回想〜エルザ〜
エルザがSSランクの冒険者になったのは十六歳の時であった。
たった一本の剣。
それだけで、大陸で三人しかいないはずのSSランクにまで手が届いたのだから、正に異常とも言える。
瞬く間にその情報は世界各国まで広まり、一気に今まで以上の地位と知名度を獲得する。
大陸で最強格の一人へ、たった幼い少女がなってしまった。
厳密に言えば、あくまでSSランクは冒険者の中での話。聞くところによると、他国に構える賢者や、王国最大の騎士団の長に座る剣聖など、冒険者ギルドに加入していないだけでSSランクに相当している実力者もいる。
しかし、それでも指で数える程度だろう。
街を歩いている間に喧嘩を売られたとしても、エルザという少女が敵と見なせる人間は現れない。
この頃はまだ魔術について勉強はしておらず、本当に剣の腕だけでのし上がった。
細い腕は剣を軽々と振り回し、誰もが魅了してしまうほどの剣技を見せ、華麗で妖艶な動きで剣を捌き、彼女の中で世界がゆっくり動いているのではと錯覚してしまうほどの素早さを発揮する。
それらと持ち前の美貌を総じて『剣姫』と呼ばれるようになったが、エルザはさして気にしていなかった。
気にするほどの興味を、持ち合わせていなかった。
何せ、エルザにとっては周囲はただの有象無象。剣を交わしてもすぐに終わり、誰であろうとも己の首に刃が届くことはないと思っていたからだ。
しかし―――
『流石は『剣姫』と呼ばれるお方だ』
SSランクになった直後。
エルザは、とある他国の荒れ果てた荒野で膝をついていた。
幾歳ぶりだろうか? 己が満身創痍で誰かに見下ろされるなどと。
『まさか、軍一つを動かさないと追い詰められないとは』
視界に広がるのは死屍累々。
血が蔓延り、死体が転がり、どことなく鼻を刺激する匂いが広がっている。
その中で立っているのは、死屍累々と同じ格好をした兵士達が……ざっと三千人。あれだけ倒したのに、まだ三千人残っているのだ。
「……こちらこそ、軍を一つ動かされるとは思いませんでした」
『我々とて予想外だ。貴殿が王の寵愛を受け取らないと言い始めた時でも、流石にこの人数を引っ張ることになるとは露にも思わなかった』
エルザは他国の王に求婚されていた。
しかし、他者に興味を持たないエルザにとって美形であろうが権力者であろうが……有象無象にしか思えない。
故に断ったのだが、結果は王の反感を買って軍を動かされる始末。
愛を受け取らないのであれば死ね。そう言ったメッセージが、眼前に広がっている。
(……もう少し、断り方を考えればよろしかったですね)
エルザはふと天を見上げる。
痺れる足をなんとか動かして突貫しても、精々倒せるのは数十人。背中から矢を放たれ、剣を振りかぶられても、持っていた剣はすでに折れてしまっていた。防ぐことは不可能。
つまり、人生で初めてである―――死期。
(ははっ……驕っていたのでしょうか。いざその立場になると、存外怖いですね)
もし許されるのであれば、ここで泣いてできる限りの命乞いをしてしまいたい。
そういった感情は、SSランクと言われても歳相応。
それでもエルザが瞳から涙を浮かべないのは、SSランクとしてのプライドか、それとも見逃してもらえないと分かっているからか。
『さぁ、お覚悟を』
ゆっくりと、兵士達がエルザに向かって歩き出す。
(あぁ……)
地を踏み締める音が、まるで死神の鎌が揺れる音に聞こえてしまう。
如何に恐ろしいか、言わずとも分かるだろう。
満身創痍のエルザは天を見上げたまま、ようやく瞳から涙を溢した。
(本当に)
未練があるかと言われれば半分半分。
SSランクの冒険者に固執もしていないし、逆に有象無象にしか見えなくともいつかは誰かと結婚はしてみたいと思っていた。
とはいえ、その中途半端は間違いなく―――エルザへ死期をより実感させる。
(死にたくないなぁ)
だから、なのだろう―――
「泣いてる女の子がいるって話だったんだけど、これは僕が割って入っていい感じ?」
ピシッ、と。
何故か、よく原理も分からず。エルザと兵士達の間に亀裂が走った。
その亀裂は景色を歪ませ、やがてステンドグラスを砕いた時のようにパラパラと破片が落ちていく。
そして、そこから姿を現したのは……子供と呼んでも差し支えない、白髪の少年であった。
「って、ここはどこ!? くっそぅ……上手くいったと思ったのに、街どころか木すらない!」
その少年は如何にも場違いな服装と態度であった。
周囲の景色を見て驚き、怯えることもなくただただ両者の間に立ち塞がる。
「ねぇ、ここはどこ? そもそもさ、なんかあちらこちらにお茶の間にお見せできないものが転がってるんだけど、君がやったの?」
少年は振り返り、泣いているエルザへと視線を向けた。
「え、えぇ……そうですが」
「そっか、強いんだね!」
「……あなたは?」
疑問、戸惑い、理解不能。
頭の中が混乱を極める中、エルザはようやくその言葉を絞り出すことができた。
そして、混乱の原因である少年はまるで胸を張るかのように―――
「僕? 僕の名前はハルカ・アスラーン! いつか『影の英雄』になる男だよ!」
『影の英雄』とは、確か物語の主人公だったか?
いつぞや本で読んだことはある。人知れず誰かを助け、やがて英雄とまで呼ばれるようになった男。
それが、今何故ここで? またしても分からないワードが出てきて、エルザは首を傾げる。
「あーっ! そういえば『影の英雄』になるんだったら名乗っちゃダメだったッ!」
エルザを他所に、ハルカは頭を抱える。
だが、それも数秒のこと。すぐに咳払いをして、エルザへと近づいた。
「まぁ、いいや。せっかくだったらちょうどいいし……お姉さん」
「……なんでしょう?」
「もしよかったらさ、僕の理解者になってくれないかな? やっぱり暗躍する人でも、サポートしてくれる人は必要だしね」
―――本当に意味が分からない。
意味が分からないけど、何故かいつの間にかエルザの胸の内にあった恐怖が何一つとして感じられなかった。
どうして? 不思議だ。
『……少年、そこを退きたまえ。どうやって現れたかは知らんが、立ち塞がると言うなら容赦はせんぞ』
兵士の一人が、ハルカに向かって口を開く。
しかし、ハルカはその言葉を受けてエルザを庇うように立った。
「僕の魔術はまだ発展途上だけど、信用はしてるんだよね」
『何を……?』
「助けてって。そう願った人の下に行けるように、僕は魔術を行使した」
あぁ、なんとなく。
己が恐怖をしなくなった理由が分かった気がする。
「だったら、僕は彼女のために拳を握るよ。それが『英雄』としての、僕の才能の使い道だ」
―――目の前の少年の背中が、とても安心するからだ。
「さぁ、始めようか」
少年が小さく手を振るう。
その瞬間、直視できないほどの一本の光の柱が、虚空より現れて少年の手に収まった。
「僕は僕の『我儘』を通す。それで、女の子一人を笑わせられるのであれば」
自分よりも小さく、幼く、か弱そうな背中。
にもかかわらず、エルザは見つめられずにはいられなかった。
―――この日、エルザは救われた。
たった一人の、幼き英雄の手によって。
英雄と、言っても違和感のない存在によって。
それから、エルザはSSランクの冒険者という地位を捨てて、少年の側付きとなる。
ハルカの要望通り、彼の理解者として。
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