存在がなかった事になんてなってはしないだろうか等と、内心ドキドキしながら俺は"七海"と書かれた表札の下にあるインターホンのボタンを押した。


『はい』


 インターホン越しに聞こえる懐かしい声。ああ、今日はたつみおじさんがいる日だったのか。

 七海家では両親共働きのため、大体日中はどちらかが家に居る。今くらいの時間なら要母さんはまだ仕事から帰って来ていないだろうし、二人も部活で家にいないのだろう。

 とは言えそろそろ帰路に着いている頃だろうか。


「俺です。小吾です。巽おじさん」


 はっ、と息を飲む声が聞こえた。そりゃいきなり居なくなった人間が急に帰って来たというのだから無理もないと思う。


『……鍵は開いている。とりあえず入りなさい』


 少し訝しむような声音だったのが妙に印象的だったと思う。


 だがその時の俺は疑われても仕方ないと、姿を見て貰えば信じて貰えるだろうと思い、それほど難しくは考えていなかった。


 レバー式のドアノブを引いて開き、玄関へと入る。

 巽おじさんは既に玄関まで出てきており、俺の姿を見て……溜め息にも似た息を吐いた。


「巽おじさん、ただい――」


 帰宅の挨拶をした後、急にいなくなった事の謝罪とこれまでの事を話そうと口を開いた時だった。


「今頃何をしに帰って来たんだ?」

「……え?」


 俺の言葉を遮り、巽おじさんはそう言い放った。その眼に浮かんで居たのは怒りだろうか。俺よりも身長の高い巽おじさんに見下ろされるように睨み付けられる。


「急にいなくなったと思ったら連絡も寄こさず、何を思ったかは知らないが勝手に帰って来る。そんな事をして温かく迎えて貰えるとでも?」

「い、いえそれは事情が」

「事情、事情か。そうだろうね。だがそれは家族よりも大事な事情だったのかい?」


 一切の反論を許さない。そう告げるかのように俺の言葉は悉く拒絶された。


「分かってないようだな。君にも事情があったのだろうが、こちらにも君を受け入れがたい事情がある。君がいなくなって私達が、夏希が、日向ひなたがどれほど悲しんだと思う?」

「そ、それは……」


 例えばここに大輝や亜咲、光達がいればそれはあまりにも理不尽な言い分だろうと庇ってくれただろう。実際俺だって好きでいなくなったわけではない。

 理不尽な現象で、理不尽な世界を潜り抜けて、ようやく帰って来たというのに。結局俺を待っていたのは理不尽な拒絶だった。

 これに関してはどちらが悪いというわけではないのだろう。けれどその話し合いすらもさせて貰えないというのはどうなのか。


「だ、だったらナツやヒナと話をさせてください。それでも受け入れられないのなら――」


 皆が俺を拒絶するというのならまだ諦めもつくだろう。そう思って縋ってみるが。


「ダメだ」

「何故ですか!?」


 またしても拒絶。あまりにも一方的過ぎるその言い分に、思わず何故かと問う。


「信用の出来ない男をウチの娘達に近付けるわけにはいかない」

「そんな……だってヒナは!!」

「既に戸籍は移してある。今はもう七海日向、ウチの娘だ」

「……え?」

「それにナツに関しても、だ。君がいなくなってから、ナツに何があったか知らないだろう?」

「何か、あったんですか?」


 聞けばヒナは既に七海家に養子として引き取られているとの事。それだけでも驚愕の事実ではあったが、更にまだ何かあるらしい。


「君がいなくなってから、夏希の周りが騒がしくなった。つい最近ではストーカー被害にもあった」

「そんな、だったらすぐに警察にっ!!」

「君が心配する事じゃない。既に夏希の友人がソイツを捕まえてくれてるよ。今ではその子と良い仲だと聞いている。だから――」

「……だから?」


 聞かない方が良い。聞いてはいけないと心は警鐘を鳴らすが、どうしても気になってその言葉の続きを促してしまった。


「君がいると邪魔になる。分かるだろう?」

「そんな……」


 そう言われるであろう事は分かってはいた。分かってはいたが、家族だと思っていた巽おじさんに、こうもハッキリ言われてしまい愕然としてしまう。


「ああ、君の家はちゃんと残してある。君の両親への義理もあるしね。鍵は持ってるんだろう? ここに君の両親が残した通帳とキャッシュカードがある。学費と生活費以外には使ってないから君一人が生活する分には不自由はしないだろう」


 そう言って巽おじさんは俺に通帳と印鑑、そしてキャッシュカードを手渡してくる。

 受け取ることは憚られたが、おじさんはこちらにそれらを突き出したまま引っ込める気配はない。

 そして俺を玄関から上げる気もないのだろう。お互い微動だにせず、気まずい空気だけが流れ続けた。


 ――このままここに居ても意味はない。


 もはや巽おじさんからすれば、肝心な時に夏希を守る事が出来なかった、傍に居てやれなかった俺には価値がないのだろう。もう一度巽おじさんの表情を伺うが、まるで敵を見るかのような憎しみの籠った目をしていた。


 そうか。俺は敵か。


 なら良い。幸いあの狂った世界で孤独には慣れているし、敵対すると言うのなら受け入れよう。そうやって意識を切り替えてしまえば、今まで抱いていた目の前の男に対する親愛の情は霧散して消える。

 俺は突き出された通帳などを受け取り、もうここに用はないと背を向ける。


「待ちなさい。何か言う事はないのか?」


 何か言う事? ああ、謝罪でもしろとでも言うのだろうか。心配かけてごめんなさい。とかそういうのか? 笑わせてくれる。今まで散々拒絶しておいて。

 一度憎んでしまえば礼儀などは頭から消える。そもそもここまで言われっ放しでこちらもいい加減頭に来てたんだ。

 何も知らないで、何も知ろうともしないで。


「言う事? ああ、散々そちらの事情だけを一方的に捲し立てて気が済みましたか? とでも聞けば良いですか?」


 別に危害を加えるつもりはないが、お返しとばかりに軽く殺意を込めて皮肉を口にする。今更何を取り繕っても関係が修復するとは思えないし、その必要ももはや感じない。


「なっ……!!」

「ああ、良いですよ無理しなくても。膝が震えてますよ。心配しないでください。俺はもう貴方には関わらない。――だからもう何も喋るな。俺に関わるな」


 そう言い残して家から出て行く。空を見上げれば既に日はくれており、うっすらと月が見えた。


「……とりあえず、帰るか」


 誰ともなく独り言ち、生家へと足を向ける。久しく訪れる事のなかった場所だが、それでも生まれ育った家を忘れるわけもない。

 その時、少し強い風が吹いた。思えばそこで風が吹いた方向なんて見なければ良かったんだと思う。


 振り向いた先には見覚えのある制服に身を包んだ男女がいて――


 ――男の顔が女に近付いていく。


 幸いと言っていいものか、俺から見えるのは女の後ろ姿だった。だから俺が見ていた事には気付かれていない……はずだ。


 七海家の前、見覚えのある後ろ姿、それに近付いていく男の顔。

 もうその状況だけで誰が、何をしているのかなんて見間違える方が難しいだろう。先ほどの話で相手が誰かもなんとなく推測が付く。そして二人の関係も……


 何故かはわからないが、思わず後退ってしまい、風の止んだ静かな空間にジャリッと靴底が砂を擦る音が鳴り響いた。

 まずい、と思った時にはもう後ろへと走っていた。その音が向こうに聞こえたかどうかは分からないが、どうか聞こえていませんようにと願いながら。


 それから逃げるように家に辿り着いた。間もなくあの後ろ姿に懐かしさよりも悔しさがこみ上げ、そのまま続いて例の痛みが俺を襲った。

 そしてこの痛みは毎日、これくらいの時間に俺を襲うようになった。というわけだ。


「――というのが大体一か月前で……あの、要母さん?」


 帰還から今日までを一通り語り終えた俺は要母さんの反応を伺ったが、彼女は顔を下に向けたまま微動だにしない。

 もしかして話が長すぎて寝てしまったんだろうか……などと考えていたが。


「あんの……バカ亭主っ!!」

「ひっ!」


 どうやら滅茶苦茶にご立腹らしい。だから怒らないでって言っておいたのに……


「あの人は何も理解してなかったのね……ヒナちゃんを養子にしたのも、どうせ小吾が帰って来て数年経ったら兄妹に戻るからだし、小吾の食器だってそのままにしてあったのに」

「あ、あの、要母さん?」

「大体夏希も夏希よ。どういうつもりか知らないけどまるでみたいに……私は小吾以外の息子なんて認めないって言ってるのに」


 何か色々気になる言葉が聞こえてくる。だがそれも今の俺にとって重要なのかそうでないのかの判断が付かないため、何も言わずにおいた。


「ああもう!! 本当は無理矢理にでも小吾を連れて帰ろうと思ってたのに!!」

「えっと、気持ちは嬉しいんですけど、その……」

「分かってるわよ。あの人がそこまでバカだとは思ってなかったわ……申し訳ないけど、小吾はこの家で暮らすべきね」

「まあ、そのつもりです」


 今更七海家に転がり込んでも誰も幸せにならないだろうし。


「その代わりたまに様子は見に来るようにするからね。ご飯は……心配してたけど、いつの間にか料理も出来るようになってたのね」

「必要でしたからね」


 と、苦笑する。ぶっちゃけそれくらいしか出来る事がなかったとも言うが。


「何にしてもヒナちゃんには一度会っておくようにしなさい。今日は新しく転校してきた友達が部活を見学してたらしくて、そのまま一緒にご飯食べて帰るって連絡が来たから、また後日になるかと思うけど」

「ああ、そうなんですね。それにしてもこの時期に転校って珍しいですね?」


 俺も人の事は言えないが、高校一年で五月に転校って滅多にないんじゃないだろうか?


「そうねえ、何か事情があるんでしょうけど。でも良い子みたいよ? 亜咲ちゃんと光ちゃんって言って、とっても可愛い子なんですって。今度家に連れて来るように言っておいたから、小吾も……どうしたの?」


 要母さんの報告を聞いて思わず脱力してしまい、頭をゴンッと床にぶつけてしまった。


「えっと、要母さん。ヒナの通ってる高校って?」

「九条学園よ? あの子夏希と同じ高校に通うって言って随分勉強頑張ってたんだから!!」


 ですよねー。っていうかこんな偶然って偏るものなのか?


「えっと、さっき話してた異世界の話あるじゃないですか?」

「そうね。あの話には驚かされたけど、ちゃんと信じてるわよ」

「ああはい、ありがとうございます……じゃなくてですね。その、亜咲と光は俺と一緒に召喚された二人です。もっと言えば勇者様と聖女様ですね」


 縁は異なもの味なもの、とは誰が言ったのだったか。

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