後始末

「早く! さっさとキビキビ動け!」


 朝っぱらからそんな怒声が響き渡る。

 公爵家の屋敷にて、何やらメイド達が一生懸命床を雑巾で拭っていた。

 何か零したのだろうか? そう思って見てみると、絨毯や壁に何やら赤い液体が染みを作っている。

 これがなんなのか、傍で見ていたアリスは薄らと理解していた。

 そして、そんなアリスを他所にハルカはメイド達が拭き終わるのを厳しい目で待っていた。


「俺の屋敷に染みを作るなど何事か! お前らはロクに仕事もできないのか!」


 たかが染みを作った程度で、何もこんなに怒ることなんて。

 きっと、何も知らない人間が見れば心配そうに見つめることだろう。

 しかし、そう思う人間はこの場にはおらず。ようやくメイド達が拭き終えたのを確認すると、ハルカは鼻を鳴らした。


「ふんっ! 次見かけたら承知しないからな!」

『『『『『申し訳ございませんでしたっ!』』』』』


 メイド達は雑巾を持って廊下の先へとそそくさと消えていく。

 ハルカは腕を組んだままメイド達がいなくなるのを確認すると───


「……心が、痛い」

「でしたら、しなければよろしいではありませんか」


 ───膝をついて、胸を押さえた。

 そんなハルカを、エルザはため息をつきながら見下ろす。


「うーん……これが噂に聞くハルカくんの悪役ムーブかぁ。ちょっと私、ドキドキしちゃった」

「違うんだ、僕はいっつもこうで……って、なんでドキドキしたの?」


 背伸びして強がろうとしているところだよ、と。

 アリスは内心で思いながらハルカへ笑みを向けた。


「けど、そもそも……なんでがこんなところにあるわけ?」


 一瞬ドキッとしてしまったものの、聞いてはおきたい事項。

 薄々ではあるが、一度生で大量の血を見たことから、蔓延する臭いでこれが同じものだというのは分かっていた。

 その証拠に、ハルカは慌ててアリスから視線を逸らす。


「……エルザってお茶目だから」

「はい、トマトジュースをうっかり零してしまいました」

「はぁ……はいはい、トマトジュースね」


 アリスは二度目のため息をつく。

 その間に、ハルカはエルザの耳元に顔を寄せて何やらヒソヒソと話し始めた。


「(ねぇ、もうちょっとお茶の間の子供達を慮って穏便に撃退する方法とかなかったわけ!?)」

「(剣を使う私にそのようなことを仰られても……どう振っても「サクッ、ドバババババ!」にしかなりません)」

「(ちくしょう、僕が全員相手にすればよかった……ッ!)」


 そう、この血痕はエルザが先日の夜中に戦闘をしたものである。

 エルザの魔術で生み出した剣は新品同様、切れ味抜群。滑らかに斬れる代物は肉の壁や骨などサクッと両断。結果的に、後始末に困る惨事となること間違いなし!

 ……というキャッチコピーを、ハルカはすっかり失念していた。


(……あー、またハルカくんに迷惑かけちゃったなぁ)


 ヒソヒソ話など聞こえてはいないが、大まかのことは察したアリス。

 元より、こういう時のためにハルカの家に住むことになったのだが、罪悪感と申し訳なさがないわけではない。

 アリスは頭を搔いて少し居心地の悪そうな顔をした。


(それにしても……流石に早すぎはしない?)


 ハルカの家に住むことになったのは昨日だ。

 それなのに、日を跨ぐことなく己の命を狙う刺客が放たれている。

 動向は逐一把握されていると考えてもいいだろう───そんなに私を殺したいかね、と。アリスは肉親を思い浮かべて悪態をついた。


(けどまぁ、それはそれ)


 アリスは口元を緩めると、ヒソヒソと話していたハルカの背中へと抱き着いた。


「うわぁっ!」

「ふふふ……ハルカくん、お姉ちゃんは頑張っているのに認めたくないお茶目さんを少しばかり労ってあげたくなっちゃいました」

「何故突然!? 僕は功労者扱いされるような武勲は立てておりませんよ!? お茶目枠なら横にいるメイドにプリーズ!」


 あくまで誤魔化したいハルカくん。

 背中に伝わる柔らかさにドギマギしながら、慌てて否定した。

 とはいえ、ハルカが『そういう人間』なのだと分かってきたアリスは、そんな誤魔化しに惑わされるほど鈍感じゃない。


「どう? こう見えても、世間的には美少女の枠組みに入るレディーなんだけど、このハグのお値段はいくらになるかな?」

「胸が足りないのでバーゲンセールで並ぶほどの値段では?」

「うっせぇ〇すぞ」


 なんとも王女らしくない発言である。


「それで、今日はいかがされますか、坊ちゃん?」

「……とりあえず、後ろのべっぴんさんに離れてもらうところから」

「えー、却下なので次の案を提示してみようか!」

「これって普通男側が言うセリフじゃないかな?」


 男が懇願するのではなく、女の方からアプローチがあるとは。

 ハルカが知っている男女間の常識がなんとも覆されそうである。


「では、私の方から一つ提案が」


 そんな時、横で見ていたエルザが手を挙げる。

 そして───


「背中にまとわりつくビッチが少々面倒くさいので、ちゃっちゃと彼女の取り巻く環境をどうにかしませんか? おあつらえ向きなイベントが控えておりますし───せっかくなら参加する方向で『建国パーティー』向けの正装を用意しましょう」

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