第15話

 ゴールデンウィークも明け、肌を照り付ける日差しは初夏の訪れを感じさせる。


 私の名前には夏が入っているが夏はあまり好きじゃない。誕生日も夏真っ盛りの八月ではあるが、今ではその誕生日すら好きじゃない。


 夏は私から安らぎを奪っていったから。

 誕生日がくれば嫌でも寂しくなるから。

 きっと誕生日には家族や友人が祝ってくれるのだろう。

 だけど私と共にその誕生を祝われるべき人がいない。

 それを嫌でも思い出させるから。--嫌い。


 多分私が私である時間はあの時から止まっているのだろう。


  頑張って勉強したおかげで有名進学校に合格した。部活では大会の代表選手にも選ばれた。

 なるほど、傍から見ればなんとも順風満帆な人生を送っているではないか。


 自嘲気味にそんな事を思う。


 私が必死で勉強するのは大学で医学部に入り、外科医になりたかったから。

 私が竹刀を振るうのは共に過ごしたい時間があったから。


 名門校に入りたかったわけでも、ましてや剣道で有名になりたいわけでもない。

 ただ寄り添い、歩いていくためにそれらが必要だっただけなのだから。


 朝食を食べる、登校する。授業を受ける。部活に参加する……毎日変わり映えのしない毎日は少しずつ私を蝕んでいく。

 いつまで頑張れるのだろう。いつまで頑張れば良いのだろう。だけど自問自答は答えをくれない。ただ考えるだけだ。


 今日も同じ一日が始まる。

 朝食を食べる。登校する……そんな毎日に望まない恋愛事という雑音が加わり、ここ最近の私は鬱屈としていた。


「ねえねえ、今日転校生が来るんだって?」

「そうそう、朝見慣れない男子を見たって子がいたけど、すっごいカッコ良かったらしいよ!!」

「可愛い女の子も居たって聞いたよ!!」


 どうやら今日は転校生が来るそうだ。とは言えそれも私の日々には関係のない事だろう。

 私は特に話に混ざる事もせず、一時限目の授業がなんだったか確認し、鞄から教科書を取り出す。

 授業の予習でもしておこうと教科書に目を通していると、担任である稲垣先生が教室に入って来た。


「はい静かに!! 皆さんおはようございます」


 おはようございます。と私は教科書から目を離さず、小さく呟くように挨拶を返す。


「もう見た人もいるかもしれませんが、今日は転校生を紹介します。天翔君、地原君。入ってちょうだい」


 その言葉に私の耳がピクリ、と反応する。

 ちはら? 地原だろうか、それとも千原だろうか。


 内心で期待してしまう心を押さえ付け、必死で前を見たい感情を押し殺す。

 勝手に期待して違ったら私は間違いなく失望してしまう。転校生にはなんの罪もないのだから、それはあまりにも失礼というものだろう。


 だから期待はしないし、関心も持たない。そう決めて教科書のページを捲った。


「それじゃあ簡単で良いから自己紹介をお願いします。じゃあ天翔君から」


 どうやら天翔君が自己紹介をするそうだ。彼が噂のカッコ良い転校生なのだろう事は周りの女の子達の反応から察する事が出来た。


「はい、天翔大輝と言います。訳あってそこにいる小吾……地原と一緒に転校してきました。この辺はあんまり詳しくないので色々教えてくれると助かります。これからよろしくお願いします」


 再び私の耳が、いや肩が跳ねた。

 今彼は"しょうご"と言った。だがあの人に、私の幼馴染に天翔という友人が居た記憶はない。

 だけど……と押さえ付けていた心が顔を出す。


「ねえねえ、凄くカッコよくない?」

「だよねだよね! 背も高いし!」

「私早速話しかけちゃお!!」


 女の子達は天翔君に夢中のようで、もう一人の転校生については触れもしない。せめて、せめて何か特徴だけでも分かれば見なくても……


「じゃあ次に地原君、自己紹介をお願いします」


 私の焦燥をよそに稲垣先生が次を促す。まさかそんな、と期待する心と、期待してはいけないという心を胸に同居させながら、もう一人の転校生の挨拶を待った。

 目の前にあるはずの教科書の文字はもう、頭には入ってこない。


「はい、地原小吾です。さっき大輝も言ってましたが、色々あって一緒に転校してくる事になりました。この辺は割かし地元な方なので大輝をよろしくしてやってください」


 その声。


 私の記憶から遠ざかっていた、忘れかけていたその声。

 いつも少し気怠げで、少しふざけていて、いつも人の事ばっかり……

 教科書を持つ手が震えているのが分かった。


「夏希? どうしたの? 体調でも悪いの?」

「な、なんでもないよ。大丈夫」


 後ろの席の子が私の様子を見て心配したのか声をかけて来る。

 大丈夫とは言ったものの、全然大丈夫ではない。ここまでの状況を用意されて、前を見るなという方が今の私には酷だった。--期待しても良いのだろうか。


「はい静かにしてください! じゃあ天翔君と地原君はお互い知り合いみたいだし席は近い方が良いですね。ちょうど通路側の一番後ろの席が隣同士で空いてますので、通路側が地原君、その隣が天翔君にしましょうか」


 私はちょうど真ん中辺りの席だから、彼とは少し離れた席になる。

 もし彼だったとして私に気付いていないのだろうか。あの頃から背は少し伸びたけど、容姿に関してはそれほど変わっていないはず。もし気付いていて何の反応もないのであればどういう事だろうか。やはり他人なのか……と思考するが、今自分は教科書とにらめっこしているような状況であり、正面からは私の顔が見えない事に気が付いた。

 むしろそんな単純な事に気が付かないほど、今の私は冷静さを失っていた。


 二人の転校生が自分の席へと向かう。


 私は意を決して教科書を閉じ、彼の姿を目にした。

 そこには前髪で目線を隠し、眼鏡をかけた男子生徒がいた。って眼鏡!? しょうちゃん眼鏡なんてかけてなかったよね!?

 彼の顔を見た最初の感想がそれだった。


 我ながら間の抜けた感想だと思ったが、今の心の声が表に出たとすれば、間違いなく私の今までの印象は一変するだろう。それくらい素の自分が出ていたと思う。

 だから確信する。なのだと。もちろん根拠を問われればそんなものはない。だけど私の中ではもう何の疑念もなく、確信へと変わっていた。


 同時にもう一つの疑問に気付いた。

 彼は席へと向かっていた。義足ではなく、引きずるような様子もなく、しっかりとした足取りで。

 それを見て私はつい零してしまう。


「うそ……なんで……?」


 私の言葉に反応したのか、彼がこちらに目を向けた。

 まさか私が居るとは思っていなかったのだろう。彼は一瞬眼鏡の奥にある目を見開いた後、目を逸らすように下を向く。その反応は見知らぬ他人への物ではないはずだ。

 その後誤魔化すように顔を上げた時には、既にその目は私の方を見ておらず、通路側の、自分の席へと向いていた。


 どうして? 何故声をかけてくれないんだろう。何故昔のように微笑んでくれないのだろう。と軽く混乱を覚えてしまうが、転校初日だという事もあり、もしかしたら何か事情があるのかもしれないと逸る気持ちをグッと堪える。


 それでもやはり気になってしまうので彼の方をちらちらと見てしまう。


「あ、やっぱり夏希も天翔君が気になる?」

「ち、違うよ!!」


 どうやら私が後ろを振り返っているのを見て、天翔君を見ているのだと誤解されてしまう。

 ちょうどその時、一時限目の先生が教室に入ってきたため、彼女とはそれ以上会話が続ける事はしなかった。


 その後も何度か話しかけようと試みたが、いつの間に知り合ったのか、一年生らしい女の子が常に彼の下に訪れており、クラス中の好奇の目で見られている中、なかなか話しかけるタイミングが掴めずにいた。


 聞きたい事が沢山あるのに……

 どうやって歩けるようになったのか。何故眼鏡をかけているのか、何故前髪を伸ばしたのか。

 その女の子達とはどういう関係なのか--


 お昼休みにお弁当に誘おうと声をかけるも、なかなか声をかけられずに居た私を見かねたのか、彼の下を訪れていた女の子の内一人が、何か用かと声をかけて来た。

 私はそれを好機と捉え、一緒にお弁当を食べて良いか尋ねようとしたところで、またしても途中で天野君の邪魔が入ってしまった。


 一度はその声を無視したのだが、友人が私に天野君が呼んでる事を伝えに来てしまい、項垂れながら引き下がった事もある。

 天野君は傍から見れば、容姿も整っており、成績も良い上に生徒会の副会長を務めている事もあり、女子からの人気は高い。


 そんな彼が私を名前で呼び、昼休みにわざわざ誘いに来るのだから、それを無視してしょうちゃんの下へ向かえば、尚更好奇の目は強まるだろうし、天野君がしょうちゃんに対して何かするのではないか、という事を危惧してしまった。


 だから私は落胆しながらも天野君の下へ向かい、彼にこういう事をされると困ると伝えた。

 が、案の定と言って良いものか、その訴えは聞き入れて貰えず、彼の中ではまた私が恥ずかしがっていると解釈されてしまったようだった。


 前までの私であれば、強く言えば面倒な事になるかもしれないと諦めていただろう。

 けれど今は状況が違う。私が一緒に居たいと願った人が帰ってきたのだから。


 それに天野君とは一緒にお弁当を食べた事実などはない。呼び出されて応じる事はあったが、その度に理由をつけて天野君と離れ、隠れるようにして一人でお弁当を食べている事が大半だった。


 だから今回も仕方なくそうしたが、今日こそは二度とお昼休みに声をかけてこない欲しいと伝えておいた。


「分かったよ。夏希も一人になりたい時だってあるもんね。じゃあ昼声をかけるのやめておくよ」


 と、恐らく分かっているだろうが引き下がることはないであろう答えを返してきた。


 やはり今まで面倒を避けて来たツケなのだろう。彼にはハッキリと拒絶の意を伝えなければ分かって貰えないのだと痛感する。

 果たしてそれでも大人しく引き下がってくれるかは甚だ疑問ではあったが。


 それから声をかける機会を伺いつつも、何度もタイミングを逃してしまっていたせいか、すっかり私はしょうちゃんに声をかける事に対して臆病になってしまっていた。

 毎日まざまざと見せつけられる女の子達との楽しそうな会話。向こうから話しかけて来ないという事実。


 それらがないまぜになって、私はしょうちゃんと女の子のどちらかが恋仲ではないのかと想像してしまう。

 そして同時に、あちらから見れば、私と天野君が恋仲に見られているのでは? と今更ながらに不安が膨らんでいく。


 ――ズキリと、胸が音を立てるかのように痛んだ。


 何度か母さんや妹であるヒナに相談しようと考え、まずは母さんに相談してみたが。


「難しい事考えてないでとっとと声かけちゃいなさい」


 と呆れられてしまう始末。それはそうなのだが、それが出来ないから相談しているというのに……


「あ、ヒナちゃんには小吾の事はまだ言わないでね。あの子にはサプライズを用意してあるから」


 などと楽しそうに言う始末。

 流石にそれはどうなのかと思ったが、私もその時は疲れていたのかもしれない。母さんが考えてくれているのであれば大丈夫だろう。と。

 日向にこそ誰よりも早く、一刻も早く伝えてあげるべきなのに。


 ――いや、もしかしたら私は嫉妬していたのかもしれない。


 ヒナの立場であれば、仮にあの女の子達のどちらかがしょうちゃんと付き合っていたとしても、特に何の問題もない。

 自分だって事実幼馴染なのだから、幼馴染としての立場が変わる訳ではない。

 そう思ってはいるのだが、じゃあもしそれが事実だった場合、今までのように付き合っていけるのかと考えれば、きっとそれはダメだろうと思う冷静な自分が居た。それがとても怖くて声すらかけられないでいた。


 つまるところ、全部自分のせいなのだ。なのに人を羨み、あまつさえ嫉んですらいる。

 まったく自分はこんなに醜い女だったのか。と自嘲し、結局ヒナに伝えてあげる事すらせずに自分の部屋へと戻っていく。


 ――いつかヒナにはちゃんと謝ろう。


 それで軽蔑されてしまうのであれば、辛いけど仕方がない。だって自業自得なのだから。


 陰鬱とした気持ちの中、ベッドの上で目を閉じる。


 簡単に出来るはずの事が簡単に出来ない。そのもどかしさに身を焦がしながら。


【あとがき】

ちょっと書き忘れてたので追記です。

いつもお読みいただいてありがとうございます。


本日で投稿から2週間が経ちましたが、皆さまのおかげでジャンル別週間一位とカクヨムコンのラノベ部門7位まで上がることが出来ました。


カクヨムコンに関しては自分の周辺がほっとんど書籍化経験のある作者様で、これこの人の作品だったのかぁってレベルで知ってる人ばっかでした。超こわい。


とは言えこんなこわいところに入り込めたのも皆さまのおかげですので、今年の年末を良い気分で終えられそうです。まさに感謝の極みです。


これからも読んでいただけたらありがたいです。よろしくおねがいします!!

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