赤龍討伐
―――二時間前。
「よっ、と」
公爵領の外れにある森に、一瞬で二人の姿が現れる。
まるで瞬間移動をしたかのような……いや、実際に瞬間で移動できたのだから「ような」は不要かもしれない。
少し開けた森の芝生の上に降り立ちながら、ハルカと手を繋いでいるエルザは口にする。
「相変わらず、便利な魔術ですね」
「まぁ、自分で言うのもなんだけど才能の賜物だけどね」
ハルカの魔術は『我儘』。
己の定めた感情を解消できるように、一時的に事象に影響を与える魔術だ。
たとえば、目の前の相手を倒すために強大な力を手に入れたり、誰かに会いたいからと言って己の立っている場所の座標を移動させたり。
感情の度合いと解消するための方法によっては、それこそこの世の全ての魔術師を凌駕してしまう。
ただし、あくまでハルカが抱いた感情によって左右されてしまうので、気軽に行使ができないものとなっている。お腹も空いていないのに、焼きたてのチキンは食べられない……みたいなものだ。
しかし、基本的にハルカが魔術を使うのは『幼き英雄』として活動している時だけ。
心優しい少年が、困っている人を前にして「助けたくない」などと思うはずもない。
そんなハルカの才能は―――英雄。
物語の主人公に憧れるだけの資質を持った人間に相応しい才能である。
「でも未だに『我儘』っていう方向性にはちょっと後悔してる」
「どうしてですか?」
「『我儘』って子供っぽくない!?」
ハルカが魔術を編み出したのは三年前。
ちょうど我儘が適応されてもまったくおかしくはない時である。
こう、なんていうか……子供の時に書いたポエムが大人になっても残っているような感覚だ。
「ふふっ、決してそのようなことは……そういえば、いただいた飴ちゃんがここにあるのですが」
「その前置きをしている時点で子供だと思われているんじゃないかな……ッ!」
悔しそうに拳を握るハルカ。
内心で「いつか絶対に立派なボーイに育ってやる!」と決意するのであった。
「まぁ、坊ちゃんの子供扱いするかするかはひとまず置いておくとしましょう」
「……それ、置く前に結論出てない?」
「それよりも―――」
チラリと、エルザは背後に視線を送る。
ハルカの『我儘』は会いたい相手に己の座標を移動して出会えるようなものとなっている。
つまり―――
『グルアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!』
「早速ですが、どうやらお仕事のようですね」
木々をも薙ぎ倒す巨大な龍の咆哮が鼓膜を揺らす。
赤龍は急に人が現れたことに驚いたのか、それとも怒ったのか。明らかな戦闘態勢を取り、ハルカ達に目を向けていた。
そんな姿を見て、ハルカは持ってきたカバンからマントとお面を取り出して着用し始める。
「どうして『幼き英雄』の姿になられるのでしょうか?」
「いや、だって二体いるって話だし、分担した方がいいでしょ? エルザと一緒だったら『幼き英雄』が誰なのか分かっちゃうけど、二手だったらこの姿にもなれるしね」
「どうして今の服を脱がれないのですか?」
「その質問は流石におかしくない!?」
羽織るだけのマントの下を脱げば、ちょっと一風変わった全裸の誕生である。
「失礼しました。一人だけ脱がれるのが恥ずかしいというのであれば───」
「違う違う! 僕は脱ぐ行為におかしいって言ってるだけで、羞恥から躊躇っているわけじゃないから肩の紐を解こうとするなこの変態ッッッ!!!」
肩の紐が解かれる寸前でハルカの手が間に合う。
危うく実った果実が露になるところであった……綺麗な谷間が顔を覗かせてはいたが。
「ですが、そもそもマントを着る必要はないかと思います」
「さらっと話題を戻したね……」
まぁいいや、と。ハルカはお面越しに不敵な笑みを浮かべる。
「必要がない、だよね? ふっふっふ……分かっていないな、エルザは」
「と、言いますと?」
「こういう時でもしっかりと対策をしておかないと、ひょんなところで正体がバレてしまうもんなんだよ」
だったらまずはマントを変えた方がいいのでは? なんてことを思ったが、もちろん口にはしない。
こんなにも本に出てくる『影の英雄』に憧れているのだ、気づかれていると知った時は酷く落ち込んでしまうかもしれない……そう、決して「気づいていない方が可愛い姿が見られる」などとは思っていない。えぇ、決して。
「しかし、そろそろマントは新調した方がいいと思いますね。サイズが合っていないので、動き難いのでは? 今ならメイドの裁縫技術をお披露目いたします」
「いいや、このままでいく! だって僕は成長期……そう、これから大きくなるんだから!」
「かしこまりました、帰ったら新調しましょう」
「待って、成長するから本当だから! 理解者が早々に僕の身長を見捨てないでッッッ!!!」
果たして、一般的な男の子の成長期はいつまでだったか。
エルザは必死にマントを抱き締めて首を横に振るハルカを見てふと疑問に思ってしまった。
『グォアァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!』
その時、唐突に背後にいた赤龍が巨大な爪を容赦なく会話をしている二人へ向けて振るった。
しかし―――
「……坊ちゃんとの楽しい会話を妨げるなど、不敬が過ぎますよ?」
ガキッッッ!!! と。
どこからか現れた細い剣が、赤龍の爪を寸前で防いだ。
「まったく……たかがトカゲ風情が、放任主義な育てられ方をされてかなり調子に乗っておられますね」
エルザは立ち上がり、手のひらを肩へと向ける。
すると、またしてもいきなり虚空から同じような剣が現れ、エルザはそのまま握って赤龍へと歩き出した。
「坊ちゃん、このトカゲは私がいただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、うん……別にパンの種類にはこだわらない派の人間だからそこはいいけど」
「ありがとうございます」
エルザは珍しく頭を下げず、ゆっくりと赤龍へと向かっていく。
そんなに大事な話をしたっけ? と、怒っているエルザを見て疑問に思ったハルカだったが、すぐに己も違う方向へと歩き出す。
「まぁ、あっちの相手はエルザがしてくれていることだし―――」
言いかけた途端、景色が移り変わった。
開けた森の中ではなく、今度は視界が悪い洞穴の中。その奥からは、赤黒い鋭い瞳が松明を点けているかのように浮かび上がっている。
「今回も僕の我儘を通させてもらおう。困っている人もいるみたいだしね」
それが開始の合図となったのか、もう一匹の赤龍は洞穴を揺らすほどの咆哮を見せた。
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