第14話

--side夏希--


「一目見た時から好きでした。付き合ってください!!」

「ごめんなさい。今は勉強に集中したいので……」


 もうこれで何度目の告白だろう。毎日のようにどこかに呼び出されては同じようなセリフを聞かされる日々が続いていた。


 曰く、一目惚れした。

 曰く、前からずっと好きだった。


 そうは言うものの、私はその人達の事をよく知らない。前からと言われても、記憶にある会話だって数えられる程しかないような人ばかり。

 友人には呼び出しなんて無視すれば? と言われてはいるが、こういうのはハッキリしておかないと変な噂が立つかもしれないし、何より相手にも失礼だと思っていた。


 割と近所にあるにもかかわらず、私の通っていた中学校からこの九条学園に進学した生徒はほとんどいない。居たとしても友人と呼べる程の仲ではなかった。

 だから前からずっと好きだったと言われても、入学してからの一年にも満たない期間なのだろう。私にとっての"ずっと"は、それこそ物心ついた頃からを意味する。


 だから"ずっと"と言われても私にしてみれば一時的な気の迷いとしか思えない。いくら態度が真剣であっても、私の心には何も響いてこなかった。


 そもそも恋愛とはなんなのか、という事もある。

 それこそ今まで一人の男の子としか向き合って来なかった私にとっては、一目惚れという感性が理解出来ない。

 例えば身体中に電流が走るだとか、心がときめくだとか。


 恋人のいる友人達の恋バナを聞いて幸せそうな表情を見ていると羨ましくもなるし、私も興味がないわけでもないが、友人に「夏希はどうなの?」と聞かれても、今は「そんな事よりも勉強の方が大事だから」とそっけない答えを返す事しか出来なかった。


 自分の心に蓋をして、という表現が正しいのかもしれない。周りから見ればあの子は真面目な優等生だとか、男を寄せ付けないクールな子だとか、影では色々言われているのも知ってはいる。


 だからこそ、そんな噂で流れているような表面上の私しか知らない人達に告白などされた折には、つい貴方達は本当の私を知っているのか。貴方は以上に安心感を与えてくれるのか。と当の本人達からすれば理不尽と言っていいであろう怒りさえ覚えてしまう。


 少なくともは私にとって特別ではなかった。むしろ一緒にいて当然の存在で、ただ一緒にいることが私に安心感を与えてくれていた。それさえあれば他には何もいらなかったから。


 それだけにその存在を失った瞬間は絶望した。本気で死にたいとさえ思った。


 母さんや、今では本当の妹となった日向のおかげで徐々に日常を取り戻しつつあるが、未だに私の心にはポッカリと大きな穴が空いているかのように、何をしても満たされる事はない。


 元々私にとってこの九条学園は目標を果たす為の手段でしかなかったのだから、学園生活でこの空洞が埋まるなんて期待はしていない。

 尤も最近では、仮に目標に到達したとして今更意味があるのか、と考えてしまう事も増えたが。

 私は心に葛藤を抱えたまま、学園生活を過ごしていた。


 そんな高校生活もそろそろ一年が経とうとした頃それは起きた。部活で居残り練習をして帰宅が遅くなってしまった私は、急いで帰ろうと通り慣れない道を歩いていた。直線距離で考えれば一番近道だと思ったからだ。

 街灯があるとは言え、人気のない道は不安を煽る。この道を選んだのは失敗だったか、と思っていた時、予想に違わず背後に人の気配を感じた。


 以前から帰宅途中に視線を感じる事は多々あった。気のせいだと思うようにはしていたが、もっと注意していれば良かったと、この時ほど自分を呪った事はない。


「嬢ちゃん一人かい? この辺は人が少ないから危ないよう」


 と、言葉ではまるで私を心配するかのようで、けれどまったくもって白々しいセリフを吐く男。私は男に向かって、手に携えていた竹刀を竹刀袋に包んだまま構える。


「おっと、物騒なお嬢ちゃんだ。でも大丈夫かい? 手が震えてるよ?」


 そりゃそうだろう。こんな時に平常心で居られる女子高生なんてそうそう居るものではないだろうから。

 こんなところで暴行事件など起こしたくはないが、どう考えても相手は不審者。せめて一撃、逃げる時間さえ稼げればそれで……

 だけど相手は成人した男性だ、仮に竹刀で一撃入れたとしても、そのまま組み付かれてしまっては逃げる術がない。だったらこのまま全力で走って逃げるべきではないのか。


 その逡巡を見抜くかのように、男はゆっくりとこちらに歩いてくる。恐らく私が想像した通り、竹刀で打たれたとしても私を捕まえる自信があるのだろう。あるいは反撃自体がないと考えているか。

 結果、何も行動を起こさなかったことによって、先ほどより少し距離が縮まっており、今から後ろを向いて全力で逃げ出したとしても逃げられる可能性が下がってしまった。


「嬉しいねえ。逃げないでいてくれるなんて」


 してやったり、といった様子で男が少しずつ距離を詰めて来る。私は少しでも距離を取ろうと男から目を離さずに後退るが、同じ一歩でも歩幅は向こうの方が大きい。


「それにしても今日は運が良い、こんな可愛い子が引っかかるなんてなぁ」


 変質者などに可愛いなどと言われて喜ぶ女子が居ようものか。徐々に増していく恐怖に対し、冷静で居なければと頭で考えるものの、私の頭はどうする、どうすると混乱を加速させていく。


「まあそんな物騒なもんを持ってるお嬢ちゃんにはお仕置きがひつよっ!?」


 ついに襲い掛かろうとしてきた男の後ろから見知った顔が現れ、男を押し倒す。

 護身術の類だろうか、彼は男を倒した後、腕を捻り上げて背中に跨った。あれでは多少力の差があっても相手は身動きが出来ないだろう。


「七海さん!! 早く警察を!!」


 名前を呼ばれてハッと我に返り、鞄からスマートフォンを取り出して警察へと通報する。


 幸い事情を話すと警察官はすぐに来てくれた。そのまま男は警察官に連行されて姿を消した。

 夜道の一人歩きは危険だと軽いお説教を貰ってしまったが、十分身に染みているので反省している旨を伝え、お礼を述べた。


 警察官の一人が家まで送ってくれるとの事だったので、有難く受けようとしたところ、私を助けてくれた男子生徒--天野君が自分が送っていくから大丈夫と言って勝手に断ってしまった。


「七海さん、大丈夫だった!? 何もされてない!?」


 私を心配してくれているのだろう。私は何もなかった旨を伝え、助けてくれたことに感謝を告げた。


「そっか、良かった。今日はいつもより帰るのが遅かったみたいだから心配だったんだ」

「わざわざついてきてくれたんですか」

「そりゃね、流石にこんな時間に女の子を一人にするのは危ないかと思って」


 なるほど、彼は女子生徒から人気らしいが、こんな風に気が利くのならそれも頷ける。だがそれならそれでもっと早くに声をかけてくれれば、と思わないでもないが、きっと自分はその申し出を断っていただろうと思い至り、その言葉を飲み込んだ。


「ほら、親御さんも心配しているだろうし、送るから早く帰ろう?」

「そう……ね」


 ただ何かが引っかかる。まるでと。

 だけどそれは考えても分からなかったし、何より恩人に対して不義理ではないかと思い、今日ばかりは彼の申し出を受ける事にした。


 家に帰ると、遅くなった事に心配したお父さんが家の前で待っているのが見えた。私はお父さんに事情を話し、天野君に助けて貰ったことを伝えた。

 お父さんは天野君の事を知っていたのか、お礼を告げると共に、後日改めてお礼がしたいから家に招きたいとまで言っていた。

 天野君もそれを拒否する事なく、後日それは実現する事となった。


 その時もお父さんは天野君と友好的に接し、やれ好青年だ。やれ勇気のある若者だ。と褒めちぎっていたのを覚えている。

 に対してはそんな褒め方をした事もなかったクセに、と心がささくれ立っていったのを覚えている。


 更に後から知った事だが、天野君はが入院していた、あの天野病院を経営する院長の息子であり、お父さんの勤めている製薬会社とは取引先の関係にあるらしかった。


 そんな中、偶然ながらもお互いの子供が縁を持った事で、仕事の際にも私と天野君が良い関係になってくれれば、と話しているとお父さん自身から聞いた。

 もし私さえよければ将来の話でも、とまるでお見合いを勧めるかのような事を言ってきたが、私は断固として拒否し、それ以降その話が出る度に席を立つようにしている。


 一方の天野君と言えば、クラスは違えど同じ部活なので、あの日以来毎日のように声をかけて来るようになった。

 最初は軽く声をかけて来るだけだったが、今日は一人で帰るのか。送っていこうか。など、好意的に解釈すれば私を心配してくれているのだろうが、わざわざ周囲の目があるところで、まるで私の恋人にでもなったかのような態度をとるようになった。


 あれ以来私も出来るだけ部活の友人と一緒に帰るようにはしていたが、今度の試合に出場する代表選手に選ばれてしまったため、先輩達に混ざって居残り練習をする事が増えた。

 その時はどうしても一人で帰宅せざるを得ないのだが、それを見越したかのように天野君は私の下校を待ち、同行しようとする。

 ついてこないで欲しいと伝えても「この前の事があるから」と勝手についてくる始末だ。


 そんな光景を何度も繰り広げていては、私達を恋人として認識する人達が出て来るのは当然だと言えた。

 最初は部活の中で、次はクラスの中で、そして学年中に。

 それからというもの、私に対して告白してこようとする人は急激に鳴りを潜めていった。


 私が「そんなんじゃない」と周囲に否定しても、当の天野君はその噂を否定せず、むしろ肯定するような発言までしているのだと言う。

 それに対して私は不服に思い、天野君に肯定するような発言は止めて欲しいと伝えたが。


「でもこの噂のおかげで君も呼び出される事が減ったんだろう? 幸い僕の父さんと夏希の父さんも仲が良い事だし、別に良いじゃないか」


 と、まともに取り合ってくれようとしない。それどころか、いつの間にか私の事を名前で呼ぶようにまでなっていた。


「名前で呼ぶのは止めて」


 私はそう告げたが、それに対して彼は。


「恥ずかしがらなくても良いよ。すぐに慣れるだろうし、なんたって僕らは父親公認なんだから、ね?」


 などと、まるで私が天野君に対して好意を持っているかのような物言いまでするようになった。

 何度拒否してもそれは変わらず、これならまだ呼び出されて告白されていた方がマシだったのではないかとさえ思えるようになっていった。


 試合の日が近付いていたある日、私はまた居残り練習で帰宅が遅くなってしまった。

 これなら顧問の先生に事情を話して遅くならないようにさせて貰うか、先輩達には申し訳ないが、代表を辞退させて貰うように伝えておくべきだったかもしれないと後悔した。


 とは言え遅くなってしまった事は仕方がないので、少しでも早く帰ろうと、急いで剣道着から制服に着替え、足早に校門を出る。


「やあ夏希、今日もお疲れ様。こんな時間だし家まで送るよ」


 恐らく居るんだろうな、とは思ってはいたが、予想通り彼が待っていた。

 私はそれを断って一人帰路につこうとするも。


「夏希のお父さんには送っていくって連絡しておいたから、遠慮なんてしないでいいよ」


 いつの間に人の父親と連絡先を交換するほどの仲になったのか。本当にやめてほしい。

 とは言え、この様子では断ってもついてくるのだろう。それにこんなところで問答していては更に帰宅が遅くなってしまう。

 そう危惧した私は何も言わずに家に向かって歩き出した。


 特に会話を交わすこともなく、ようやく自宅の少し前まで着いた私は、経緯はどうあれ送ってくれたのは事実だし、彼にお礼を告げて早々にその場で別れようと後ろを振り返った。


 ――そしてその時、強い風が吹いた。


「いたっ!!」


 風に煽られて小さいゴミが目に入ったのか、私は急な事に声を上げてしまった。


「大丈夫かい夏希?」

「大丈夫、目にゴミが入っただけだから」


 目にゴミが入った時は目を擦ってはいけないと聞いた事があったため、目を瞑った状態で痛みが治まるのを待つ。


「見せてごらん、取ってあげるよ」


 そう言って彼が私に近付いて来る気配を感じた。


「大丈夫だから近付かないで」

「駄目だよ、怪我でもしてたらどうするんだ」


 あまりにも近い距離で返答が返ってきたため、いつの間にそこまで近寄られたのかと自らの不覚を恥じた。近付かないでと言った言葉を無視して離れてくれる気配もない。同時に後ろの方から靴で砂を擦るような音と、誰かが走り去っていく足音が聞こえた。


 ――誰かに見られた?


 慌てて天野君の気配がする方に手を突き出し、彼を押し退ける。

 傍から見ていればキスシーンにでも見えただろう。これが近所にまで広まってしまったら……とまた私は陰鬱な気分になってしまう。


 何度か目をパチパチと開いたり閉じたりして涙を流し、少し目の中の異物感が消えたところで、私は自宅の方向を把握し、彼の方を見ないまま天野君に別れを告げ、家の中へと飛び込んだ。


 それからも天野君はお昼に誘ってきたりと周囲の目を全く気にせず、徐々に行動がエスカレートしていくのだった。

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