35話
「ちょっと待ってくれ!!」
亜咲に連れられて部屋を出ようとしたところで、若い方の男の人から声がかかった。
亜咲の様子を伺うと、流石に無視するつもりはなかったのか、亜咲もその声に反応して足を止めていた。
「なんでしょうか。もう既に話は終わったと思いますが」
「誤解なんだ!! 確かに家同士の繋がりは大事だと思うけど、僕は別に亜咲さんが思うような打算があって、このお見合いに来たわけじゃない!!」
「家同士の繋がりを意識する時点で、打算がないと言うのは無理があると思いますが……」
亜咲が何をいまさら、といった風に小さくため息を吐いた。
「そもそもですが、正義さんが仰っている打算の有無にかかわらず、私は元々縁談を受けるつもりはありませんでしたし、先のやり取りでご理解頂いたと思いますが、既に私は相続権も放棄しています。ですので四條家側からしても、この話を続ける事にメリットはないと思いますよ」
若い方の男性--正義さんというらしい。実際に誤解なのかどうかはさておき必死で釈明しているが、亜咲は取り合うつもりもないようだ。
「大体彼は何者なんだい? 君も急に飛び込んで来て失礼だとは思わないのか!?」
これに関しては至極真っ当な意見だった。理由はどうあれ、大事な話の場に乱入というのは失礼極まりない行為だとは思う。
「あ、それはすいません。失礼な事をしたとは思ってます」
自覚はあったので謝罪はしておく事にした。
「けど謝って許して貰える事でもないでしょうし、許して貰うつもりもないです。恨まれるのはそこそこ慣れてるんで、恨んでくれて良いですよ」
だが二度と会うかどうかも分からない人に、許しを請う必要性も感じなかったので、許してくれなくても結構だと告げておく。
挑発だと取られるのであればそれでも構わない。
「それに小兄様が何者かは、先ほど私から申し上げたと思います。彼は私の伴侶となるべき方で--」
「それはこの話を断るための口実なんだろう?」
「と、仰いますと?」
「確かに、亜咲さんの年齢で将来の相手をお見合いで決めるというのは抵抗があるのかもしれない。けどこんな嘘の理由を用意してまで、この話を台無しにするのは性急だと思うんだ」
つまり正義さんは、亜咲がお見合い自体をしたくないから、俺を理由にして縁談を断る為の演出をしたのだと言いたいらしい。
「それにお見合い自体はこれからお互い相手の事を知っていくための、きっかけでしかないと思うんだ。だから今すぐ縁談を、というわけではなくて、もっと落ち着いて話をしてから、断るかどうか決めても遅くはないんじゃないかな?」
「そうですね。正義さんの仰る事はごもっともだと思います」
少々意外だったのは、正義さんの言い分に対し、亜咲から肯定の言葉が飛び出した事だ。
何故意外だったのかって? そりゃあ亜咲が服の裾を指で摘まんでるんだもの。
だから俺はてっきり、亜咲が正義さんの言い分をバッサリと否定するのかと思っていた。
「ですが--」
が、そう思っていたのも束の間の事、やはり肯定するだけでは終わらないらしい。
「お見合いはきっかけであるとは言え、やはり縁談を前提とした場だと思います。で、あれば私には不要ですし、これからお互いを知る必要も感じません。それに嘘の理由を用意してまで、と思われるのはそちらの自由ですが、当人からすれば甚だ不愉快です」
「つまり彼とは本当に恋人の関係であると?」
「恋という段階はとうに過ぎていますので、愛人というのが正しいかもしれません」
「おいちょっと待て亜咲」
亜咲ィ!? 何言ってくれちゃってんの!? と、流石にこれには俺も心の中で叫ばざるを得なかった。
ほら見ろ。周りも開いた口が塞がらないって感じの表情になってるじゃないか!!
「あ、愛人……?」
「ええ、もちろん愛する人、という意味での言葉ですが。まあ、どのような意味で捉えて頂いても結構です」
更に煽るかのように爆弾発言を投下する亜咲。いやいかんでしょ。と思いつつも口は出さないでおく。
「じょ、冗談はそのくらいにして欲しいな。大体それを証明出来るのかい?」
「証明、と言われましても。ここで子作りをしろとでも仰るのですか?」
「その発想はおかしい」
これには俺も突っ込まざるを得ない。何故俺がツッコミに回らなくてはならないのかは甚だ疑問ではあるが。
っていうか俺がここに来た目的ってなんだっけ……?
予定ではお見合いの場に突入して、無理にでも亜咲を連れて帰る予定だったのだが、予想とは大きく異なり、逆に俺が亜咲を諌める立場になっていた。
「そ、そこまでは流石に……他にもあるだろう? 例えばキ--」
「むぐっ!?」
正義さんの言葉を予想していたのか、唐突に顔を寄せてきた亜咲によって口が塞がれた。
同時に感じたのは唇と唇が触れた柔らかい感触……っておい!?
あまりにも突然過ぎる上に、ムードも何もない状況だったために一瞬何をされたのか分からなかった。
だが今にもぶつかりそうなくらいに亜咲の額が近くにあり、更に唇に感じる柔らかい感触とくれば、何をされたのか分からないはずもない。
俺は亜咲からの急なキスに困惑したものの、だからと言って亜咲を引き剥がすわけにもいかず、完全にされるがままとなっていた。
というよりも固まっていたという方が正しいかもしれない。頭の方は混乱も徐々に収まり、そろそろ亜咲も唇を離してくれるだろうと思っていた時。
--にゅるり。と、口内に柔らかくてざらついた何かが侵入してきた感触があった。
流石にその感触に危険なモノを感じた俺は、慌てて亜咲から顔を離した。同時に呼吸を忘れていた事を思いだし、ぷはっ、と息を吐く。
当の亜咲を見れば、彼女は物足りなさそうな顔をしているのが伺えた。恥ずかしがるでもなく、残念そうにしてるってどういう事だよ……
「これでよろしいでしょうか?」
「あ、ああ。そこまでされると、流石に何も言えないね……疑って申し訳ない。この話はなかった事に。父さん、帰ろうか……」
「ま、正義!! 待ちなさい!! 九条さん、この件は必ず後日に説明して貰いますからな!!」
「四條さん!? 待ってください!!」
意気消沈と言った様子で、父親の制止の声も聴かずに部屋から出ていく正義さん。まさに心ここにあらずといったところだろうか。
その正義さんを追いかけるように、正義さんの父親と、亜咲の母親がバタバタと騒ぎながら部屋から出て行った。
結果、俺と亜咲の二人がこの部屋に取り残される形となってしまう。
「っていうか、今絶対舌入れただろ」
「本来キスとはそういうものでは?」
いや本来って言われても知らんがな。それよりも何故今ここでそこまでする必要があるのか問い詰めたい。
「俺初めてだったんだけど?」
逆に何故亜咲があんなに手馴れているのかが分からない。ひょっとして前に誰かと……? と考えて少しモヤッとするのが分かった。別にファーストキスにこだわりがあったわけではないが、いくらなんでももう少し雰囲気とか場所とかこう、あるだろう? と思ってしまう。
「初めて、とは?」
「だからさっきの、キスだよキス。亜咲は初めてじゃないのかもしれないけど、俺は今までキスなんてした事なかったんだって」
もしかしたら嫉妬だったのかもしれない。つい余計な事まで口走ってしまった。
「ああ、なるほど。そういう事ですか」
亜咲は最初、何を言ってるんだろうと言いたげな表情で俺を見ていたが、やがて得心がいったかのように頷いた。
「確かに初めてというわけではないですね。むしろ何度もした事があります」
「そうなのか……」
先ほど感じたモヤモヤとした感情が、少し大きくなる事を感じた。
亜咲が過去に誰とどういう関係があろうが、今の亜咲には関係がない事なんだろう。自分にそう言い聞かせるが、だけどそれでも気になってしまう。
「亜咲はその、初めての相手とは、どういう関係だったんだ?」
聞けば後悔するかもしれない。あるいは亜咲に嫌がられるかもしれない、と思いながらも、俺は聞かずには居られなかった。
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