29話

「亜咲の奴、今日も休みなのか」

「うん、先生は家庭の事情でって言ってたけど……」


 亜咲が休み始めてから三日目、いつも通り光が俺の下へとやってきてそう告げた。


「小吾、何か心当たりはあるのか?」

「いや、特に亜咲も何も言ってなかったし、休んでる理由までは分からない」


 大輝が少し心配そうに尋ねてくる。

 だが俺も流石に欠席の理由までは把握出来ていない。もしかしたら亜咲自身はこうなる事を予期していたのかもしれないが……

 だからこそわざわざ理由をつけてまで俺の家に来たのかもしれない。


「だけど知ってそうな人なら心当たりがある」


 それが誰かは言わずもがなという奴だろう。前回の事を考えれば、彼女が部外者である俺達に家庭の事情を説明してくれるかどうかは分からない。

 むしろ教えては貰えないであろう可能性の方が高いと思っている。


「生徒会長か」

「ああ、ただこの前の感じだとそこまで姉妹の仲が良好ってわけでもなさそうだし、理由を知っていたとしても俺達に教えてくれるかは分からない」


 俺はともかく、亜咲はそこまで悪感情を持っているようには見えなかったが、かといって前回のやり取りを見た限りでは、良好かと言えばそうも見えなかった。

 嫌ってはいないとしても、亜咲はそこまで相手に興味を持っていなさそうだったし、生徒会長は亜咲の事を持て余しているような印象がある。

 もっとも二人の今までを知っているわけではないため、実際のところは本人に聞かないと分からないところだが。


「まあ駄目で元々だし、今日の放課後にでも生徒会室に行ってみるさ」

「なら俺も行く。亜咲の事は心配だしな」

「私も行く!!」

「私も亜咲ちゃんの事は心配だしついて行くよ」


 大輝、光、ナツの三人が同行を申し出てくれた。


「すまない。ちょっと今回は俺一人で行かせてくれ」


 だが俺は俺で少し考えがあったので、みんなには申し訳ないがその申し出を断った。

 特にナツに関しては話の流れ次第で良くない影響もあるかもしれないと思っての事だ。どうしても奴の話をする必要もあるし。


「なんで小兄が一人で行くの? 私達も亜咲ちゃんの事は心配--」

「それはもちろん分かってる。理由は今度亜咲も交えて話すから、とりあえず今日は俺一人で行かせてくれ」


 光が食い下がってくる気持ちも理解出来る。光と亜咲はそれこそ姉妹のように仲が良い分、特に心配なんだろう。

 それならばここで理由を話してしまった方が良いか。という考えが頭をよぎる。

 けれどその話をするのであれば、やはりナツと天野の関係についてもある程度話をしなければならないし、込み入った話をするのであれば、ここにはいない要母さんとヒナも呼んで全員で話すべきだと思った。


「光、気持ちは分かるが今回は俺のわがままを聞いてくれ」

「うー……小兄がそこまで言うなら……でも話が終わるまで待ってるからね!!」


 頬を膨らませていかにも不服だと言わんばかりの表情ではあったが、光は渋々承諾してくれた。


「ああ、なるべく早く終わらせるつもりだ」

「私達も一緒に待ってるよ」


 ナツも亜咲の事は気になるのか、光と一緒に俺が話を聞いてくるのを待つと言ってくれた。大輝についてもわざわざ聞く必要はないだろう。と思い、視線を大輝に向ければ何も言わずに頷いていた。


「まあさっきも言ったけど、もし生徒会長が理由を知っていたとしても教えてくれるかは分からない。あんまり期待しないで待っててくれ」


 三人にそう告げた時、休み時間の終了を告げるチャイムが聞こえたため、その場は解散となった。



 ——放課後、俺は三日前にも訪れた生徒会室を再び訪れた。

 生徒会室の扉をノックし、中から返事が来るのを待たずして部屋へと足を踏み入れる。

 予想した通り、目的の人物は部屋の奥の席に座ってこちらを見ていた。


「あら、貴方は確か……」

「二年の地原です。先日はどうも」


 一応顔くらいは覚えていたのだろう。名前はすぐに出てこなかったようだが。


「今日は貴方一人かしら?」

「はい、俺一人です」


 そう答えると、生徒会長の視線がスッと細められるのが見えた。


「そう、ならあの子達が生徒会に入る気になってくれた。というわけではなさそうね」

「まあそうですね。それなら俺が一人で来る理由もありませんし」

「で、何の用かしら? 正直私としては貴方に良い感情は持っていないのだけれど」


 恐らく三日前に俺が言い放った言葉に対しての事だろう。


「そうでしょうね、まあそれはお互い様ということで。ちょうど俺がここに来たのもそれに関係しています」

「と、言うと? ひょっとして亜咲が学園を休んでいる理由でも聞きに来たとでも言うのかしら?」

「理解が早くて助かります。なので今日は生徒会長に、ではなく亜咲の姉である九条先輩に話があって来ました」

「そう」


 この言い方から察するに彼女は理由を少なくとも知っていそうだ。全てを知っているのかはともかく、何かしら思い当たる事はあるのかもしれない。

 生徒会長は用件は理解したという風に俺に向かって頷く。相変わらず眉間には皺が寄っており、俺に向けた視線が和らぐ事はなかったが。


「なら私も亜咲の姉として答えましょう。身内の話なので部外者に話す事はないわ」

「そうでしょうね」


 これは予想していた反応である。まあだからといって引き下がるつもりは毛頭ないが。

 もしかして亜咲はこの展開を予想して俺にをしたのだろうか?

 だとしたらとんでもないとは思うが、亜咲の事だからその可能性は否定出来なかった。


「なら部外者でなければ、身内なら話して貰えると?」

「何を言ってるの? 貴方と亜咲の関係は知らないけれど、少なくとも身内と呼べる間柄ではないわよね? ああ、私の言っている身内というのは親族の事だから、仲間意識で身内だと言われても答えるつもりはないわよ?」

「分かっています。その上でもう一度聞きます。話して貰えるんですね?」


 俺は言質を取る為、あえて念を押して生徒会長へと問う。

 だが生徒会長はそれを鼻で笑い、こう答えた。


「貴方の言っている事は理解出来ないわね。ええ、良いでしょう。貴方が亜咲の、私達の身内だと言うのなら私の知っている事を教えてあげます。仮に貴方と亜咲が関係だったとしても私は身内とは認めないわよ」

「そうですか。なら教えてください。亜咲が学園を休んでいるのは家庭の事情だと聴きました。ですが九条先輩は登校している。家庭の事情と言うのなら普通は逆なのでは?」

「言ったはずよ。部外者に話す事はないと」

「ええ、だから身内として尋ねています」

「貴方も聞き分けのない人ね」


 生徒会長は一向に引き下がらない俺に苛立ってきたのか。先ほどよりも目尻を上げて俺を睨み付ける。元々つり目がちだからだろうか。その視線は鋭い。更に言えばその言葉には少なからずこちらを威圧しようという感情も感じられた。

 ここまで煽れば十分だろうと、俺は彼女に向けて切り札を切った。


「ところで、亜咲には叔母が居たそうですね」

「急になんの話を……ああ、亜咲が話したのね。あの子も関係のない人に余計な事を……」

「関係のない、と言っていますが、"地原"という姓に心当たりはありませんか?」

「それは貴方の名字でしょう? 確かにそこそこ珍しいとは思うけれど、だからと言って……?」


 最初はそれほど深くは考えていなかったのだろう。

 だが俺が切り出した叔母の話、それから地原という俺の姓。

 この二つを紐付けて考えれば、少し察しの良い人物なら結論に辿り着くのはそう難しい話ではない。

 ましてや有能と評される人物であればなおさらだろう。


「……一応聞くけれど、貴方のお母様の名前は?」

「千早です。漢数字の"千"に速度ではない方の"早"いと書きます」

「そう……私はまんまとしてやられた、というわけね。情報の出所は聴くまでもないわね」


 この流れは予想していなかったのだろうという事は、その言葉を聞けば分かった。実際俺も亜咲から話を聞いた時は驚きを隠せなかったくらいだ。

 生徒会長を見れば視線の鋭さは幾分か和らいでいる。今のやり取りで少しは俺に興味を抱いたのか、表情に悔しさを滲ませてはいるものの、何故か少し面白いものを見るような好奇の視線が混じっている事を感じた。


「良いでしょう。叔母様は九条家から勘当された身ではありますが、確かに貴方が血縁上の身内である事は事実です。それに私も小さい頃は千早叔母様にはお世話になりましたしね」

「母さんの事を知ってるんですか?」

「ええ、とは言っても本当に小さい頃に少しだけ。公に会う事は出来ませんでしたから、父はその事を知りませんけどね」


 生徒会長が母さんと面識がある事までは知らなかった。それに彼女は母さんに対して好意的だった事も意外ではある。

 だが思った以上にこの話は効果的だったようだ。


「ああ、思い出しました。確かに千早叔母様がお爺様のところに子供を連れて来た事がありましたね。そうですか、貴方が……」


 相変わらず目を細めて俺を見る生徒会長。だがそこにはもはや最初に向けられたような鋭さはなく、どちらかといえば何かを懐かしむような雰囲気を醸し出していた。

 それより彼女が幼い頃の俺を認識していたというのは予想外だった。俺自身はほとんど記憶はないが……


「覚えていませんか? 貴方と叔母様がお爺様の家に来た時に一緒に遊んだ事があるのですよ? 私が四歳の頃でしたから、三歳の頃の記憶を覚えていろという方が無茶かもしれませんが……」

「三歳の頃、爺さんの家……」


 何かが頭の中で引っかかっているが、それがあまりに不鮮明で上手く思い出す事が出来ない。

 俺が思い出そうとしている姿を見て、やはり覚えていないか。と彼女は少し残念そうな表情をしていた。


「やはり覚えていないのね……まあ無理もありませんね。私もまさか、こんな形であの"しょうくん"と再会するとは思ってもみませんでしたから」

「しょうくん……?」


 生徒会長が口にしたその呼び名に記憶が刺激されるのを感じた。

 自慢ではないがほとんどナツとしか過ごしていなかったせいか、元々俺は幼少期よりそこまで交友関係は広くなかったと思う。

 だから俺の事をそう呼んでいたのは過去にだけ……


「みー、ちゃん?」

「えっ?」


 ——思い出した。


 そうだ、確かに小さい頃、母さんに連れられて行った家にいた子の事をそう呼んでいた気がする。そしてもう一人俺よりも小さい女の子が居て、その子は"あーちゃん"と呼んでいた気がする。


「そうか、あれは爺さんの家だったのか……」

「その反応から察するに、千早叔母様はしょうくんには伝えてなかったのですね」

「生徒会長はその時、俺が従弟だと知っていたんですか?」

「ふふ、良いのよ? 昔のように"みーちゃん"と呼んでくれても」


 冗談交じりに俺に微笑みかける生徒会長。

 先日の、そして先ほどまでの生徒会長と本当に同じ人物なのか疑いたくなるほどの変わりようである。実は身内にはとことん甘いのかもしれない。

 やはり姉妹というべきなのだろう。こうしていれば少々つり目である以外、顔立ちや雰囲気は亜咲とよく似ていると思った。


「いや、流石にこの歳になってそれは……」

「そう……」


 露骨に残念そうな表情となった生徒会長を見て少し申し訳ない気持ちになる。

 そして同時に、俺の中にあった彼女への敵愾心も急速に萎えていくのを感じていた。


「ではせめて美咲と呼んでちょうだい。私と貴方はいとこ同士なのですから。そこまで他人行儀にする必要もないでしょう?」

「まあ……そのくらいなら」


 生徒会長——もとい美咲さんから名前で呼ぶように言われ、そのくらいであれば、と俺も承諾する。


「それで、亜咲の話だったわね。それにしてもあのしょうくんと亜咲が、いつの間にかこんな関係になるなんて……運命とは分からないものですね。ですが亜咲にとっては天野家に嫁ぐよりはよっぽど--」

「いや、別に俺と亜咲は美咲さんが想像してるような関係じゃないですからね?」


 いや距離感バグるわ。身内認定した瞬間にこの変わりようよ。

そういえばさっきもそんな感じの事を言っていたが、美咲さんは俺と亜咲の事を恋人同士だと思っているらしい。

 確かにただの友人というには距離感が近すぎる事は自覚しているが、誤解は誤解なので釈明しておく。


「別に恥ずかしがらなくても良いのよ? お互いそういう年頃ですし私としても--」

「話聞いてます? いや、それよりその話はまた今度ゆっくりするとして、今は亜咲の事を聞きたいんですが……」


 どうやら美咲さんは結構人の話を聞かない人のようなので、話を遮って本題へと戻すことにした。


「こほん、失礼しました。そうですね、しょうくんには話しておいた方が良いでしょう」


 話が脱線していた事の自覚はあったのか、美咲さんは咳払いをしてそう言った。

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