第25話 梶萌美。
「どう、淳ちゃん? お母さん出た?」
俺たちは廊下を移動しながら、自宅にいるはずの母さんのケータイに電話をする。何度目かの留守番電話サービスにつながり、俺は姉の愛莉に首を振った。外出してて車の運転中で出れないならいいのだけど……
「姉ちゃん。なんにしても帰ろう」
「うん、そうしよう。あっ、琴音ちゃんが」
自転車置き場まで来た時、愛莉が琴音の姿を見つけて俺に伝える。ここまで追いかけて来たからには何か用があるんだろう。
「ダーリン。お姉さまには『学校の裏サイト』動画見てもらったけど、汚チョコのことは言ってない。これは私がいう事じゃないから」
「わかった、ありがと。色々片付いたら……ビーフストロガノフだっけ?」
「そう、ビーフなストロガノフ。両親共々お待ちしてる、気を付けてね。ダーリン」
いつも琴音とは口喧嘩ばかりだった。その関係が今朝から激変した。いや、激変したのはその態度も。俺を見送るその表情から、心配してくれてるのがよく分かった。俺は自転車置き場まで来てくれた仲間に手を挙げ、校門を出た。
***
市道をぶっ飛ばすワケにはいかない。だから、少し遠回りになるが、土手のサイクリングコースを走ることにした。少なくとも見通しがいいし、遠くに犬の散歩をするおじいさんがいるくらいで人影はない。少しくらい飛ばしても、人にけがをさせる心配はない。
「淳ちゃん! スマホ!」
並走して走る姉愛莉が俺のポケットのスマホを指さす。ズボン越しに着信を知らせる点滅が見えた。慌てて自転車を路肩に寄せ、寝かせた。スタンドを立てている余裕がない。スマホ画面には母さんからの着信を知らせる表示が。俺の手が震えた。
「母さん⁉ いまどこ⁉ 何度も電話したんだけど!」
『あらあら、そうみたいねぇ……ママ取り込み中っていうか。もう大丈夫よ、それでなに? もしかしてママの声が聞きたいとか(笑)』
「いや、そういうんじゃ……それより今どこ? 家ならすぐ出かけて! 詳しくは後で説明するから! 変な奴がそっち向かってる‼」
『変なヤツ……んん? もしかしてバット持った目の離れた子?』
「バット⁉ 目の離れた⁉ そいつだ! 母さん、いい? 家から出ないで‼ すぐ愛莉ちゃんと帰るから‼」
『ん? 帰ってくるの? どうしましょ……お昼ご飯用意しなきゃ。焼きそばならすぐ出来るけど?』
「いや、母さん! そんな呑気言わないで‼ いい、そいつヤバいからドア開けちゃダメだから‼」
『あら、どうしましょう……このお目目の離れたお嬢さん、バットでリビングの硝子割っちゃって……』
「リビングの硝子を⁉ 待って愛莉ちゃんもいるからスピーカーにする!」
「お母さん⁉ 愛莉だけど、け、警察呼んだ⁉」
『あら、愛莉ちゃん。警察? ん……なんで?』
「なんでって、ヤバいからよ‼ 普通じゃないでしょ? 人んちのリビングの窓バットで割るとか! そいつ志穂の妹だから‼ いまそいつどこ⁉ 家の中にいるならお母さん、お願い! 逃げて‼」
『うんとねぇ……ママ今お庭。この娘、志穂ちゃんの妹さんなんだぁ。そうなんだ、なんか悪いことしたわねぇ……』
「母さん、庭なんかいないで逃げないと!」
『ん……逃げるって、なにから?』
「その志穂の妹麻利衣から!」
『あぁ……でも、聞いてね。ママ悪気ないのよ? そのね、バット振り回して危ないから取り上げようとして、その……腕をね、軽くよ? 軽くねじったっていうの? そしたら、えっと……ぶらんってなっちゃって腕が……ママね、この子カルシウム不足だと思うの。その麻利衣ちゃんだっけ? 腕がなんかボロ雑巾みたいになっちゃって……たぶん複雑骨折ね? あとお口も悪くて、ママのこと罵るの(くすん)それで仕方なく、掌底をね……あっ、手のひらの下の方の固い部分を、鼻に喰らわせて……いや、間違えて当たったの。そしたら鼻上向きに折れちゃって。豚みたいに泣き叫ぶから、なんかママ忙しいじゃない? お洗濯とか、お掃除。お買い物も行かなくちゃだし……裏拳でちょっと黙らそうとしたら、なんか前歯ぜ~~んぶ折れちゃった(てへっ)』
俺と愛莉ちゃんは土手でお互いの顔を見合わせた。電話の感じでわかると思うが、おっとり型の母さんだから、一刻も早く自転車を飛ばしてたはずなんだけど……
「それで、お母さん。その志穂の妹は今どうしてるの? 逃げたの?」
『うんとねぇ……大きな声では言えないけど、失神してる。あと、ここだけの話。失禁して……その……大も洩らしちゃってて……どうしましょう? お庭に埋めちゃおうかなぁって……スコップ探してるの』
どうしましょうと言われても……あまりにも『これじゃない』という結末に俺たち姉弟は言葉を失った。ひとまず放置は出来ないから、母さんに警察に通報するように言って家路を急いだ。あと、埋めるのは待ってもらった。
急いで自宅に戻ってみると、母さんが言うように見るも無残なボロ雑巾が庭に転がって、うめき声を上げていた。母さんからの前情報で聞いていたが辺りには脱〇による異臭が漂っていた。
「お……お…兄さん……た、助けて」
俺の姿を見つけ麻利衣は助けを求める。いったいどの口がそんな事言ってんだ? お前、母さんに危害加える気満々でここに来たんだろ。とりあえず俺は麻利衣の存在に気付かなかったことにして、今までの恨みとばかり自転車で轢いた。もちろん乗ったまま。
「ひっ⁉ お、お兄さん⁉」
「ん? 母さん。なんかボロ雑巾が話した」
「あらあら。おかえりなさい。そのね……さっきまではボロ雑巾じゃなかったのよ? 威勢よく『殺されたくなかったら、冷蔵庫見せろ‼』なんて叫ぶし……でも、母として冷蔵庫は死守しなきゃじゃない? お断りしたの、丁重に。そしたらこの娘『クソアマが‼』なんて、懐かしいワードほざくじゃない? つい、昔のクセで……再起不能にしちゃった♡」
「昔のクセ?」
「あら、知らないの? もう、モグリね。待ってて、卒アル、卒アル~~」
てってってーみたいな感じで母さんは呑気な足音と共に、階段を駆け上がりホコリの被った卒アルを胸に抱きながら戻った。そこには……
「これ誰?」
そこには天上天下唯我独尊を素で行く、絶滅危惧種のヤンキー女子がキメ顔で卒アルに写っていた。バリバリの金髪で鉢巻を巻いて喧嘩上等な強気な視線。
「えっとね、これママ!『モエ・ダークネス』って呼ばれてた頃なの♡」
梶萌美。二児の母。近所でも有名なおっとりとしたお母さん。こんな過去があることを俺たちふたりの子供は知らなかった。呆気にとられながらも、俺は今回の事の顛末を話すことにした。
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