幕間--九条亜咲--
--side亜咲--
「お嬢様、お疲れ様でした」
「ええ、貴方達も。今日はもうゆっくり休んでください」
七海先輩を捜索するに当たり、協力してくれた人達にお礼を告げる。
幸いにも私の周りには優秀な人材が揃いつつあり、今回の事でそれを実感出来たのは良かったと思う。
「それにしても七海先輩。学園ではあまり人となりを知る事は出来ませんでしたが、なかなか面白そうな人ですね」
元々小兄様の周辺については色々調べてはいたが、なにぶん帰還からそれほど時間が経っていないため、情報不足であることは否めなかった。
特に先ほどの者達のような人材を集める事が出来たのもつい最近の話だ。
今でこそ、『昔からもっと上手くやれていれば』と思わなくもないが、あの一年半の経験がなければ今の私はなかっただろう。
「まったく、小兄様には頭が上がりませんね」
今回人助けに協力するという名目こそあれ、結果としては良いサンプルテストとなった。
人を集める事、情報を集める事。それに加えて各所への根回し。
未だ私を下に見る親族も多い中、独力で動き、結果としてあの天野家に貸しを作る事が出来たのも大きい。
まったくあの人はいつも、思いもよらないところで私を助けてくれる。ただ惜しむらくは本人に自覚がないところか。むしろ自己評価が低すぎる傾向もある。
元々、人間というものはお互いを利用するか利用されるかの利害関係でしかないと教えられ、育ってきた私には人と人の繋がりというものが理解出来なかった。
だからこそ今、小兄様をはじめとして、光さん、大兄様と確かな絆で繋がっている事に幸福感を覚えている。
「私達の絆を害すような輩は早めに消すか潰すに限りますね」
誰かに聞かれていれば何を物騒なと指摘されそうな事を呟き、私はある存在に思いを馳せる。
−−私には天才と呼ばれる姉がいる。
幼い頃よりお互い比較されながら、九条家の後継ぎとしてどちらが相応しいかを競わされてきた。
それは学力は元より、人を統べる能力があるかどうか。要素はないでもいい。学力を伸ばし、例えば権力を得ることによってそれを成すか。
あるいは暴力によって成すか。チカラという物は一概に測ることはできない。だからこその結果。他人を自分の思い通りに、望んだ結果をこの手に手繰り寄せられるかどうかによって判断される。
姉に関して言えば、元々姉妹の仲は悪くなかったと思う。けれど姉は紛れもなく天才であり、平凡に毛の生えた程度の私では敵うべくもなかった。おそらくは大兄様、あるいは光さんに近しい存在なのだろう。この眼で見てきたあの二人は大きく逸脱しているため、それに及ぶべくもないだろうが。
だからこそ次期当主に姉が選ばれ、私が他家に嫁ぐ事が決まったのも、当然と言えば当然なのだろう。
私の嫁ぎ先は件の天野家であった。但しあくまで非公式の、ではあったが。
当然天野家としても一人息子であるあの男にはそれを知らせているはずであり、実際あの男もまるで私を自分の所有物であるかのように接してきた。
私自身、あの男に思うところはなく、他の女に色目を使おうが何をしようが無関心を貫いていたが。
元々学園を卒業した後に婚約が発表され、大学卒業後に結婚という風に聞いていたので、それまではお互い好きにすれば良いという判断だったのだろう。
何かと公式な場では一緒に居るように言われていたが、あの男の私を舐め回すような視線が好きになれず、出来る限り最低限の付き合いだけで済ませるようになっていた。
思えば無駄な抵抗だったのだろう。結局、将来の事に関しては私の意思は介在せず、既に決まった事だったのだから。と、昔の自分は諦めていた。
私がいない間にあの男が起こした事件についても既に調べは付いている。
どうやら外聞を恐れた天野家が被害者家族の元に伺い、脅迫まがいの示談をして無理矢理解決したそうだが、今回その件が追い風となって天野家に貸しを作る事が出来た。
当時の被害者には申し訳ないが、過去にあった事は変えられないので気にし過ぎても意味がない。未来に少しでも希望が持てるように天野家からの賠償金などが渡るよう手配させて貰い、その代価として天野家への貸しは私が貰い受ける。
とは言え、ある意味その被害者にとっても復讐が成ったのだから、本来部外者であるこちらが負い目を感じる必要はないのだが。
今回の件で当然ながら婚約は解消することができた。更に私に一目を置く者も出てくる事だろう。
だが今の私にとって次期当主の座はそれほど興味もないし、姉ももはや利用出来れば良い存在でしかない。無論肉親としての情はあるため、困った時には手も貸すことだろう。
昔の私にとっては家が全てだった。
だから婚約にも反対はせず、次期当主に姉が選ばれた際にも反論を挟む事無く、私はこの九条家を構成する一部分でしかないと、私自身を諦めていた。
けれどそんな私の価値観を壊してしまった人がいる。
周囲からは天才と呼ばれた姉だったが、今の私からすれば彼女も凡庸と言わざるを得ない程の圧倒的な存在。
それが光さんと大兄様だった。今でも彼等の実力を垣間見た時の衝撃は忘れられない。友人をこう評するのは遺憾ではあるが、あの二人は正しく化け物であると言える。
本来物事の解決に必要とされるプロセスを一段も二段も踏み越え、彼らは望む結果を手にする。それが本人にとって幸か不幸かはさておき、だ。
--そしてもう一人
決して治らないとされた足を何度も何度も潰し、痛みに耐えてその機能を取り戻し−−
無能だ寄生虫だの嘲笑をその身に浴びてまで私達に寄り添い、自らも生き抜き−−
そして最後の最後で足りないピースを埋めてくれたのも彼だった。
きっと彼にとっては特別な事じゃないのだろう。諦めないという事は。
それは光さんと大兄様のように、望めばそれが手に入るような人種とは決定的に違っていた。
それまで諦めてばかりいた私が、諦める事を知らない小兄様に憧れたのは必然なのだろう。不可能を可能とする、その心の強さがとても眩しく映ったのを覚えている。
それから私はその憧れに手を伸ばす為に、彼を真似るようになる。もっとも、出会ったばかりの私には醜く足掻いてみっともない男性だ、とまで思っていたが。
幸い私はあの世界で十二分な力を持っていた。
教会の治癒師が治せないような怪我を癒し続け、助けを求めてくる人を出来得る限り助けた。それが私に与えられた役目だと思い、ただ義務的に行っていただけの行為ではあるが。
ただ私の内心など誰にも分かろうはずはなく、いつしか私は聖女と呼ばれるようになっていた。
もっとも、私が聖女なら彼は聖人か神かと一笑に付す程度のモノでしかなかったが。
まるで信仰の対象であるかのように崇められ、王族や貴族にも礼を尽くされ、王族を含めた貴族連中との会談にも積極的に参加するようになった。
人を統べるというのはこういう事かと急に腑に落ちた瞬間は今でも覚えている。
思えばそれからだろう。光さんと大兄様の事を畏怖する事がなくなったのは。
同じ土俵で競う必要はない。彼らが化け物なのであれば私がそれを利用すれば良い。私が化け物になるのではなく、正しく運用すれば何者にも負けることはないと。
もちろん前提として彼らはかけがえのない友人である。彼らが孤立してしまわないよう、本当の意味で化け物になってしまわないようにするのは私の役目だと思っている。
だから私は、私達を守るために九条家を利用する事を決めた。
決心してしまえば、それは今までがなんだったのか、という程の呆気無さであった。
昔は"家を構成する自分"と思い込んでいたが、今の私にとって九条家という存在は"自分を構成する一要素"でしかないと気付いてしまった為だろう。
思えばこちらに帰還して姉に再会した時には、あれほど天才だ、敵わない。と思っていた事が嘘のように、酷く小さく見えたものだ。
まずは九条家に仕えるいくつかの家から人選をはじめ、埋もれていた者を引き上げる事から始めた。
実力があったにもかかわらず、評価されていなかった者は正しく評価さえすればその忠誠を捧げるものだ。もっとも、未来の事は分からないが、今の私にはひとまず十分であった。
続いて一線を退いてなお、財界に強く影響力を残す祖父を味方に引き込む事にした。
祖父の代より続く天野家との力関係を、この一件で九条家に傾ける事を約束し、今後の助力を依頼した。
私が急にそんな事を言い出したからだろうか。祖父は私を見て訝しむような視線を向けていたが、しばらくしてから「好きにするが良い」と薄く笑いながら承諾してくれた。
今回目に見える結果を出した以上、祖父も約束を違える事はないだろう。もし祖父が約束を違えた場合、私は天野家を利用してでも九条家を潰す事になるかもしれない--
さて、九条家について考えるのはこの辺りで良いだろう。
そもそも私の行動理念は結局のところ、二人とともに小兄様を守り、支えていければそれで良いのだ。
七海先輩という存在が不確定要素ではあるが、今のところアレも結局は小兄様に依存する一つでしかない。
で、あれば引き込むか利用するかはこれから判断すれば良いだろう。
「ふふふ……それはそうと小兄様には何をお願いしましょうか」
一瞬彼との子供を……と色欲に塗れた思考に陥りかけたが、それはあまりにも時期尚早というものだろう。
決して彼を満足させられないとも思わないし、なんだかんだ言って小兄様も私の容姿を気にかけている事は知っている。
今後彼等とどのような関係になっていくかは神のみぞ知ると言ったところだが、どのような結末に至ったとしても彼の傍から離れるつもりは毛頭ない。
ただ彼の傍に在るという結果さえ手繰り寄せられればそれで良い。
「はぁ……小兄様」
自分の口から湿り気の帯びたため息が漏れる。
いっそ何年も取っておいて、事あるごとに匂わせてからかうのも一興かと意地の悪い事を考えながら、楽しみは長くとっておこうと決め、私は幸福感に包まれながら瞳を閉じたのだった。
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