第3話

「落ち着いた?」


 要母さんはゆっくりと身体を離していく。俺もそれに合わせてコクリと頷いた。


「そう、良かった。ええと、それじゃあ何から聞けばいい?」


 頬に人差し指を当てて首を傾げる姿を見て、子供っぽさを感じるとともに、ああ、この人は変わらないな。と苦笑を零してしまう。


「順番に話しますよ。今まで俺がどこにいたのか、どうしていたのか……ただ--」


 信じて貰えるだろうか。こんな荒唐無稽な話を。


「信じて貰えるかは分かりませんけど」



 ――それは俺がまだ中学三年生の、ちょうど夏休みが終わった頃だっただろうか。


 その頃俺は病室の窓から、通学中であろう学生達を見ているだけだったので、夏休みが終わった。という感じはしなかった。

 というのも夏休みの間に事故に会い、一週間ほど意識不明だった俺が目を覚ましたのがちょうどそのタイミングだったというだけ。


 全身打撲、下半身不随。医者から聞いた容態ではそんな感じだったと思う。まあその辺りは俺の保護者であった要母さんも知っている事だし、割愛する。


 人より長めの夏休みを病院で過ごしている頃、それは起こった。確か外はもう暗かったので、夜の事だったと思う。


 病室が急に光に包まれ、気が付いた時には知らないところにいた。

 豪奢な服装に身を包んだ男の人、傍らに立つ華美な服装の女性。それから法衣に身を包んだ老齢の男性や、鎧を着込んだ人々など。


 対する俺は。いや四人は入院着で、急に自分たちに起こった事に対して言葉を発することが出来なかった。


「よく来てくれた。異界の勇者達よ」


 などと声をかけられていたそうだが、残念ながら俺には何を言っているのか理解出来なかった。これは後から大輝に教えて貰ったことだ。どうやら俺達は異世界に召喚されてしまったらしい。あの病室にいた俺と、大輝と、亜咲、とそして光。


 どういう仕組みなのかは分からないが、俺以外の三人は相手の話している言葉が最初から理解出来たらしい。普通は召喚された際に言語を理解出来るようになるらしいが、俺には適用されなかったようだ。


 何故俺だけ理解出来なかったのかはその後に判明した。

 本来召喚されるべきだったのはその三人で、俺はどうやら巻き込まれたらしい。その時も思ったが、全くもってふざけた話だ。


 大輝に通訳をして貰いつつ少しずつ状況を整理していく。魔力測定なんてものもあったが、当然というか俺には魔力なんてこれっぽっちもなかった。そう、これっぽっちも。

 少ないのではなく、ゼロ。


 召喚された先は誰もが一度は憧れるであろう剣と魔法の世界。魔物がいて、異界から勇者が召喚されて……という王道の世界だ。


 当然大輝達も同じ病室に居たという事は、何らかの怪我や病気によって入院していた事は察する事が出来る。だがそれも召喚された際に正常な身体に戻っており、三人は喜んでいた。

 もっとも、俺だけは歩く事すら出来ないままだったが。


 光属性の魔力を持っていた光が勇者と認定され、俺達の中で一番魔力量の多かった亜咲は賢者、聖女と呼ばれ。魔力量も多く、更に身体能力に秀でた大輝は聖騎士と呼ばれ……


 魔力もなく、歩く事すら出来ない俺はゴミと呼ばれた。


 当然必要ないなら元の世界に帰してくれと(大輝経由で)伝えたが、召喚する方法は伝わっているが、送還する方法は分からないという。物語の中ではよくある話なのかもしれないが、実際にそんな状況に陥った自分からすれば、全くもってふざけた話だと思った。


 俺を除いた三人は国賓対応で迎えられ、騎士達との修行を経て魔神を倒すための旅に出るのだという。

 対して俺は物置のような部屋に詰め込まれ、毎日最低限の食事だけを与えられる日々が続いた。恐らく三人に対する人質のようなものだろう。その場で捨てられたり、殺されたりされなかっただけマシだったのかもしれない。


 そこからの日々は細かく話せば長くなるので省いていく。


 じゃあ何故今歩けるようになっているのかという話と、この眼の話については触れておかねばなるまい。


 歩けるようになったのは亜咲による協力が大きい。治癒魔法にも秀でていた亜咲が治療してくれたおかげで二度と治らないと言われていた足が治ったのだから。

 とは言え、その方法も普通ではなかった。ただ治癒魔法を使ったとしても、既に俺の身体はこの状態が正常だと認識し始めていたのだから意味はなかった。


 だから荒療治を行う事になった。


 荒療治と文字にしてもその程度までは分からないだろうが、少なくとも現代医学においては思いもよらない方法だろう。一度足を潰してから正常な状態に再生させるなんて……


 言葉通り、俺の足は一度グシャグシャに潰された。もちろんこれは亜咲が言い出した事ではない。

 じゃあ誰が言ったのかと言えば、俺がこの世で一番憎み、恨み、そして感謝したあちらの世界での師匠と呼ぶ存在である。


「どうせ動かないんだから潰れても一緒でしょ?」


 正直狂ってるとしか思えなかった。手に持った鉄球を容赦なく俺の足に何度も振り下ろし、それこそ原型のないほど潰し続けた。感覚が麻痺しているとは言え、痛みがないわけではないし、何より心臓に悪すぎる。

 傍で見ていた亜咲も顔を真っ青にして気を失いそうになっていたが、気絶なんてされた時には俺が出血多量で死んでしまう可能性だってあったのだから、耐えてくれた亜咲には感謝するしかない。


 結論を言えば潰しては治し、を繰り返して俺の足は動くようになった。もっとも少しずつ治っていく度に痛覚も取り戻していくものだから、俺にとっては地獄以外の何物でもなかったが。


 だが俺の足が治ったところで魔力もなく、特別な身体能力も持っていない俺の出来る事なんてたかが知れていた。

 出来た事と言えば俺を見捨てず、魔神討伐のために頑張ってくれていた三人を支えるべく、時には話し相手になったり、うろ覚えだった地球の食事を再現するために料理を覚えてみたりといったくらいだ。


 が、どうやらあの気狂いはそんな俺にも価値を見出したらしく、それから更に地獄は加速した。

 どうやら奴は騎士の中でも外道騎士などと呼ばれる鼻つまみ者だったらしい。


 治ったばかりの足で気を失うまで走らされる。意識を取り戻したら吐いても剣を振るわされる。意識が朦朧としているところで奴の部下と戦わされて半殺しにされる……etc


 元々事故にあうまでは剣道を習っていたこともあって、剣の振り方は知っていたつもりだったが、その価値観すらもメタメタに潰された。そんなんで人が殺せるか。と。


 魔物を倒すには魔力を纏わせた攻撃でないと倒せないとの事だったので、俺が魔物相手に役に立つ事などないと分かっていたので、何故こんな事をさせるのかと師匠に問うたところ。


「誰が魔物を倒せなんて言った。お前には人を殺してもらう」


 聞けばこの世界では魔力を持っているのが当たり前で、ゼロという人間は聞いた事がないという。

 通常は魔力によって身体強化を行うが、俺にはそれすらも出来ない。

 が、そんな俺にも一つだけ利用価値があった。それは魔力がゼロであるという事。


 頭にハテナを浮かべる俺を見て呆れるように溜め息を吐いた師匠はこう言った。


「魔力がないという事は魔力感知にも引っかからないという事だ。だから貴様には徹底的に気配を消し、瞬発力を鍛えて暗殺者になって貰う」


 要は気付かれないように近付いて人を殺せという事だ。何故俺がそんな事をする必要があるのかと反発したが、あの三人のためだと言われてしまっては突き放す事が出来なかった。


 結局その目論見通り、俺は何度も人を殺した。

 言い訳にしかならないだろうが、殺したのは三人を政治的に利用しようとする貴族達だけだ。何の罪もない人に危害を加えてはいない事だけは補足しておく。


 ――そして次にこの眼の話だ。


 異世界に召喚されて一年半ほどが経った頃だろうか。ようやく光達勇者パーティは魔神の下に辿り着く事が出来た。

 魔物相手に戦う事は出来なかったが、最低限自分の身を守る事が出来るようになっていた俺は、主に雑用係として三人に同行していた。その頃には俺達の間になんというか、絆のようなものが生まれていたんだと思う。

 旅の最中に出会った学者に聞いた話で、魔神には空間を移動する能力があり、魔神を倒せばその力を利用して元の世界に戻れるのではないか。という話だった。


 その話に希望を見出した俺達は四人で魔神の下へ向かったというわけだ。


 魔神との戦いは熾烈を極めたが、大輝が守り、亜咲が癒し、光が一刀の下に魔神を下した。

 俺はと言えば後ろで状況を見ながら指示を出し、適宜必要な道具を使っていたくらいか。


 魔神が倒れた後、学者が言った通り時空が歪み、穴のようなものが現れた。その穴が元の世界に繋がっている保証はなかったが、四人一緒なら元の世界に戻れるまで、何度でも繰り返してやろうと誓い、その穴に飛び込むことにした。


 だが穴は一定以上の大きさには広がらず、人が通れる大きさではなかった。

 恐らく諦めて王城に戻れば、光達は英雄として担ぎ上げられ、王族や貴族と婚姻して栄光を手にする事が出来たのだろう。ただ憂慮すべき事として、魔神亡き後、人同士の争いが始まり、戦争の道具として利用されるであろう事を考えるつくのは容易だった。


 もっとも俺の場合はまた暗殺者として駆り出されるのだろうか、という思いしかなかったが。


 だが俺はもとより、三人ともこの世界に残るつもりは毛頭ないとの事だった。光が、亜咲が、大輝が穴に魔力を注ぎ込み、空間を広げようとする。

 その甲斐あってか、穴は少しだけ広がった。だがあと少しで人が通れるほどの大きさになる。というところで止まってしまう。


 こんな時に役に立てない自分が嫌になったが、何かないかと持っていた道具を漁るが役に立ちそうなものは何もなかった。穴だっていつまでもつか分からない。焦りを感じながら辺りを見回したところ、はあった。


 ――魔神の亡骸。


 更に言えば、その


 恐らく魔眼と呼ばれるものだろう。光達と戦っている間、魔神はなんどもその眼を赤く光らせ、魔法を放っていた。

 魔神が死しても未だ赤色に輝くそれを見た時、俺の心は決まった。元の世界に帰る事が出来るのなら、と。


 幸い痛みには慣れている。元々あってなかったような命だ。失敗しても大した損失にはならない。

 そう考えて俺は魔神の亡骸からそれ・・を抉り取り、続いて自分の左目に指を突っ込んだ。

 三人が俺を見て止めさせようと声をかけてくるが、俺はそれを無視して眼球を抉り取る。

 ブチブチッと何かを引きちぎるような音が妙に頭に響き、当然ながら壮絶な痛みが俺を襲ったが、耐えられないほどではなかった。

 荒い息を吐きながら覚悟を決め、魔神の眼球を自らの空洞に埋め込んでいく。

 神経など通っているはずのないその眼球は、それでも先ほどまでそこ・・にあった自分の眼と同じように、世界を映していく。その色を深紅に染め上げて。


 俺は三人の下に向かい、穴に向かって瞳を向けた。魔力の使い方なんて知らないのに、何故かそれが正しい方法だと理解して。

 俺の行動が功を奏したのか、穴はどんどん広がり、四人が一度に通れるほどの大きさになった。

 三人とも俺に何か言いたそうにしていたが、それを無視して俺は両手を広げ、三人を巻き込んで穴へと飛び込んだ。


 次に気が付いた時はどこかの山の中に四人で転がっていた。ちょうど日が沈み始めた頃で、普通なら不安を感じる場面なのだろうが、なんせ先ほどまで神とまで呼ばれる存在と戦っていた俺達だ。別に怖さは感じなかった。

 少し歩けば人工的な灯りが目に入った。俺達は慌てて駆け出し、元の世界に帰って来たことを知る。


 それから各々自分が住んでいる場所の情報を交換し、帰るべき場所へと帰って行く。

 途中目にした大時計を見て、召喚されてからちょうど一年半ほどが経過していた事を知った。


「――という事なんです……って言っても信じられないですよね」


 はは、と乾いた笑いが自分の口から漏れる。これで呆れられてしまうのであれば、それはそれで仕方ない。


「――小吾」

「はい、――わっぷ」


 再び要母さんに抱きしめられる。だが先ほどとは違い、その腕には力がこもっており、そして少し震えているのを感じた。


「辛かったわね。それに、よく頑張ったわ」

「かあ……さん」


 涙声で語りかけてくる要母さん。きっと彼女は俺の語った荒唐無稽な話を信じてくれているのだろう。そして同時に、哀れんでくれているのだろうか。


「でもそれなら……どうしてすぐに私達のところに帰って来なかったの?」

「え、っと。一応帰りはしたんですが……」


 言って良いものかどうか迷ってしまう。が、その迷いを見破るかのように要母さんが俺に問いかけてくる。


「そう、何かあったのね……」

「はは……ここからは怒らないで聞いて欲しいんですが」


 そう前置きして、俺はこの世界に帰って来た日の事を白状する事にした。

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