第56話 未だに。
「梶君。どうだった」
和人君を抱っこしながら関さんが尋ねてくる。先程まで見せていた志穂への敵意は消えていた。代わりに眉間に皺。クラスメイトを気遣ういつもの関さんになっていた。
「うん。間違いないな、完全にアウトなヤツだ」
「木田だよね」
「恐らく、間違いないだろうね」
「そこまでクズだったんだ、アイツ」
「そうみたいだな。でも、庇うわけじゃないけど、わからないでもない」
俺は小さくため息をついた。志穂から送られた写真は、そこまで露出が高いものではない。見せびらかすことは出来ないまでも、ギリ見られていい程度のもの。逆に言えば、このギリギリの写真があってその先がないワケがない、そんな写真。
今更ながら、別れて終わらせた相手なはずなのに、ダメージを受けるのは俺が未熟だからだろうか。よく自嘲気味に笑うっていうが、いまうかつにそんなことをしてしまったら、涙が零れそうだ。
でも人は残酷だから俺の感傷を待ってはくれない。それがどれほど普段仲が良くて、俺に寄り添ってくれて、理解しようとしてくれる人でさえ。いや、理解しようとすればするほど、今の俺の感傷はある意味嫌悪の対象になる。
「まだ好きなの?」
この言葉を口に出させたのは俺だ。割り切れない思いが未だにあるのに、向き合わないでいたから、まだ全然こころが、気持ちが生傷のままだった。だからほんの少しのことで痛みを感じるし、血も出る。周りに気を使わせるし、どこかで心配して貰いたいとも思っている。
この関さんの突き放すような声、言葉。そして見たことがない、たぶん見せたことがないような虫を見るような視線。こんなのも何年か過ぎたら、青春のほろ苦い思い出と笑える日が来るのだろうか。でも、だから誤魔化すのはやめた。
『そんなことない』とか『お前に何がわかる』とか逆ギレしてもなにも変わらないし、伝わらない。伝えたくない相手ならそれでいいかもだけど、もしそうじゃない相手、理解して欲しいと思う相手になら本音を言わないと。
「そうだと思う。まだ、好きなんだろう」
「なんで?」
「なんでって、何が言いたいの?『あんなことしたヤツだよ』とか? わかってるし許してるわけでも、認めるわけでもない」
「じゃあ、なんで」
「質問ばっかだね。それ俺が言わなきゃなの? 仕方ないね、古賀さん風に言うなら『答えを先に言うね』だったか。簡単な話、まだ志穂が思い出になってない」
「どういうこと?」
「だから、俺自身も志穂を思い出に出来てないし、誰も志穂を上書き出来てない。人のせいにするような言い方だけど、まだそんなに時間過ぎてないんだよ、正直責められても困る」
わかって欲しい半面、腹も立つ。責められても人の気持ちはそんな簡単には変わらない。逆に言えば志穂を忘れ切れてない自分がいると同時に、志穂に戻らないと決めてる自分も同時に存在していた。だから、関さんの言う「まだ好きなの?」という質問ほど的はハズレな言葉はない。
好きな自分がいると同時にそれを否定する自分が同居している。不思議な状態じゃない。たぶん、多かれ少なかれ誰もこれに似た感情を持っていて、抱えながらでも日々を送らないと。煩わしくても、呼吸をやめるわけにはいかないように、自分の感情全てを投げ捨てる事は出来ない。
俺だって嫌なんだ、こんな痛みしか生み出さない気持ちなんてさっさと忘れてしまいたい。忘れてしまいたいけど、それを強要するなら少し違う気がする。誰も志穂を忘れさせる存在になってない。
単なる甘ったれな感情だけど、もし待てないって言うなら「まだ好きなの?」なんて責めるなら、そう思ってしまう。割り切れない感情は力技でどうにかするか、時間を待つくらいしかない。
今のオレはまだ治りきってない擦り傷に出来たかさぶたを剥がしては、痛んでを繰り返してる。痛くても、苦しくてもまだどこかで、志穂を求めている。問題はその痛みが割かし心の中心近くだということだ。
「あのさ、空気読めなくて、なんかごめん。ふたりが喧嘩することじゃないから」
見かねた志穂が口を挟んだ。空気の重さに耐えかねたのだろう。
「お前が気にすることはない。この件に関しては前から決めてた事だし、文句があるなら俺が相談した時に言えばよかっただけだ」
「梶君、私が口挟むことじゃないけど、その時と単に状況が変わっただけじゃない? 関さんの立ち位置が変わった。気持ちがね、それわかってあげないとだと思う」
確かにお前が口を挟むことじゃないなと、軽口を叩きたいところだけどそんな空気じゃない。だけど、そこが俺。空気ばっか読んだところで答えなんて出ないし、空気を読んで出した答えが望んだ答えかはわからない。だから、いつもの感じの俺で言う。
「何拗ねてんの? この程度で拗ねてたら身が持たないけど」
「うるさい、わかってるわよ。誰にでも優しいクソ野郎なんでしょ! 知らないの? 私も同じように言われてるの」
「あまりの口の悪さで忘れてた……(震え)」
関さんはムッとしながら俺の脛を蹴り上げた。なまじ手足が長いので足癖が悪いのは考え物だ。バレー女子で体を鍛えてるので、攻撃力も高いし。俺は脛を擦りながら志穂に確認した。
「打ち合わせ通りでいいんだな?」
「うん、それでお願いします。最後のお世話。気合い入れて焼いてよね?」
どうしてだろ、酷い形で別れたはずの志穂の顔が未だに手に取るようにわかる。強がりしか言葉に出来ない不器用な横顔が未だに愛おしい。
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