幼き英雄


「なんだ、この紅茶はッッッ!!!」


 とある平日の昼間から、そんな怒声とカップの割れる音が響き渡る。

 室内には床に膝を着いてめいいっぱい頭を下げている若そうなメイドが一人。傍らにはカップの破片と紅茶の染みが残っており、中身が入っていたままで投げられたのだと窺える。

 そして、そんな様子をソファーに座っていた一人の白髪の少年が不機嫌さを隠しもせず見下ろしていた。


「ぬるい……ぬるすぎる! よくもその状態で僕の前に出そうとしたものだ!」


 身長はまだ成長途中だからか、少し低い。ただ、綺麗な白髪は端麗な顔立ちをアピールするかのように切り揃えられており、一つも乱れが見られなかった。

 とはいえ、メイドはそんな整った顔など見ることなどできず───


「申し訳ございませんっ!」

「もういいっ! お前は出ていけ!」


 メイドは少年の声を聞いて立ち上がると、そそくさと部屋を出て行ってしまった。

 その姿を見て、この場の主である少年は大きく鼻息を鳴らす。


「まったく……」


 ―――ハルカ・アスラーン。

 御年十三歳。つい先日誕生日を迎え、あと二年で成人と呼ばれる少年は、王国の騎士団長である父親と、王国の魔術師団長である母親の間に生まれてきた子供であり、次の公爵家を継ぐ者だ。

 容姿は見た目麗しい両親の遺伝子を立派に受け継ぎ、将来必ず美男子になるだろうと一目で分かる可愛らしい容姿。社交界に顔を出せば、集まる令嬢は皆目を引かれることだろう。


 しかし、そんな少年は「クズ息子」と呼ばれていた。

 癇癪持ちで性格は残忍、最悪。平気で人を傷つけたりアカデミーはかなりの頻度でサボっていたりする。

 彼に困らされた使用人や街の人達は数え切れないほど。

 更には、才能溢れる両親の遺伝を受け継いでいないのかと思われるほどの無能。剣術も魔術も、そこいらの子供に負けてしまうほど貧弱。

 そんなハルカだが―――


「だ、大丈夫だったよね……? 顔にカップの破片とか当たっていないかな?」


 メイドがいなくなった途端にあたふたし始めた。


「本当は美味しかったよ!? あの子、紅茶淹れるのすっごく上手なのに、僕のせいで自信なくしちゃわないかな……ねぇ、大丈夫だよね、エルザ!?」


 そう言って、ハルカは勢いよく背後へ振り向く。

 そこには、艶やかな金の長髪をサイドに纏めている、一人の美しいメイドの姿があった。

 ただ、麗しくお淑やかさが感じられる綺麗な顔には「やれやれ」といった疲労感が滲んでいる。

 というより、すぐにため息が零れた時点で疲れているのは間違いなかった。


「はぁ……そんなに心配なされるのであれば、あのようなことをしなければいいではありませんか」


 メイドの女性———エルザは、近くの壁際に置いてあったタオルを手に取り、床に撒かれた紅茶を拭おうとする。

 しかし、手に取った頃にはハルカがいそいそと割れたカップの破片を回収していた。とても公爵家の人間がするような行動ではない……のだが、エルザは咎めることはしない。というより、もう慣れてしまっていた。


「何を言っているの、エルザ!? になるためには、クズにならないといけないんだよ!?」


 割れたカップの破片を袋に入れ、ハルカは懐から一冊の本を取り出してエルザへ見せつけた。


「表の顔は怠け者や無能と呼ばれるクズ息子……だけど、その裏の顔は正体を隠して人知れず困っている人に手を差し伸べる、かっこいい『影の英雄』! 僕はこの本に出てくる英雄になりたいんだ!」

「なるほど」

「そのためには、僕は悪役ムーブをする必要がある。じゃないと、人助けをしているのが僕だってバレるからね。今考えると、影の英雄様がどうしてクズ息子としていたのかが分かるよ……人助けをしている人間がクズだとは普通思わないもん」

「ふむふむ」

「だから、今の行動も常日頃から僕がクズ息子だって呼ばれるために―――って、どうしてさっきから僕の顔をガン見するの?」


 話を聞いているのかいないのか。

 先程から熱弁する自分の横で、何故かエルザが顔を近づけてマジマジと見ていた。

 美しい顔立ちが眼前に迫り、仄かに香る甘い匂いが年頃の少年を刺激したことで一瞬だけハルカの胸が高鳴る。


「いえ、坊ちゃんの顔が大変可愛らしく―――」

「か、可愛くないし……だからって、道端の猫を見るような鑑賞感覚は持たないでほs」

「———欲情しておりました」

「鑑賞感覚の方がよかったッ!」


 身の危険を感じて咄嗟に飛び退くハルカ。

 貞操の危機がもうすでに手の届く場所まで迫ってきているようであった。


「と、ともかくっ! 僕はこの本に出てくる『影の英雄』みたいなかっこいいヒーローになるために、クズ息子だと思われなきゃいけないの! こうしてメイドの女の子を虐めていれば、周囲の評判はどんどん悪くなるし、僕が『』だって思われないだろうからね!」


 最近、巷でよく聞く『幼き英雄』。

 困っている人間がいれば颯爽と駆け付け、不幸になる者の不幸を全力で払いに行く。

 普段はお面やマントなど羽織っているため顔は分からないのだが―――


(公爵家の紋章が縫われているマントを羽織っている時点で正体など普通にバレているのですが……その事実には気づかないのですね)


 公爵家の子供はハルカ一人だけ。

 背格好がそもそも現公爵家当主でない時点で、候補者など一人に絞られるのだ。

 では何故そのマントにするのか? と、何度かエルザは尋ねたことがあるのだが、本人曰く「これが一番『影の英雄』が使ってたマントっぽいんだ!」とのこと。

 そのため、すでに世間では『幼き英雄』=ハルカだと、そもそもが露呈している。

 なのにハルカの耳に『幼き英雄』の正体がバレたのだと耳に届かないのは……純粋におっちょこちょいだからだろう。


(こういうところに気づかない坊ちゃん……なんて可愛らしいのでしょう。街ぐるみで秘密にしようと結託してしまう理由もよく分かります♪)


 実のところ、ハルカは「クズ息子」とは正反対なぐらいに優しい。

 こうして己の行いに罪悪感を覚えていたり、『幼き英雄』と呼ばれるほど困っている人がいたら見捨てない。

 もちろん、本に出てくる登場人物の影響で人助けをしているのだろうが、それでも実際に行動へ移せるのは凄いことだ。


「あのさ、エルザ……毎回のことで申し訳ないんだけど、さっきのメイドの子に甘いものでもご馳走してあげてくれないかな? もちろん、僕からお金出すからさ……あと、せっかくだったら他のメイドの人達にも」


 しどろもどろで、申し訳なさそうに口にするハルカ。

 それを見て、エルザは上品に小さく口元を緩める。


「えぇ、構いませんよ。坊ちゃんのあとフォローも、専属メイドのお仕事ですから」

「いつもありがとうね……あ、分かってると思うけど、僕からっていうのは内緒で」

「もちろんです」


 拭き終わった布とハルカが回収したカップの破片を持って、エルザは腰を上げる。

 部屋を出る間際、ふと己の主人であるハルカの姿が映った。

 可愛らしく、それでいてどこか逞しさを感じ、今の表情には貴族らしくもない純粋な感謝の色が浮かんでいる。


(……そういうあなただからこそ、が仕えるのですよ)


 あ、違いますねと。

 己の問答に対してエルザはほんのりと頬を染めながら部屋のドアノブに手をかけた。


(お慕い、でしたね)


 その時のエルザの顔は、残念なことにハルカには見えなかった。

 ただ、もし見えていたとしても首を傾げていたことだろう―――何せ、まだまだハルカは『幼き英雄』。

 一人の女性が向ける感情には、まだまだ鈍感なのだから。







「皆さん、坊ちゃんからスイーツの差し入れですよ」

「「「「「きゃー! 坊ちゃん、やっぱり優しー!」」」」」

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