幕間--小吾と亜咲--
思えば亜咲の事を名前で呼び始めたのはいつからだったか。
大輝については男同士という事もあって比較的早く馴染めたと思う。光についても自分の苗字があまり気に入らないのか。最初の方から名前で呼んで欲しいと言われていた。
でも亜咲については当初コミュニケーションもままならず、見下すとまではいわずとも、俺に対してほとんど興味がなかったように思う。
最初のきっかけは俺の足の治療だった。
あちらの世界での話となるが、召喚されてまず、俺がさせられた事と言えば亜咲の回復魔法適正を見るための実験体のようなものだった。
下半身が動かず、感覚もないとくれば傷がついたとしても痛みも感じる事はない。もちろん傷がつけば血は流れるし、放っておけば出血多量や傷口の化膿によって死に至る可能性もあるため、痛みを感じないからといって放置してよいものではないが。
しかし痛みを伴わないのであれば極論”治りさえすれば傷がついても問題がない"と言えなくもなかった。そういう意味ではある意味合理的だったのかもしれない。
最初はナイフで小さな切り傷を作り、亜咲が回復魔法でその傷を治療する。それがどこまでの傷に対応するかを確かめるために、徐々に傷を大きくし、ついには切断、あるいは鉄球で圧し潰す。といったことまで試された。
結果としてはすべて傷跡も残さず治療出来る事が分かったので、実験という意味では役に立ったのだと思う。
もっとも感覚の戻った今では二度と同じことをやりたいとは思わないし、お願いされてもお断りだが。
亜咲も小さな傷を治療する最初の方は無感情に治療だけを行っていたが、その傷がだんだん大きくなるにつれ、表情に陰りが見えてきた。
そりゃあそうだろう。元の世界で言えばまだ中学生でしかない少女が、いくら治療のためとはいえグロ画像を毎日見せられているようなものなのだから。
一方傷をつけられる側だった俺に関しては特に何も思う事はなかった。そりゃあ平気で俺の足をズタズタに切り裂くあのサイコパス女や、それを命じたお偉いさん達には腹も立とうもんだが、亜咲が悪いわけじゃなかったし。
まあ結果的には先ほど言った通り外傷であればすべて亜咲に治療して貰うことが出来た。でもあくまで傷が治るというだけで俺の足はうんともすんとも動いてくれない。
まあこれに関しては俺の医学的な知識が欠けていたと言わざるを得ない。
きっかけは亜咲が放った一言だった。
「おそらく地原さんの足が動かないのは脊髄損傷によるものだと思います。なのでいくら足を治療したところで動くようになるとは思いませんし、私もどこまで治療できるか把握できましたので、これ以上は無意味かと思うのですが……」
言われてハッとした。俺の場合、足そのものに問題があるのではなく、脊髄損傷による下半身不随という後遺症だったのだから。足が動かないという医者からの言葉にショックを受けていてちゃんと内容を覚えていなかったが、確かそんな言葉もあった気がする。
--で、あればだ。
「つまり脊髄を治療出来れば足が動くってことだよな」
こういう発想に至るのも当然だと思う。
「それはそうでしょうが……ただ貴方の身体が今の状態を正常と認識してしまっているようであれば、今治療をしたところで意味はないと思います」
と、試しに背中に向けて回復魔法をかけて貰ったが、気持ちいいだけで特に足が動く気配はなかった。
「やっぱりだめか……?」
「申し訳ありませんがお力になれないようです。では足の治療もこれ以上は意味がなさそうですので、私はこれで--」
諦め半分とは言え、もしかしたらと希望を持ってしまったがために少なからず失意に陥った俺を見ないように、亜咲はこの場から立ち去ろうとして。
「今の状態じゃ治せないんだったらそのセキズイ? を一回潰してから治せばいいんじゃないか? もっとも足以外という事であれば今までのように痛みがないわけじゃないだろうから、ショーゴが耐えられるのであれば、だが」
その言葉に俺はピクリと反応する。脊髄を潰して治す。そんな事が出来るのだろうか。いやでも出来るのであれば、もしまた再び歩くことが、走ることが出来るのであれば。
試してみる価値はある
「脊髄を潰すとは言いますが、それはつまり背骨を砕くことと同義です。ましてや脳とも繋がった器官のはずです。上手くいかなかった場合、足どころか全身が動かなくなる可能性もありますし、最悪の場合死ぬことだって……!!」
この時、初めて亜咲が動揺した事を覚えている。直接ではないにしろ、場合によっては人が死ぬところを見なきゃいけないわけだし。そりゃ嫌に決まっている。
「おいショーゴ。どっちにしろ貴様の身体の事だ。ここで人質としてじっとしているも良し。失敗して死ぬも良し。選べ」
「成功して歩けるようになるって選択肢はないんですかね……?」
一応相手は大人なので敬語で話すつもりではあるが、この女に敬意などない。しかもこいつハッキリ言いやがった。俺が人質だと。
いいさ。どうせ元の世界では死んだ扱いになってるようなもんだし、わざわざ人の足を引っ張ってまでこの身体で生きてたって仕方ない。
だったら諦めずに少しでも可能性のある方に縋ってやる。
「九条さん。気が進まないだろうけど、もう少しだけ協力してくれないかな?」
「わ、私は……いえ、止めておきましょう。成功する保証もありませんし、それこそ先ほど言ったように死ぬ可能性も否定できません。そもそもそこまで私を信用する方がおかしいです」
「俺は信じてるけど? 実際今まで付けられた傷全部治療してくれたし、仮に失敗したって九条さんを恨むことはないよ」
信じられないという風に目を見開き、亜咲が俺の目を見つめていた事を覚えている。思えばまともに目を合わせたのはあの時だったか。
で、結局その後も少しの間押し問答が続き、根負けした亜咲が折れる形でそれは実行される事になった。
流石に治療前に死んでしまっては回復魔法も意味がないとの事だったので、その方法は滅茶苦茶だったが……
具体的な方法は思い出したくもないので省くが、簡単に言えば三枚に卸される魚の気持ちが分かった気がする。あともう痛いなんてもんじゃなかった。ほんと死ぬかと思った。なんなら多分死んでた。
そして亜咲の態度が徐々に変わっていったのもその頃からだったと思う。怪我の功名という言葉が適切かどうかは微妙なところだけども。
なんにせよ、亜咲がいなければ今俺が普通の日常を送っている事はなかったと思うし、これは亜咲に限らず大輝や光に関してもそうだ。
だからこそ俺はこの返しきれない恩を忘れてはいけない。
亜咲の身に何が起こったのかは分からないが、ただ待つことに意味はない。おそらく先日の話が何かの鍵になっているはずだ。まずは情報を集める事から始めよう。
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