大事な人と妹と
―――姉が戻ってきた時のことを、今でも覚えている。
『……気にする、な……レイラは……わた、し……忘れ、た……』
運がよかったらしい。
援軍でも求めようとしたのか、エルフの集落の付近まで来たことによって同胞に見つけてもらえた。
ただ、右半身は抉られたように喰われていて、息を引き取る寸前。
その言葉を聞けたのは、正しく奇跡と呼べるものだっただろう。
―――それはもう、泣いた。
森を出てすぐだったはずなのに。
さっきちゃんと見送ったばかりだというのに。
すぐに顔を見られたと思ったら、目を逸らしてしまうほど無惨な姿で。
(……行か、ないと)
大事な姉はいなくなってしまったが、姉の言葉が気になる。
姉が大事にしていた、あの女が「忘れた」という言葉はどういうことだろうか? 森を出た理由なんて、そんなものだった。
―――森を出て何十年かが経ち、ようやくあの女を見つけることができた。
自分で商会を開き、地元ではそこそこ有名になっているらしい。
おかげで会わせてもらえるまで少し時間がかかってしまった。
けれども、ようやく会えて。
森で話したこともないのに、姉が死んでようやく話すとはなんたる皮肉かと思いながら。
でも、気づいてくれるはずだ。
この特徴的な髪も、顔立ちも。姉の面影があるのだから。
そして———
『初めまして、私はレイラよ。外で同胞と出会えるって中々ないから、嬉しいわ』
―――なんてことない、ただの会話。
本当にまったく知らない同胞として、話された。
その時の自分は、本当に眩暈を覚えるほどショックだった。
しかし、姉の言っている意味はこれなのかと、涙を流して、
(私が、思い出させてあげないと……)
呪いかなんなのかは分からない。
どうして記憶がなくなっているのかは分からない。
けれど、姉が大事だと言った人に忘れてほしくなくて、姉が守ろうとした大事な人が自分のことを覚えていないとなると、あまりにも姉が報われないと思って。
だけど、どれだけ探しても記憶を取り戻す方法は見つからなくて。
そもそも他人の記憶を消す方法なんてなくて。
分かったのは、自ら記憶を消したという、腸が煮えかえるほどの———
「……ふざけないでよ」
青く澄んだ青空を仰向けで見上げながら、カサンドラは目元を押さえる。
「なんで、お姉ちゃんを忘れたの……あんだけ大事にされていたのに、仲がよかったのに、お姉ちゃんを冒涜するなんてさ……!」
ボロボロと、手で目元を押さえているにもかかわらず涙が零れる。
体は、もう動かない。
幼い少年の殴打を受けて、いつの間にかもう文字通り手も足も動かせない状態になっていた。
―――悔しい、殺せなかった。
きっと、これから自分は牢屋にぶち込まれてレイラを殺す機会を奪われてしまうだろう。
それが本当に悔しくて。
制御を失った海水に濡れた状態で、横に座る少年に向かって言葉を吐いた。
「……上手くは言えないけどさ」
傍らで見守ってくれるように、泣いているカサンドラに向かって口を開く。
「子供が何言ってんだって思うかもしれないけど……君にそんなに想われているお姉さんは、レイラにとっても同じような存在だったと思うんだよ」
「だったら……ッ!」
「だからこそ、記憶を消した理由っていうのは絶対にあって。君がこの何百年執着したように、レイラも何百年も苦しんだと思う」
カツン、と。
甲板の上に足音が聞こえてくる。
すると、ハルカとは反対側———カサンドラの横に、目を奪われるほどの女性が腰を下ろした。
「……ごめん、なさい」
レイラはカサンドラの顔を見て、真っ先にそう口にした。
すると、カサンドラは額に青筋を浮かべて―――
「いまさら、謝罪がほしいわけじゃない……ッ!」
「えぇ、それは分かってる」
「お姉ちゃんを殺したお前を……忘れたお前を、この場で殺されようが牢屋にぶち込まれようが私は許さない……ッ!」
「そう、ね……許してほしいとは思わないわ」
レイラはカサンドラの鋭い瞳を受けて、
「私が大事な人を忘れているのは事実。あなたが言うんだから、きっと私は私で自分の記憶を消したんでしょう。そこに言い訳をするつもりはないわ、殺したいっていうなら……ハルカくんは怒るだろうけど、この場で殺されてもいいって思ってる」
「………………」
「でも、そうしたら悲しむ人がいるからって。モモや、従業員の皆……それに、私を守ってくれた大事な人も悲しむからって」
どうしてか、レイラの瞳から涙が零れた。
「私だって、思い出せるなら思い出したいわよ……ッ!」
それは懺悔ではなく、憤っているようにも聞こえて。
いきなり零れた涙を見て、カサンドラは思わず呆けてしまう。
しかし、レイラの吐き出された感情は止まることなく———
「私も一緒に死にたかった! 私のせいであの子が身代わりになることなんてなかった! それなのに、なによ!? 私を忘れろ、って! 忘れたら楽でしょうよ、忘れたら幸せに生きられたでしょうよ! それでも忘れたくなかった……大事な人なんて曖昧な言葉で語りたくなかった! ちゃんと名前で呼びたかった! 一緒に船の上で夢を笑い合いたかったッッッ!!!」
「…………ッ」
「なん、で……私は何百年もずっと一人であなたの夢を叶えなきゃいけないの……こっちは、もう名前も顔も思い出せないのに……」
言葉が出なかった。
想像している会話とは違って。想像している言い訳とは違って。
天国にいる姉に、こうも怒るなんて。
こんなの、まるで……自分と同じじゃないか。
「カサンドラ」
泣き始める横で、ハルカが名前を呼ぶ。
「君も苦しんだと思う……でもさ、苦しんできたのは君だけじゃないんだよ」
「……………」
「できるなら、レイラを守ってあげてほしい。こんなに怒られてまで守ろうとしたお姉さんの代わりに、さ」
そう言って、ハルカは立ち上がって足を進める。
まるで、あとは二人で話せと言わんばかりに。
遠くなっていった背中。自分のせいで静かになった甲板には、レイラの嗚咽だけが響き渡る。
(私、は……)
―――どうすればよかったんだろう。
そう思っていると、ふと何故か。
ゆっくりと、動かせないほど痛い腕がレイラの服へと伸びて。
「泣か、ないでよ」
「…………ッ!」
「泣いたら、お姉ちゃんが悲しむだろ……そんなの、常識じゃん……」
自分も涙がもう一度零れ始めた。
なんて声をかけたらいいのか分からなくて。
それでも、カサンドラは目の前の可哀想な女の子に向かって、口を開いた―――
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