悩み事
『幼き英雄』と呼ばれているハルカには少し悩み事があった。
『坊ちゃん、おはようございます』
『相変わらず可愛いですね!』
『クッキーを焼いたので、坊ちゃんもいかがですか?』
屋敷の中を歩き、使用人達とすれ違う度にそのようなことを言われていた。
優しくて、好意的。それでいて、いつも親切にしてくれている。
これは、ハルカが「『影の英雄』になろう!」と決める前からずっと続いており、クズ息子として振舞い始めてからも継続されていた。
「…………」
だからこそ、ハルカは悩んでいる。
クズ息子たるもの、使用人には真っ先に嫌われないといけないはずなのだから―――
「っていう感じで悩んでるんだけど、僕は一体どうすればいいんだろう?」
ハルカの自室にて。
この部屋の主である少年は至極真面目な顔をしながら一人のメイドに尋ねた。
「私の胸を揉めばいいと思います」
「至極真面目な疑問になんてことを!?」
ただし、尋ねた先の美人メイドは胸元を開けて答えるだけ。
程よく以上に育った果実の谷間が眼前に迫ったことにより、年頃のハルカは顔を真っ赤にさせる。
「い、いいかい……女性がみだりに自分の肌を見せるものじゃないよ。エルザも大人のレディーなんだから、少しは慎んだ行動を―――」
「坊ちゃんの視線が常日頃胸に注がれていましたので、てっきり要求されているものなのかと」
「べ、べべべべべべべべべべべべべ別に見てないし勘違いなんだしッッッ!!!」
大人のレディーには、お子ちゃまなボーイの視線がどこに注がれているのかお見通しらしい。
「ごほんっ! それより、どうやったら使用人達に嫌われるかだ」
ハルカは誤魔化すように大きく咳払いを一つ入れる。
そんな可愛らしい姿にエルザは思わず笑みを浮かべると、そのままハルカの隣へと腰を下ろして流れるように抱き締めた。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん。充分に嫌われております」
「さっきそこで、クッキーをもらったのに?」
「それは坊ちゃんが可愛らしいからです」
「この前、頭を撫でられたのに?」
「それは坊ちゃんが愛らしいからです」
「……嫌われる問題と同時に、子供扱い問題も解決しないといけない気がしてきた」
これでもハルカは十三歳。
この前歳を重ねたとはいえ、再来年には成人と呼べるお年頃だ。
嫌われたいのは嫌われたいが、子供扱いをされるのもそれはそれで背伸びをしたい男の子的にはプライドの関係で早期解決を望んでしまう。
「ご安心ください、私は子供扱いしたことはありませんよ」
「嘘だっ! いっつも僕の頭を撫でて膝枕を強要してくるくせに! こっちはもう十三歳だよ!?」
「ですから、子供扱いはしておりません」
膝枕と頭を撫でる行為の、どこが子供扱いではないのだろう?
他の使用人達と同じ行動をしているはずなのに、と。ハルカは現在進行形で抱き締められながら首を傾げる。
そんなハルカを見て、エルザは―――
(まぁ、坊ちゃんが優しいのは周知の事実ですし、『幼き英雄』と呼ばれているのも皆さんご存じですし……嫌う要素がそもそもないのですよね)
ハルカが『影の英雄』に憧れている、というのはここで働く使用人達は知っている。
今までの悪役ムーブも、そのために必要なのだということは理解していて、あとで必ずフォローが入っているのは体験済みだ。
そのため、エルザが思うようにハルカを嫌う要素が見当たらないのは当たり前である。
「うーん……もっと過激なことをして困らせなきゃいけないのかな? 今度、窓ガラスでも割ってみる? けど、破片で誰か怪我しても困るし……」
しかし、己が『影の英雄』に憧れているとも、『幼き英雄』と呼ばれているとも知られていないと思っているハルカはそもそも気づいていない。
これは周りがハルカのために暗黙のルールを敷いているのが大きいからだろう。
(まぁ、その坊ちゃんの心配も事前に皆に「いつもが起こる」と言っておけば大丈夫でしょう)
そう、故にあとフォローを任せているエルザの口がかなり軽いことも、まだハルカは知らないのだッッ!!!
(ふふっ、坊ちゃんは今日も相変わらず可愛いです♪)
エルザはちょっと間抜けな主人を抱き締め続ける。
すると、ハルカの考える声が唐突に止まった。
「……ねぇ、さっきから女性の恥じらいの代名詞である柔らかさが恥じらいを感じさせないほど当たってるんだけど」
「当てておりますので」
「ねぇ、少しは恥じらいを持たないの!? こっちは思春期真っ盛りな男なんだけど!?」
「ご安心ください、坊ちゃんだけです……私の特権を得られるのは」
「
相変わらず、エルザはお淑やかな笑みを楽し気に浮かべるだけで離れようとしない。
そんな美しい女性を見て、乙女心が分かっていないハルカは悔しそうに唇を尖らせるのであった。
しかし、それも一瞬のこと。
すぐさま何かを思い出したかのように、勢いよく立ち上がる。
「そうだ、これだよ!」
「いかがなされたのですか?」
「僕が子供扱いをされるのも、嫌われないのも、僕が無害な人間だと思われているからだ!」
確かに、実際に軽いスキンシップでも顔を真っ赤にし、使用人を虐める時も傷つけないようにいつも配慮。加えて見た目が子供らしく可愛いため、無害で愛らしいと思われているのは間違いない。
かなり今更感はあるが、とりあえずエルザはハルカの言葉に耳を傾ける。
そして———
「娼館へ行こう!」
唐突に、そんなことを言い始めた。
「実際に『影の英雄』は娼館に通っていたらしいし、ここで僕が節操なしって思われれば嫌われることは間違いない!」
「…………」
「女の子を知れば僕だって大人な男で決して無害な男だとは思われない! 一度そういう経験をすれば子供っぽくも見られないだろう……執事さん達は置いておいて、メイドの人達は絶対に僕のことを―――」
ガッ!(エルザがハルカの足を払う音)
ドスッ!(エルザがハルカを組み伏せる音)
ゴッ、ゴッ、ゴッ(エルザが拳を振り下ろす音)
「目は覚めましたか?」
「ぶぶっ……とりあえず、ダメな選択肢だってことはよく分かったよ……ぶぶっ」
腫れた頬を押さえながら、ハルカはいけない行動なのだということを理解した。
それと、このメイドは容赦がないのだということも改めて理解した。
「(まったく、坊ちゃんには困ったものです……そういうのは私がお相手できるというのに)」
今年十九歳を迎える乙女なエルザはブツブツと呟きながら、ハルカの上からゆっくりと降りた。
そんな彼女の姿を見て、またしてもハルカは首を傾げる。
しかし、どれだけ耳を澄ませてもエルザの小言は聞き取れないため、切り替えるようにして体を起こした。
「まぁ、いいや。とりあえず、冒険者ギルドに行こー」
ハルカはそのままクローゼットへ行き、黒いマントと無柄のお面を取り出した。
「持って行かれるのですか?」
「うん、途中で誰か困っている人がいるかもしれないし、念には念をって感じだよ」
ハルカは小さく笑い、手元のバックにマントとお面を詰め込んでいく。
……やっぱり、彼は優しい。
本来であれば衛兵や騎士が行うべきことを「見捨てられないから」といって助けようとする。
それがなんとも崇高で尊いことなのか。傍から見ていたエルザは、ほんのりと頬を染めた。
ただ───
(『影の英雄』が着ていたマントに似ているからといって、公爵家の家紋が縫われたマントを着るのはどうかと思いますけどね)
まぁ、そんなおっちょこちょいな部分も含めて、仕える主人は可愛いのだ。
エルザは己も腰を上げると、カバンに詰め込み終えたハルカの横にそっと並ぶのであった。
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