???②
───こんなことになるなら、森を出るなんて言わなければよかった。
「クソッ! まさか、出た傍から黒蟲と出くわすなんてな……!」
洞穴の物陰に身を隠しながら、大事な人は口にする。
額には汗が滲んでおり、鋭い瞳の先には森を這う巨大な漆黒のムカデのような形をした魔物の姿が。
「な、なにあれ……? さっきから、あいつなんなの!?」
「外に出るなら、知っていてほしかったがね。事前準備はキャンプの常識だぞ」
大事な人は静かに息を殺し、
「Sランク指定の魔物だ。常に飢餓に襲われ、手当り次第格下だろうが格上だろうが構わず食い散らかそうとする、クソ害獣」
「ッ!?」
「Aランクの冒険者が何人かいないと、討伐は難しい。無論、私一人で倒せるようであれば、こんなに焦ってはいないと前もって言っておくがな」
やっと外に出て、やっと新しい世界を見られると思ったのに。
そんな矢先に、出会ってしまったのはこんなクソな生物。
嘆かずにはいられない。
けれども、嘆いたところで意味がないのは言わずもがな。
(ど、どうすればいいの……!?)
自分には戦闘能力はない。
森の中での狩りも苦手で、いつも誰かのおんぶに抱っこであった。
きっと、戦ったところで足手まといになるか、真っ先に喰われるだけだろう。
というより、エルフの森の中で一、二を争うほどの実力者である大事な人が「無理だ」と判断してしまう時点で、自分が何かできるわけもない。
(かといって、逃げるとしても……)
洞穴の先は、入り口付近からでも分かる通り先はない。
逃げるとするのであれば、まずは一度黒蟲の徘徊する外に出なければならなかった。
だからこそ、黒蟲がいなくなる瞬間を狙うしかない。
しかし、先程からこの場を離れるような気配が───
「……黒蟲は、温度を探知できる」
必死に頭を回している自分へ、大事な人はボソッと呟く。
「視力がない代わりに、やつは餌を探す際に感度の高い肌で微弱な温度を感じ取れる」
「そ、それって……」
「恐らく、やつは私達の存在に気づいている。ここが見つかるのも、恐らく時間の問題だろう」
残酷な真実であった。
今の話が正しければ、じっとここで待っていたとしても熱を追われていずれ見つかってしまう。
かといって、外に出れば温度の高い生物の移動を感じ取られ、居場所が露見する。
───正に、八方塞がり。
自分の拳に、大量の冷や汗が滲んでいることが分かった。
(わ、私が外に出るって言わなければ……)
もう少しタイミングが早ければ。
もう少しタイミングが遅ければ。
そもそも、外の世界を見たいと言わなければ。
このクソッタレな害獣に出会うこともなかっただろう。
(……せめて、あなただけでも)
大事な人は、自分が外に出るからとついてきてくれた。
大層な理由もなく、自分のことが心配で妹に別れを告げて外の世界に出てきたのだ。
こんな危険な目に遭わせてしまったのは、紛うことなく自分のせい。
───死ぬのは怖い。
本当に怖い。気を抜けば泣いてしまいそうになるぐらい。
けれど、大事な人だけは。
自分のせいで死なせるわけには───
「……私が囮になろう」
しかし、自分とは真逆な発想を、大事な人は口にした。
「私が先に出て、やつを引き寄せる。君はできるだけ反対側に逃げるんだ」
「そ、そんなッ! ダメよ、元は私が言い出したことだし、囮になるなら私が……ッ!」
「いいや、意味がない。私は抵抗してある程度時間を稼げるが、君はすぐに喰われてお終いだ。ならば、合理的に……常識的に、私が囮になるべきだろう」
……言っている意味は分かる。
自分が仮に誘き寄せようとしたとしても、すぐに喰われて大事な人の方へ向かっていくはず。
けれど、ある程度しっかりと戦える大事な人であれば、誘き寄せるだけでなく更なる時間稼ぎも可能。
二人が喰われるより、一人を生かす方が合理的で建設的な話だ。
だが、納得できるわけがない。
だって、そうすれば───
「い、嫌よっ! あなたを置いて私だけ助かるなんて無理っ! なんで、どうしてそんなことを言うの!? 私は、あなたと……ッ!」
「このままここにいても、どうせ二人で喰われるだけだよ」
大事な人は、自分の肩に手を置く。
「君には立派な夢があるじゃないか。商人を目指すのだろう? 色んな景色を見てみたいのだろう? だったら、ここで手放すな……大層な夢もない私を切り捨ててでも、前に進むべきだ」
ボロボロと、自分の瞳から涙が零れ始めた。
けれども拭うことはなく、ただただ駄々をこねるように首を横に振る。
すると、大事な人は立ち上がり───
「忘れろ」
「ッ!?」
「私のことは、忘れるんだ」
洞穴を覆っていた蔦が、大事な人を囲い始める。
「今日のことが一生を苛む楔になるのであれば、忘れろ。私との思い出など、すべて捨ておけ。前に進むなら、楔がない方がいいのは常識的な話だ」
「ま、待って───」
「君は記憶力がいい方だからね、だったら逆もできるはずだよ。安心しろ、きっと忘れた方が楽になる」
大事な人が魔術を行使した。
戦う気なのは明白である。
故に、自分は急いで立ち上がり手を伸ば───
「でも、最後もこれだけ」
───そうとし、大事な人に叩かれてしまった。
「愛してるぜ、レイラ。友人という名前を使うからにはもちろん常識だが……君といる時間は、とても楽しかった」
そして、大事な人はそれ以上言うことなく。
巨大な黒蟲に向かって走り出した。
追いかけようとした。
なんなら、涙を流しながら叫び続けた。
けれど、止まってはくれなくて。
自分は───レイラは、唇を噛み締めながら反対方向へ走り始めた。
(……忘れろ)
忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろッッッ!!!
───そうして、しばらく走り続けて。
森を抜けた頃、もう彼女の顔も名前も思い出せなかった。
「……嘘つき」
けれど、何があったのかだけは、忘れることなんてなくて。
「あなたは、誰なのよ……ッ!!!」
胸に残る苦しすぎる痛みの中、思い出せない誰かを求めてしまった。
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