【書籍化決定】人々を陰ながら救っている英雄、実は公爵家のクズ息子。というのを周囲は知っている

楓原 こうた【書籍6シリーズ発売中】

プロローグ

 ここ最近、公爵領の中でとある人物の話題が広まっていた。


 その人間は成人を迎える前ぐらいの背丈であり、声音は見た目通りの少年。ただ、それ以外の容姿は大きいマントと無柄のお面によって隠されている。

 かといって、不審者だからこの人物の話が話題となった……というわけではない。


 困っている人間がいれば颯爽と駆け付け、手を差し伸べてくれる。

 盗賊に襲われていようが、魔獣に襲われていようが、自分の飼っている大事な猫がいなくなろうが関係なく。

 相手が誰であろうと、どんな不幸だろうと手を差し伸べてくれる。

 不幸の元凶がもしも強かった時はどうするのか? と思うだろうが、本当に関係がないのだ。

 見た目はいくら少年であっても、侮ってはいけない。

 少年がひとたび困っている人を前にして拳を握れば、必ず最後に手を差し伸べられた者は笑顔になれるのだから―――



「はぁ……はぁ……」


 一人の少女が、月夜が照らす森の中を必死に走っていた。

 艶やかなミスリルのような銀の長髪を靡かせ、薄暗く照らされて覗く顔は端麗以上の言葉を送りたいほど整っている。

 ただ、森の中を走っている割には動き難そうな装飾が散りばめられたドレスを着ている。おかげで、ところどころ枝に引っ掛けたような跡や泥がついていた。


『あっちだ! あっちを追え!』

『パーティー帰りのを襲ってんだ! こんなチャンスは二度とねぇ!』

『さっさと殺すぞ! でないと依頼主に殺される!』


 少女の背後からは、何人もの剣を持った男が迫って来ていた。

 友好的に見えないのは、手に持っている剣と殺意が滲んだ瞳を見れば一目瞭然。

 故に、少女は追いつかれないよう運動慣れしていないのにもかかわらず走り続ける。


(ちくしょう……私のせいで、他の皆が……ッ!)


 少女は走りながら瞳に涙を浮かばせる。

 脳裏を過ったのは、自分のために身を犠牲にして赤い鮮血を散らした騎士達の姿。その人間達の決死で、人数が少なかったにもかかわらず敵を大人数減らしてくれた。

 おかげで、今は背後に迫ってきている男達だけなのだが……か弱い少女が立ち向かえられるようなヤワな相手ではない。


(そんなの分かってる……だから、私は騎士達のためにも逃げないと!)


 しかし、どこまで?

 自分がいた場所からかなり離れてしまっており、もうここがどこかすら分からない。

 分からないからこそ、どこを目指せば助けを呼べるのかが―――


「きゃっ!」


 少女は思わず足元の幹に躓き、そのまま倒れてしまう。

 これが、致命的なロス。少女が倒れてしまった隙に、追いかけてきていた男達が背後までやって来た。


『手間とらせやがって……ぶっ殺してやるからな』

『待てよ、もう追いかけっこは終わりなんだろ? どうせ殺すんだったら、ここで一発ヤッってもいいんじゃねぇか?』

『確かに、見た目は一級品だし……うちの仲間も大半いなくなっちまったんだ。ここいらで清算しねぇと割に合わないな!』


 明確な殺意と、下卑た笑みが向けられる。

 成人して一年が経ち、大人の枠組みに入れられたが……少女は、まだまだ子供。

 絶望的な状況と相手を前にして、浮かんでいた涙がより一層増えてしまう。


(い、いや……)


 どうして、私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう?

 ただ王族に生まれたからって、別に特段悪いことなんてした覚えはないのに。

 それに、まだやりたいことがいっぱいある。死にたくない。


(だ、誰か)


 故に、少女は思わず願ってしまった。

 誰に向けるわけでもなく、せめてものという想いを込めて。


……ッ!」


 そして———



「分かったよ」



 ―――頭上から降ってきた何かに、一人の男が潰された。


『はぁッ!?』

『な、なんだこい……!?』


 文字通り、体躯のいい男が潰れて赤い臓物を曝け出したことに驚く男達。

 だが、そんな驚きもすぐさま小さな拳が顔面に叩き込まれたことによって掻き消される。

 本当に小さな拳だった……自分よりも一回りは小さいはずの拳。

 しかし、


『ひ、ひィッ!』


 最後に残った一人が尻もちをついて後ずさる。

 視界に映っているのは、先程まで高笑いしていた仲間の無残な骸と―――大きなフードと無柄のお面をつけた、少年の姿。


「僕の魔術はね、『我儘』が主軸に編み出されているんだ」


 お面から覗く鋭い眼光が、男へと注がれる。


「個々が己の才能を持って術式に落とし込み、世に事象を与えるのが魔術。才能によって……とは言ってるけど、編み出す目的によって方向性は決めなきゃいけない。だから、僕は『我儘』にすることにした。この感情を突き通すために、突き通して解消するために」


 女の子が追いかけ回されて、剣を向けられて、涙を流していて。

 それだけで、少年はただただ拳を握った―――己の我儘を貫き通すために。


「だから、僕はこの子を助けたいって我儘を通すよ……だって、不幸に遭っている人は放っておけない」


 握られた拳は男へと振りかざされる。

 もしも、このまま振り下ろされれば目の前に転がっている骸と同じような結末を迎えることだろう。

 しかし、男が最後に言い放った言葉は命乞いなどではなく―――


「ま、まさかお前は『幼き英雄』……———」


 先程まで高笑いして下卑た目を向けていた男は、それ以上言葉を発しなかった。

 力なく体は崩れ、赤黒い液体を胴体から垂れ流している。

 そんな悲惨な姿を見て、少年は「やっぱキツイものがあるなぁ」と言い残し、少女へと近づいた。

 そして、優しく安心させるような声で少女に向かって手を差し伸べる。


「変な光景見せてごめんね……大丈夫?」


 あまりにも一瞬。先程まで絶望的な状況だったのにもかかわらず、気がつけば脅威はいなくなっていた。

 ただ、目の前の少年が現れて、不安にさせるまいと優しい言葉を投げかけている。


(『幼き英雄』……)


 聞いたことは何度もあった。

 住んでいる場所が違えど、公爵領に現れた歳に合わない生粋の英雄ヒーロー

 彼は大きめのマントを羽織り、顔を隠す無柄のお面をつけ、礼を求めることなく誰かを助けていく。

 まるで、昔に流行った『影の英雄』という本の主人公のようだ。

 その正体は―――


……)


 どうして顔も見えないのに分かるのか? それは至って単純であり……マントに公爵家の家紋が縫われてあるからだ。

 貴族の家紋を勝手に使用することは原則禁じられているため、家の人間でない限り誰かが勝手に使うことはできない。

 そして、公爵家の人間で若い男はたった一人だけ。


「あっ、僕のことは一切聞かないで。一応、素性は隠しておきたいから……」


 だったら、どうして公爵家の家紋が縫われているマントを羽織るのだろう? 少女は純粋に疑問に思った。

 しかし、少年の差し伸べられた手を握り返した時……ふと、聞いた話を思い出す。


(そういえば正体は皆知ってるけど、黙っておくのが暗黙のルールなんだっけ……?)


 理由は色々。

 助けてくれたのに、本人が嫌がっていることをするのはよろしくないから。気づかれていないと本気で思っている姿が可愛いから。もしかしたら『幼き英雄』をやめてしまうから。少年が人知れず助ける『影の英雄』に憧れているから、などなど。

 それは聞く人によって変わり、様々な憶測が飛び交っている。

 ただ、全員に一致しているのは……黙っておこう、それだけ。


「……ありがと」


 少女もまた、この暗黙のルールを破るつもりはなかった。

 ここで「あなたの正体を知っています!」というのは簡単だが、助けてもらったのは事実。恩を仇で返すような真似はしない。


「ううん、全然。僕の方こそ遅くなってごめん」


 だって―――



 ―――こんなに優しい子に、自分は救われてしまったのだから。


「送っていくよ、こんなところにいると危ないし……あと、君の部下の弔いもしてあげたいしね」


 少年は少女の手を引いて森の中を歩き出す。

 月夜に照らされた光が、少年の小さな背中と小さな手を映し出した。


(あぁ……ダメだなぁ。私の方が歳上のはずなのに)


 そして、同じく月夜によって照らされた少女の頬には……涙が伝ってしまっていた。


(涙が、出ちゃう)


 当たり前だ。自分のために体を張ってくれた部下を失い、先程まで恐怖が体を支配していたのだから。

 気がつけば、少女は嗚咽を溢し始めてしまった。

 安堵が一気に押し寄せてきたからか、今更ながら部下を失った悲しさが出てきたのかは分からない。


 ただ、『幼い英雄』と呼ばれる少年は黙って少女の手を引いて歩く。

 少しでも安心させるために、普通よりも強く手を握って。




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