第41話 ひとつの決断。
麻利衣が女子バスケ部に熱烈歓迎を受けた日の3限目の休み時間。俺は琴音に呼び出され廊下にいた。呼び出されたのだけど、琴音は中々口を開かない。
物憂げな横顔。心の中で小首を傾げていたが待つことにした。考えをまとめている最中なら悪い。廊下の窓を開け外の空気を吸う。初夏の匂い、青葉の芽吹く匂いが鼻先をかすめる。俺の心に少しづつ、ゆとりが出来て来た。
「ダーリン。斎藤さん、なんかおとなしくない?」
言葉を刻むように単語を並べた感じ。俺は廊下の壁にもたれながら教室の中の志穂を見た。リュックを枕にふて寝するように自席でうつぶせになっていた。誰もそんな志穂には構わない。気にも掛けない。まるで空気だ。
猫を被っていた時代ならともかく「中学時代はあんなだったよ、夜遊びが過ぎて学校ではいつもアレ」とそんな姿を見た桜花は肩をすくめて言っていたのを思い出す。
やさぐれた見た目になったとはいえ、寝取られ騒動で少しは反省してるだろうから、夜遊びはないと思う。気になったのは俺と琴音の違和感が一致していたこと。もしかしたら、麻利衣のことが気になったのだろうか。
元妹とはいえ長年姉をやって来たのだ。運動が出来なさそうな麻利衣が、超強豪校の女子バスケ部に強制入部なんて、終わっている。
「麻利衣のこと、心配してると思うか?」
「私も最初そうだと思ったんだけど……さっき見事に足蹴にしてたでしょ」
「折れた方の腕もな、迷いなく……ないか、それは」
「ないわね」
考えるまでもなく、あれだけ正々堂々と義理とはいえ姉を罠にハメたヤツだ。麻利衣の最悪な性格が1週間程度の停学で治るわけがない。
それどころか、学校側から禁止されていた俺への接触を、復帰の朝に堂々とやってのけた。俺たち以上に麻利衣を知る志穂が、懲りてるなんて思ってるワケないか。じゃあ、強制入部を悲しむハズもない。
「ダーリン。おかしなこと言うけど、聞いてね。私もたぶん佐々木さんも、どこかで斎藤さんが羨ましいの」
「羨ましい? アイツが」
「うん」
琴音は頷いて窓の外を見た。一筋の風が流れ、琴音のきれいなおでこが全開になる。風を厭うように髪をかき上げた左手が妙に夏っぽかった。目が合った瞬間恥ずかしそうにする仕草が、印象的だ。
きっと俺はこの先長い間この表情を忘れないだろう。風に揺れたかんざしのせいかも知れない。黒髪の間から見える白いうなじに触れてみたくなる。いまそんな事していい時じゃないけど。
「何が羨ましい?」
「ん……実はあまり言いたくないの。そのことを認めるのもだし、ダーリン自身が気付いてないことを気付かせるきっかけになるかもだし」
「そうなんだ。でも教えてくれるんだろ?」
「そうね、ダーリンからの評価あげに余念がない私ですから(笑)」
そう言って珍しく琴音はピタリと腕をくっつけた。こういうボディータッチは少ない。しても袖を引いたり、トントンと指先で肩を叩く程度。
だからもし俺が白いうなじに触れようものなら、どんな表情をするだろうか。ホントに今考えるとこじゃない。でも……
「それで? 志穂の何が羨ましい?」
「あんなことして、大騒ぎになってもまだダーリンの心の中に住み続けてること、かな? ごめんなさい。嫌味に聞こえるわね」
俺は否定し掛けた言葉を飲み込む。ここで否定したら、琴音がようやく口にした言葉を飲み込ませることになる。そうなれば、この先続く言葉は永久に失われてしまう。
そういう負の積み重ねを後悔する日が来るだろう。俺はもしかしたら、寝取られたことで少しだけ成長したのかも。いや、ひょっとしたら周りに成長を促されたのだろうか、もっとしっかりしなさいよと。
「そう見えるか?」
「ん……見える時もある、かな? 曖昧な言い方にしたのはね、認めたくないから。あんなことまでされたのに、私たちが孤立しないようにって言っただけで、ダーリン、これだけ世話を焼くんですもの。羨ましくもなるわ。ヤキモチかしら(笑)嫌になっちゃう」
「正当な権利じゃない?」
「あら、そんな権利、私に与えていいの? 乱用不可避なのに(笑)やっぱりダーリンは優しいわね。この優しさは得難いし、毒にもなるのよ。中毒性がすごいもの(笑)」
くっついた腕とは反対の手でつねられた。はた目にはくっついてるようには見えない。一応配慮してる。恐らく桜花の手前そうしてるのだろう。クラスではそんな遠慮しないのだけど、他のクラスの生徒の前で公然と、桜花に対抗してる空気は出さない。
学校のトップカーストの桜花への気遣い。口では絶対言わないけど、恋のライバルの桜花を好奇心の目に晒させたくない思いから。俺が優しいんじゃなくて、お前が優しいんだろ。
ここまで聞いてほんの少しの違和感というか、あることに気付いた。志穂を羨ましいと思うのと同じくらい、志穂がふたりを羨ましがってる点。志穂との会話の言葉尻に感じることを言葉にした。
「斎藤さんが私と佐々木さんを羨む? それはダーリンとの距離感のことかしら?」
「ん? それはあんまりかな……そこは『割って入ったらいい』くらいに考えてると思う。そこじゃなくて、木田以前の問題というか……」
「経験ありってとこ? それはそうかも知れないけど、佐々木さんは知らないけど、私からしたら軽い劣等感でもあるんだけど」
「そこは劣等感に感じないで欲しいなぁ、俺も同じだし」
「そう? でも、こういう部分なのよねぇ。ダーリンが優しいと思うところ」
「『こういう部分』がわからない」
「経験がないのが、悪いことじゃないって言葉にしてくれるでしょ。私も佐々木さんんも、もし変な方向に拗らせたら『斎藤さん経験があるから、いいのかぁ、経験ある方がダーリンの好みなのかなぁ』になるじゃない?」
「ヤバいなぁ……危うくお前らも誰かに寝取られるとこだった(汗)」
「またそうやってすぐおどける(笑)そんなことしないけど、突き詰めればそういう発想もあるかもと、軽くクギを刺しておこうかしら(笑)つまり、斎藤さんは私たちが経験がないのを羨んでるのねぇ。わかんないものね……」
ここで会話をきれいに終わらせることも出来た。そうしたらきっと琴音は『あのかまってちゃんを、ちゃんと構ってあげてね』と言うだろう。
でも、それでいいのか? 言ってるのではなく言わせてるのではないのか? そういうのはこいつにも、桜花にも精神衛生上よくないんじゃないか。我慢させてるんじゃないか。
いや、我慢させてるだろ。こういう傍目というか、少し
でも現実は違う同時進行なんだ。木田のこと。どんな言い訳を俺が自分自身に言い聞かせても、変わらない。並行して同時進行で現実世界で起きたこと。
そしてそれは事故ではない。志穂が判断して同意して木田と関係を持ったのだ。それは変わることはない。
だからこの会話をきれいに終わらせるのは、琴音に対して不誠実で、不真面目で、してはいけない事。だから俺は決めた。
この目の前の俺のためには、平気で火中の栗を拾う女子に誠実にあるために。もう『構ってあげてね』なんて口にしないで済むように、そんな気を使わさないで済むような世界にするために、俺は言葉を重ねた。
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