23話
色々と耳に入ってくる雑言を無視しながら校門をくぐり、昇降口で上履きに履き替えたところで亜咲と分かれた。
一年生は一階、二年生は二階、三年生は三階……という風に、学年が上がる毎に階段を上る段数も増えていく。
だが一階で過ごした事のない俺は少し損をした気持ちになる……ってあれ? よく考えたら俺も大輝も高校一年生の単位取ってないけど二年生からで大丈夫なの!?
よくよく考えたら絶対おかしいと思うが亜咲のやる事だから特に疑問視していなかった。かなり毒されてるんじゃなかろうか。
とは言え今更一年生からやり直すと言い出すわけにもいかないし、なんとか授業に食らいついていくしかないわけで……道理でわかんないとこ多かったわけだよ……
ため息を吐きながら階段を上る。上った先すぐの二年一組に入れば、それはそれで案の定クラス中の視線が刺さるのが分かった。視線には敏感なんだ、俺……
原因は言わずもがな、隣にいる幼馴染様の存在である事は間違いない。
今までの人生であまり注目を浴びた事のない俺は、昨日から突き刺さる好奇の視線や嫉妬、羨望の視線に対して早くもうんざりしかけていた。
今のところ何か実害があるわけではないので無視を決め込んではいたが、ナツや大輝はいつもこんな視線に晒されてよく平気でいられるもんだと感心してしまう。
一方その二人はと言えば、ナツはいつもの友人と話しており、大輝はいつも通り女子生徒に囲まれていた。
ナツと離れてしまえば俺個人に興味はないのか、ようやく周囲の視線が外された事を感じた。だが精神的な疲労でもあったのか、席について早々机に突っ伏してしまう。
人の噂も七十五日とは言うが、だとしてもあと七十五日もあるのは非常に面倒だと思った。
そしてその平穏を感じていたのも束の間の話で、今日も休み時間毎に光や亜咲が訪ねてきてはまた視線を集め、そこにナツが会話に混ざってきてまた視線が増え……と、クラスの注目を集める事になってしまったのはもはやご愛嬌だろう。愛嬌もへったくれもないがそうでも思わないとやってられん。
そんな午前中を乗り切り、昼休みは大輝でも誘って学食へ行こうと思い、声をかけた時だった。
「おーい大輝、今日も学食行くだろ?」
「あー、すまん小吾。今日は弁当あるんだわ」
と、俺に弁当の包みを見せて来た。
「珍しいな。大輝が弁当なんて初めてじゃないのか?」
「まあこの学園に来てからはそうだな」
ということは中学生時代には弁当だった事も珍しくはないのだろう。
そういえば俺達四人はそれほど家庭の話はしてこなかったが、大輝に親がいないという話も聞いていなかったので、そりゃ母親がいれば弁当を作ってくれる事くらいはあるか。と一人で納得していた。
俺はといえば、先週は自分で
やはり学生向けという事もあり、量の割には安いし、私立だからか思っていた以上に味も良かったので、これからはちょくちょく学食を利用しようと思っていたのだ。
ただ光や亜咲からはブーイングの嵐だったが……
「小兄ー、一緒にお弁当食べよー!!」
と、俺の心の声を読んだかのようなタイミングで光がやってきた。どうやら亜咲も一緒のようだ。
「悪い、今日も学食なんだ」
「えー? 小兄昨日も学食だったじゃん!!」
「光さん、大丈夫ですよ」
と、亜咲が光を窘めていた。大丈夫とはどういう事だろう?
「しょうちゃん、みんなでお弁当食べよ?」
ナツまでやってくるが、俺は今日弁当ないんだから学食に……
「ほら、しょうちゃんの分もお弁当作ってきたから」
--行く理由がなくなったようです。
亜咲、お前この事知ってたな?
「なにィ!? 七海さんの手作り弁当だとォ!?」
ガタッ!! とそこら中から興奮した男子生徒が立ち上がる姿が見えた。
ナツよぉ……嬉しいんだけどせめてその
「お、小吾も弁当か。じゃあみんなで一緒に食べようぜ」
「みんなでおべんとーおべんとー!!」
そう言って大輝が自分の机を俺の方に寄せて来る。
まだ何も言ってないのに光が俺の机を大輝の机を合わせ、その辺の空いた椅子を持ってきた。
俺と大輝の机を四人で囲むような形と言えばいいだろうか。
「せっかく作ってくれたならありがたく頂くよ……って流石に四人だとちょっと狭くないか?」
まあでも四方に分かれればそこまで気にするほどでも——
「お兄ちゃーん。光ちゃんがお兄ちゃんとお弁当食べるって言ってたから来たよー」
「……五人だと大分狭くないか?」
詰めれば無理な事はないだろうがかなり狭いと思う。
「だったら私と亜咲ちゃんがお兄ちゃんの片足に座れば——」
「却下。っていうかどうせ椅子借りるなら机も借りてしまえば良いか……」
未だに名前も憶えてない誰かの机を引っ張ってきて俺と大輝の机の横に寄せた。すまん田中(仮)君。出来るだけ汚さないようにするから、ちょっと机貸して貰いますね。
というか光、お前俺が足怪我してたの知ってて言ってんだろ。もうなんともないからいいけどかなりタチ悪いぞ? そういうとこだかんなマジで?
内心で光に悪態をつきつつ、ナツに貰った弁当の包みを解き、弁当箱を開く。
中身は卵焼き、から揚げなどオーソドックスなおかずと、少し手間が伺える小さなハンバーグに、ポテトサラダが入っていた。
これ朝から作ったんだとしたら結構時間かかったんじゃ……
ふとナツの弁当を見れば、俺と同じおかずの構成だった。もっとも量は俺の方が多くなっていたが。
そういえば、と思いヒナの弁当を見たところ、やはり俺達と同じ内容だった。そりゃそうか、まとめて作った方が効率良いもんな。
「ナツ、これ結構時間かかったんじゃないのか?」
「そ、そんな事ないよ? ほら昨日の晩御飯の残り物とか」
「いくらなんでもその誤魔化し方はないと思う」
お前昨日うちで焼肉食ってただろ!? なんなら要母さんもいたし!!
「うっ、ま、まあ私が好きでやってる事だから」
「それなら良いんだけどさ……朝もうちで朝ご飯準備してくれてるし、それに加えて弁当もってなると大分無理してるんじゃないのか?」
「大丈夫、早起きは得意だから!!」
そういう問題なのか? と納得出来るような出来ないような理由で押し切られてしまう。
だが俺はこの時、自分が失言していた事に気付く。
「おい、アイツ今なんつった!?」
「七海さんが朝ご飯を作りにアイツの家に……?」
「やっぱり昨日のアレは本気だったのか!?」
……もう何とでも言ってくれ。
外野に余計な情報を与えてしまった俺は、もはや諦めの境地に達しつつ、ナツの作ってくれた弁当を楽しむ事にした。
卵焼きは少し醤油を入れ過ぎたのか塩味が濃く感じたが、そこまで気にする程ではなかったし、から揚げも同様に少しだけ醤油からく感じたが十分美味しい。
ハンバーグは火を通し過ぎたのか少し固く感じたが普通に美味しかった。ポテトサラダは時間が足りなかったのかじゃが芋が潰し切れてなかったりもしたが、これはこれで芋を食べてるって感じがして俺的には好きな方だった。ってひとつひとつに感想つけてどうする。小姑じゃあるまいし。
「お弁当どう? 変な味とかじゃない、かな」
「うん美味い。ちょっと味が濃かったりするかなって気はするけど、これはこれでご飯に合うし」
実際のところ、これが正直な感想だ。
むしろ料理が苦手だった記憶のある幼馴染が、ここまで上達した事の驚きの方が大きい。
「そっか、良かったぁ」
そう言って嬉しそうな表情で微笑むナツ。久しく見ていなかったその表情を不意に見せられ、思わずドキリとしてしまう。
「それにしても夏希お姉ちゃん、随分料理上手になったよね?」
「だな。中学生の頃はとてもじゃないけど弁当なんて任せられなかったもんなぁ」
「え? 夏姉って料理苦手だったの?」
「意外ですね。てっきり夏姉様はなんでもそつなくこなしそうなイメージがあったんですが……」
確かに今のナツを見てれば不得意な事はなさそうに見えるだろう。
まあ最近化けの皮が剥がれて来てるように見えなくもないが……
「そんな事ないぞ? 昔は砂糖と塩を間違えるのなんか当たり前で——」
と、ナツがやらかしたエピソードを語り始めた時だった。
「お昼休み中ごめんなさい。七海夏希さんは居るかしら?」
教室の入り口から聞こえてきたその一声で、騒がしかった教室がピタリと静けさを取り戻した。
どうしたのだろうと声のした方を見れば、一人の女生徒が立っていた。
未だに同学年どころかクラスメイトの顔と名前すら一致していない俺が言うのもなんだが、あまり見た事のない顔だったと思う。少なくとも俺の記憶にはない顔ですね。
「あれって生徒会長じゃ?」
「え? じゃあ九条
「ああ、あの女帝とか氷の女王とか呼ばれてる……」
周囲のひそひそ話に耳を傾けてみれば、教室に入ってきた女生徒は生徒会長らしい。
九条という姓からして、恐らくは亜咲とも関係があるのだろうか。それにしても、わざわざナツを訪ねて来たというのはどういう用件なんだろう?
ナツと亜咲の方を見てみれば、ナツは何で自分に? というような表情をしていたし、亜咲はと言えば、あえて無関心を装うかのように、黙々と弁当に手を付けていた。
「えっと、七海は私ですが何か用でしょうか?」
「ふうん、貴女が七海さんね」
自分から訪ねて来ておいて随分な態度だと思った。多分あんまり好きになれないタイプだな。
「お昼休み中にごめんなさいね。ちょっと貴女に用が……あら?」
九条先輩が何かに気付いたかのようにこちらを見やる。
「ああ、亜咲も居たの。よく見れば話題の転校生君も居るわね。確か……天翔君、だったかしら? となると」
じろじろと俺達の方を値踏みするかのような視線を向けてくる九条先輩。
あ、違うな。俺達の、っていうか俺以外だわこれ。
「亜咲と一緒に居るのは同じく転校生の元木さんね。もう一人の子はええと……誰だったかしら?」
九条先輩がヒナの方を見て誰だったか思い出そうとする。ついでに言うともう一人、じゃなくて二人います先輩。
「九条先輩、その子は私の妹の日向です」
「そう、私は九条美咲。この九条学園の生徒会長を務めてるわ。よろしくね」
ニコリとヒナに笑顔を向ける九条先輩。その人当たりの良さそうな笑顔に、周囲も生徒会長が訪ねて来たという緊張から解かれつつあった。
--あ、あれ貴族とか、腹に何か抱えてる奴の笑い方だ。
が、周囲の弛緩した空気とは逆に少し警戒度を上げた。俺からしたら胡散臭い笑顔でしかなかったし、大輝や亜咲もそう感じているだろう。光はまた違うかもしれないが、危険があれば本能的に察するだろうから、まあ騙されるような事はないだろう。
なんにしろ俺達からすれば、こういう笑顔を向けてくる人物は要警戒対象である。
「そう、ちょうど良かったわ。話したい人達が集まってくれてるなんて私も運が良いわね」
「私達に話、ですか?」
ナツは少し不安げに九条先輩に尋ねる。
そりゃあいきなり生徒会長が自分達を訪ねてくるなんて何かあったのかと思っても無理はないか。
「ええ、といっても心配しないでちょうだい。別に悪い話じゃないのよ」
こういう言い方をする時は大体良い話というわけでもない事が大半だと思う。あくまで"悪い話"ではないだけで。
「貴方達には放課後に生徒会室に来て欲しいの。詳しい話はそこでさせて貰うわ」
「私は構いませんが……」
「ありがとう。今はそれを伝えに来ただけだから。お邪魔してしまってごめんなさいね」
そう言ってから最後に亜咲の方を一瞥し、踵を返す九条先輩。その視線の意味は俺には分からなかった。なお俺は最後まで見向きもされなかった模様。
「うーん、なんだろう……? 何か私呼び出されるような事したかな?」
「悪い話じゃないって言ってたし、とりあえず話だけ聞いてみれば良いんじゃないか?」
「そう……だね。うん、そうしてみる……あ、私だけ返事しちゃったけど、みんなは大丈夫なのかな?」
ナツが他に声をかけられた大輝、光、亜咲に尋ねる。
「俺も名指しだったし行くだけなら。長引くようだったら帰るつもりだけど」
「私は小兄と夏姉が行くならついてくよー」
「私は……まあ行った方が良いでしょうね」
全員それほど乗り気ではないようだったが、生徒会室に行く事自体に反対はしていないようだった。
「えっと、私も行った方が良いのかな?」
そういえばヒナは名前を聞かれたものの、別に呼ばれた、というわけでもなかった事を思いだす。
ついでに言うと俺に至っては名前すら呼ばれてないし、視界にも入っていなかったように思う。
「安心しろ。俺なんて名前聞かれてすらないから。なんならたまには兄妹揃って二人で帰るか?」
「え? しょうちゃん来ないの?」
「むしろ何故行くと思ったのか」
「大丈夫です。小兄様はちゃんと来ますから」
「なんで亜咲が答えるの?」
もはやまともにツッコむことすら出来ない。最近ボケ担当の人多くないですかねえ!?
「私はみんなで帰りたいなぁ。だからお兄ちゃんも一緒に行こ?」
「まあついて行くだけなら大丈夫か」
妹にこう言われてしまっては兄としても断るわけにはいかない。というか最初から断る理由もないと言えばない。
--ただ、なんとなく。
本当になんとなくだけど、俺はまた何か面倒事が起こるんじゃないか。と胸の中に生じた、微かな予感を拭う事が出来ないでいた。
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