第8話

【前書き】

7話目の時間指定ミスった!!!!


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「ぐっ、ううあああ……」

「小吾!!」


 声をかけるが反応がない。


「しっかりしなさい!! 小吾!!」


 僅かにこちらの声が届いたらしい。下を向いていた顔がこちらを向く。その顔は記憶にある通り、懐かしい少年の顔に違いなかった。


 ――ただ、一部を除いては。


 こちらに向けられたその瞳の色が真っ赤に染まり、いや、光を放っていたというべきだろうか。この暗い部屋にあって、尚の事その赤が異様を放つ。あまりにも鮮やかな赤い瞳に僅かながら恐怖を感じてしまうが、すぐに我を取り戻す。


「小吾!! しっかりしなさい!!」


 どうやら今度は言葉が届いたようだ。苦痛に歪んでいた表情が徐々に和らいでいくのが見て取れる。


「……おばさん、なんでここ」


 人の気持ちも知らず、開口一番におばさん呼ばわりしてくれた親友の息子に対し、一年半振りのげんこつを見舞ってやる。


「にっ!?」


 なんでここに、と言ったのだろうが、それはこちらのセリフである。


「おばさん?」


 ああ、この子は確かに小吾だ。と実感し、ようやく私の表情も笑顔を浮かべる事が出来た。


「か、かなめさ――」

「違うでしょ?」


 どうやらもう一発入れなければならないのだろうか。と思い、彼に対してニコリと微笑みを向けてやる。恐らく小吾ならば、微笑んだ理由も分かるだろう。私が怒っていると。


「……要母さん」

「はい、よくできました」


 ちゃんと言えたご褒美に頭を撫でてやる。小吾は恥ずかしそうにしているものの、その手を払いのける事も、逃げる事もせずに、ただされるがままとなっていた。


「とりあえずさっきの事とか、その真っ赤な眼の事とか、いつ帰って来たのかとか、足の事とか聞きたいことは沢山、それはもう沢山あるけど」


 小吾の頭から手を放す。恥ずかしがっていたクセに名残惜しそうな眼を向けた彼を見て、ようやくが帰って来た事を実感した。


「おかえりなさい、小吾」


 ようやく言う事が出来たその短い言葉に想いを込めて。同時に小吾を抱きしめ、確かにそこに在る事を身体全体で確認する。

 きっと小吾も辛かったのだろう。抱きしめられたまま抵抗する事もなく、小吾はただいまを言うとともに泣き出してしまった。

 私は彼を抱きしめたまま、涙が止まるのを待った。


 そうして数分ほどそのまま泣き続け、ようやく落ち着いたのか、小吾が身じろぎする。私は彼から身体を離し、これまで何があったのか聞いた。


 彼は「信じて貰えるかは分かりませんけど」と前置きし、私にこの一年半の事を語ってくれた。


 全てを聞いた私は、確かに一概に信じる事は出来ないと思った。そのあまりの荒唐無稽さに。

 けれど事実として彼はここに居て、医者から二度と動かないと言われた足も動いているし、何よりその瞳--今はその色を潜めているが、あの赤く光る眼を見せられれば信じる他はないと感じた。

 何より小吾がそんな嘘を言うとは思えなかったし、理由もなかった。

 ならば親としては信じるしかないだろう。私は先ほどより強く小吾の身体を抱きしめた。


「辛かったわね。それに、よく頑張ったわ」


 本当によく頑張った。どんな想いで過ごしてきたのか私には想像もつかない。けれどこの子はここに戻って来る事を望んで戻って来てくれた。それが何よりも嬉しい。

 でもそれなら、まず最初に帰って来るべきはこちらの家ではなく、私達の家ではないだろうか。


 気になった私はその事を聞いてみた。

 小吾は怒らないで聞いて欲しい。と前置きし、こちらへ帰還した当日の事を語ってくれた。

 最後まで聞き終えた私は間違いなく怒っていただろう。


「あんの……バカ亭主っ!!」

「ひっ!」


 小吾が怯えた声を出すのが聞こえたが、正に憤懣ものである。あの人は何も理解していない。ヒナを養子にしたのは小吾が居なくなって自分が孤独になってしまったという気持ちにさせないためだったし、いずれ夏希と小吾が一緒になるのなら、結局は兄妹という関係に戻るから問題ないと思っていた。それに小吾が帰って来た後にヒナ自身が養子縁組を解消したいという事であれば、快くそれを受け入れるつもりだったのだから。


 なのに小吾とヒナを引き離す為にやったかのような言い分は、我が夫ながら理解出来ない。


 大体夏希も夏希だ。天野君は確かに恩人かもしれないし、夫の会社からしても取引先の息子だから無下に出来ない事は理解出来るが、周りに対して違うなら違うと言えば良い。

 こんな状態では小吾を家に連れて帰ることなど出来やしないではないか。


 その旨を小吾に伝えたところ、彼もそのつもりであったらしく、逆に気を使わせて申し訳ないような表情をさせてしまった。

 まったく……子供にこんな表情をさせるなんて母親失格ね。


 ふと台所に目をやれば、料理をした形跡があった。いつの間にか自分の食事くらいは作れるようになっていたらしい。

 小吾は「必要でしたからね」と苦笑するが、その笑い方は社会に疲れた大人がするような乾いた笑いに見えて、ああ、この子は大人にならざるを得なかったんだろうな、と不甲斐なさを感じてしまう。


 とりあえずはヒナと一度会うようには言っておいた。それこそ血の繋がった兄妹なのだから会わない理由もない。

 ヒナに新しい友人が出来た事を伝えたところ、どうやらその友人とは小吾と共に召喚されてしまった内の二人だと言う。

 私はその事に驚いてしまったが、同時に心の中で一つの企みを思いついた。それに関しては小吾には黙っておき、当日存分に驚いて貰うとしよう。


 その後は小吾がこちらに帰って来てからの生活の事を聞いたりしていたが、いつの間にか私が最近の夫に対する愚痴を吐くのが趣旨になってしまった。いつの間にか話を聞くのが上手くなったのね……


 ――そして思考は現在に戻る。


 夏希とヒナは自分の部屋に戻っており、リビングには私と夫の二人のみとなっていた。


「そういえば巽さん。小吾が帰って来ていた事を知ってたんですってね」

「……会ったのか」

「親が子供に会わない理由がないでしょう?」

「別に隠していたわけじゃない。ただ言わなかっただけだよ」

「そう、じゃあ言わなかったのは何故?」

「言う理由がないじゃないか」


 よくもまあいけしゃあしゃあと。お皿でも投げ付けてやればいいのかしら。


「夏希もヒナも喜ぶに決まってるじゃない。娘達を喜ばせる事は理由にならないの?」

「喜ぶとは限らないだろう。夏希も天野君と仲良くしてるし、今更彼が戻ったところでややこしくなるだけだろう?」

「それは本人が決める事で私達が決める事じゃないと思うのだけれど?」

「娘の幸せを願う事の何が悪い?」


 娘の幸せ? そんなの好きな人と一緒になる事に決まってるじゃない。もしかしてこの人はお金持ちの家に嫁ぐのが幸せだとでも思っているんだろうか。


「それは貴方が勝手に思い込んでるだけでしょう? 夏希には聞いてみたの?」

「夏希も年頃の女性だ。聞いたところで素直に答えるとは思えない。それに」


 夫は一呼吸分、間を空けて


「――肝心な時に夏希の傍にいなかった彼には失望した」


 恐らくそれは例のストーカー事件の事を言っているのだろう。確かにその時小吾がいれば襲われそうになる事もなかっただろう。でも――


「――そう、なら私達も親失格ね」

「何故だ? 君の言っている事が理解出来ないんだが」

「私達もその時何もしてやれなかったでしょう? 何より小吾は幼馴染で他人だけど、私達はそれより近い存在のはずよ。なのにあの子を守ってあげたのは私達じゃない。なら私も、それに貴方だって失望される側だと思うわ」

「……それは」

「まあ、貴方がどういうつもりなのかは分かりました。結局娘が取られるのが嫌だったんでしょう? そのクセ相手が取引先の息子だからって勝手に娘の幸せだとか言って。仕事では貴方は優秀かもしれないし、男性としても良い人なのかもしれない。けれど父親としては――」

「君に何が分かる」

「分からないし、分かるつもりもないわ」

「……事情すら聞くつもりはないと?」

「貴方は小吾の話を聞いたの?」

「……」


 こうなった時の夫は何を言ってもこちらの言い分を認めようとはしない。これ以上話しても無駄だろうと思い、私は寝室へと向かった。


「だったら私はどうすれば良かったと言うんだ……ッ」


 そもそも"どうすれば良かった"なんて取返しのつかない過去の事を考えている時点で解決する事はないだろう。せめて"どうすれば良い"だったら救いもあったと思うけれど。


 私はそれ以上夫の事を考えるのを止め、明日うちに来るという二人の少女がどんな子か想像を膨らませながら眠りについた。

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