幕間--七海夏希--

※これで登場人物の幕間は終わり、次話で一章完結です。


「ただい−−わっ!!」

「夏希!!」


 よほど心配してくれていたのだろう。私は帰宅早々お母さんに抱きしめられた。

 心配かけた事を申し訳なく思うと同時に、無事帰ってこれた安堵と嬉しさに涙がこみ上げてくる。


「心配かけてごめんね……っ」

「事情はヒナからも聞いたわ。ヒナもご苦労様。夏希を助けてくれてありがとう」

「私は特に何もしてなかったけど……」


 ヒナは謙遜しているがそんな事はない。あの場に来てくれただけでも勇気の要る事だったと思う。


「お礼を言うのが遅くなっちゃったね。ヒナちゃん、ありがとう」

「夏希お姉ちゃんまで……私達は家族なんだから当たり前だよ!!」


 と、更に私を喜ばせる言葉を口にする。

 ここにしょうちゃんが居ればなぁ。とは思うが、帰りの車で少しだけ事情を聴いた今では、私達に心配をかけまいとしょうちゃん自身が決めた事だから仕方ない。

 もっとも、事情を知った今だからこそ、近くで支えて上げたいと思う気持ちが強いが。


「あれ? そういえばおじさんは?」


 ヒナが疑問を口にする。

 そういえばお父さんもお母さんから事情は聴いているはずだ。だとしたら心配をかけたはずだし、帰宅したとなれば飛んでくると思っていたのだが……


「ああ……あの人なら出て行ったわ」

「「え!?」」


 お母さんは少し疲れた様子でお父さんが出て行ったと告げた。

 急な事で何があったのか、予想もつかない私はただ混乱してしまう。


「それより疲れたでしょう? 飲み物を用意するからリビングで待ってなさい。あ、夏希は足を怪我してるんだったわね。ゆっくりでいいわよ」


 お母さんに促されるまま、私とヒナちゃんはリビングにあるテーブルへと向かい、椅子に腰をかけてお母さんを待った。

 ほどなくしてお母さんが三人分のコーヒーを入れてやってくる。

 私はミルクと砂糖を入れ、スプーンでカップの中をかき混ぜながらお母さんが話し出すのを待っていた。


「ごめんね。こんな事になるとは思ってなかったんだけど−−」


 そう前置きしてポツポツとお母さんが話し始めた。


 お父さんがしょうちゃんを受け入れず、追い出すように実家へ帰した事。

 今日の出来事の主犯が天野君だった事を受け入れなかった事。

 私の事を心配しながらも取引先である天野病院との関係を気にしていた事……


 特にお父さんがしょうちゃんを追い出した事を知らなかった私は、その事実に愕然とし、次いで怒りが湧いて出た。

 せめて私達に一言くらいあっても良いのではないか。ましてやヒナちゃんに関しては実の妹だ。いくらなんでも人道にもとるとすら思えた。


「そんな……おじさんが……」


 ヒナちゃんも唇を噛みしめ、悲しそうな顔をしていた。それはそうだろう。今までお父さんはヒナちゃんに対して、それこそ実の娘のように可愛がっていたように思う。

 それなのに実の兄が帰還した事を知らせもしないなんて、我が父親ながら信じられない裏切りだ。


「あの人が小吾とヒナの対応に差をつけているのは事情があるのだけれど……ごめんなさい。それは私達の過去の話だから」


 申し訳なさそうにお母さんが私達に謝罪する。

 詳しく話さないということは、まだ話す気になれない。あるいは話すべきではない、という事なのだろう。

 本当は聞きたい気持ちもあったが、きっといつか話してくれるだろうと信じてこちらから追及はしなかった。


 それにお父さんは私と天野君の関係を進めようとしていた節がある。

 だからすぐには信じられないだろう気持ちは分からないでもないが、だからと言って、ヒナちゃんがお母さんに連絡していたところには居たんだろうし、そのお母さんから伝えたのだから、状況からしても信じない理由もないと思う。


 加えて天野病院との関係を気にしていたという点。これに関してはもはや擁護する事は出来ない。

 確かに仕事は大事だと思う。私達もお父さんやお母さんが仕事をして、養ってくれているからこそ不自由なく生きていける事は理解しているし、感謝もしている。

 けれどそれとこれとは話が別だ。

 内心がどうあれ、少なくとも家族の前では家族を一番に考えるべきではないだろうか。それとも世の中の父親が全て仕事のために生きているのだろうか。


 思えば天野病院と取引するようになってからか、お父さんは仕事を優先する事が増えた。その頃には私も中学生になっていたし、構ってくれなくて寂しいというような感情はなかったが、一緒に食事をとる事も減っていったと思う。


 極めつけは天野君との関係だろう。

 結果として、ストーカーの正体は彼であった訳だが、変質者に襲われかけた私を助けてくれた事実においては感謝している。

 でもだからといって、それほど面識のない彼を私に勧める必要はあったのだろうか。


 結局のところ、お父さんは私の幸せのためだと言いながら、仕事の事しか考えてなかったのかもしれない。

 仕事を頑張るのは家族のためと言っていたが、最近のお父さんを思い出せば、手段と目的が入れ替わっているとも感じた。


「でもお母さん。お父さんがどこに行ったかは……」

「知らないわ。でもすぐには帰ってこないでしょうね」


 それから、とお母さんが続けた。


「本当は小吾の事があってからずっと考えてたんだけど−−」


 そう前置きして、お母さんは一枚の紙を取り出した。


「これって……」

「本当は二人が高校を卒業してからと思ってたんだけどね。今日の事で確信したわ」


 少し暗い緑の紙、という第一印象だったには、ハッキリと"離婚届"と印字されていた。


「今日でなくても、とは思ったけれど、あの人がいない今が良い機会だと思ったの。夏希、ヒナ。貴女達はどうしたい?」


 お母さんの瞳には少しの不安が見て取れた。だがどちらを選ぶかなど、聞かれるまでもなく答えは決まっている。


「もちろん私はお母さんについていくよ」

「私も……」

「ヒナ、貴女は小吾のところに戻っても良いのよ? 戸籍だって戻して上げられるし−−」


 それが当然の選択だろう。と私も思った。私はともかく、ヒナちゃんは地原の姓に戻して上げた方が良いのではないだろうか。


「ううん、お兄ちゃんとはいつでも会えるし、私だって二人の家族なんだから」

「ヒナ……」


 ヒナちゃんの言葉にお母さんは目頭を拭う。ヒナちゃんがそこまで私達の事を想っていてくれたなんて……

 私も釣られてつい泣きそうになってしまった。


「あっ!!」


 急にヒナちゃんが大声を上げた。


「そうだよ!! みんなで地原の家に行けば良いんだよ!!」

「え?」


 名案とばかりにヒナちゃんが胸を張る。確かに今はしょうちゃんが一人で暮らしているが、ヒナちゃんにとっても実家なのだから、戻る事自体に問題はないだろう。だが……


「えっと、ヒナ? それはとてもありがたいんだけど、小吾が困るんじゃ……」

「でも私だってみんなと一緒に暮らしたいし、お兄ちゃんだって事情を話せばきっと受け入れてくれるはずだよ!!」

「まあ小吾なら嫌とは言わないでしょうけど……」

「それに夏希お姉ちゃんだって、せっかくお兄ちゃんと話せたんだから一緒に居たいでしょ? ね!?」

「う、うん。そりゃあ私だってそうしたいけど……」


 すっかりヒナの勢いに圧倒されてしまい、私達母娘は歯切れの悪い返答となってしまう。


「そうと決まれば早速お兄ちゃんに……」

「ま、待ちなさいヒナ。まだ何の準備も出来てないんだし、小吾には私から話すから、ね?」

「そ、そうだよヒナちゃん。私だってまだ心の準備が……」


 なんなら今からでも地原家に押し寄せんばかりのヒナちゃんを諌め、一先ずこの結論は後日に、という事になった。


「ああ、そういえば夏希。結局小吾とは話せたのね?」

「あ、うん。まさかこんな事になるとは思ってなかったけど、ちゃんと"おかえりなさい"言えたよ」

「夏希お姉ちゃんずっとお兄ちゃんに抱き着いてたもんねー」


 ヒナちゃんから爆弾が投下される。


「あらあら、それは良かったわねえ」


 先ほどまでの空気はどこへ行ってしまったのか。ニヤニヤといやらしい笑い方でお母さんが私を見てくるのが腹立たしい。


「もう!! 話はこれで終わりだよね!! 明日も学校だから寝る!!」

「はいはい、それもそうね。もう寝る時間ね」


 これ以上からかわれる前に話を切り上げ、私は自分の部屋へ向かおうと椅子から腰を上げた。


「あ、そうそう夏希」

「なに? これ以上からかうなら私喋らないからね」


 念のために釘を刺しておく。


「今度はちゃんと捕まえておくのよ?」

「……うん」


 真面目なのかからかわれたのか判断しかねたが、元よりそのつもりだ。もう二度とあんな思いはしたくない。


「ふふ、それじゃおやすみなさい。夏希、ヒナ」

「おやすみなさい」

「おやすみなさーい」


 おやすみの挨拶をして私達は寝室へと足を運ぶ。

 ヒナちゃんに言われたからではないが、私はしょうちゃんに抱き着いた時の感触を思い出し、頬が緩むのを自覚してしまう。


 どこか頼りなかった記憶の中の少年は、いつの間にか引き締まった男の身体になっており、すっかり大人の顔へと変わっていた。

 その変化に胸が高鳴ってしまい、抱き着きながらも半ば放心していた事を思い出す。


 急な変化に戸惑う気持ちはあったが、それでもようやく話せたしょうちゃんは、やっぱりしょうちゃんだった。

 きっと明日からは普通に会話も出来る事だろう。


 私は明日からの学園生活に胸を躍らせ、眠れぬ夜を過ごすのだった。

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