侵入者

 黒ずくめの男は一人、静かに公爵家の屋敷の中を徘徊していた。

 決してけどられることなく、巡回中の騎士達の目を掻い潜って目的の部屋まで向かう。

 息を殺しているのは分かるが、今どんな表情をしているのかは鼻上まで覆っているマスクのせいでよく分からない。


(王女の暗殺……全く、デカい仕事だな)


 野蛮人共は失敗したらしい。

 騎士達をも蹴散らし、あと一歩のところまで追い詰めた……とまでは聞いているが、結局首は取れずに自分のところまで白羽の矢が立った。


 ───暗殺ギルド。その中のエリート。


 今まで殺してきた人間は数知れず、依頼達成率は98%とかなり高い。

 男は己の実力に自信はあるものの、決して慢心はしていなかった。それは依頼主も同じだったのか、この屋敷には別で自分ともう一人忍び込んでいる。

 片方が失敗してももう片方が……という算段なのだろう。

 もちろん「自分が甘く見られている」などと怒ったりはしない。むしろ合理的だと褒めるぐらいだ。

 何せ───


(この屋敷には、あの『幼き英雄』と『剣姫』がいる)


 公爵家のクズ息子と知ってはいたものの、事前に調べると驚くべき情報が。

 まさか、最近話題になっている英雄がここにいる人間だったなんて。しかし、初めは驚いたものの、男はそこまで深くは考えていなかった。

 何せ、所詮は成人もしていない子供。

 確かに扱う魔術は強力かもしれないが、実戦経験は乏しいはず。

 であれば、こと『殺し』に関しては経験キャリアが多い自分にかなりの分がある。

 だからこそ、問題は元SSランクの冒険者で、剣の腕に特化した怪物が───


「おかしいですね、今宵の来客の予定はございませんでしたが」


 カツン、と。

 月明かりの射し込む廊下から足音が聞こえてくる。

 艶やかなサイドの髪を靡かせ、ただ静かに足を進めて女性が姿を現す。


(……早いな)


 思った以上にけどられるのが早い。

 目の前に現れたメイドは己の姿が見えた前から確信を持って歩いて来た。

 ここに至るまで一切音どころか気配も隠していたはずなのに。


「気配を消すのはお上手ですね。ですが、殺気まで隠せていたのなら、なおベストでしたよ」


 男の中で最も警戒すべき相手。

 殺気など漏れていただろうか? 男が疑問に思ってしまうぐらい気を使っていたものを、呆気なくエルザは暴いた。

 それがどれだけ驚くべきことか。しかし、男は至って冷静に地を駆けた。


(……刈る!)


 逃がしてもらえるなどとは思っていない。

 だからこそ、相手が油断している隙にさっさと倒してしまう。

 何せ、今のエルザはどこにものだから。


「あら、丸腰だと分かれば突貫ですか……なんとも愚直でメイドは苦笑してしまいそうです」


 ふと、男の背筋に悪寒が走った。

 メイド服の下に剣を隠している様子もない。明らかな丸腰で、自分は毒を仕込んだナイフを何本も持ち合わせている。

 にもかかわらず、長年の勘が警報を鳴らしているかのように、嫌な予感がヒシヒシと全身を襲った。

 故に、男は急ブレーキをかけて身を横に転がす。

 すると、唐突に自分のいた直線上へ

 驚いてエルザの方を見ると、何故か彼女の手には先程までなかった剣が握られており―――


「何故!?」

「何故、と言われましても……」


 エルザは飄々とした様子で剣を振るう。


「私の魔術は、剣を生み出すものですよ」


 エルザは剣の天才だ。

 若くして剣一つで数多の敵を薙ぎ倒し、斬り伏せ、平民でありながらも冒険者として名声を高めてきた。

 そんな彼女でも、寝込みや入浴中では無防備。

 ある程度体術も嗜んでいるものの、才能を発揮できるのは剣を握った時なのだ。

 剣に特化してしまったエルザは己にハルカのような異質な魔術を編み出すことはできない。

 だからこそ、己の技量の中で己の才能を最も発揮できる魔術を編み出す他なかった。


「剣はいつか錆びます。斬り伏せていれば刃こぼれも起きるでしょう……しかし、そうなってしまえば私はただの凡人。言語道断。、これこそが私の本質になります」

「くっ……!」

「ですので───」


 スパッ、と。目にも留まらぬ早さで剣が光った。

 その瞬間、男の右腕から大量の血飛沫が上がる。


「う、ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!!???」

「言っておきますが、坊ちゃんももう一人の存在に気づいておりますよ」


 ゆっくりと、エルザは足を進める。

 空いている片方の手で毒が塗られた短剣を投げるものの、容易に柄で弾かれた。


「そもそも、本当に王女様を殺したいのであれば坊ちゃんのテリトリーに入らないことです。あなた方の敗因はこと───私がいようがいまいが、坊ちゃん一人がいる時点で軍隊でも引っ張ってこなければ」


 エルザの言葉を、男は恐らく聞いていないだろう。

 必死に血飛沫を上げる腕を押さえ、マスク越しにでも分かる苦悶の表情を浮かべている。

 そして、苦し紛れと言わんばかりに口を開いた。


「どう、して……」

「はい?」

「どうして、君ほどの人間がメイドを……ッ!」


 メイド、というよりかは誰かの下についていることに疑問を思ったのだろう。

 その意味こそ分かっているものの、エルザは思わず首を傾げてしまった。


「おかしなことを言いますね。所詮、私は坊ちゃんの足元にも及びませんよ。トリガーが複雑なので時と場合によりますが……もしも仮に、私が本気でアリス様を殺そうとしても、持って五分ほどです」


 それに、と。

 エルザは月明かりで照らされている中、薄らと愛おしそうに頬を染めた。


「……私は、坊ちゃんに救われた身ですので」


 あの時、あの場所で。

 そんな熱っぽい言葉が、男の耳に届いた最後の声であった。

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