第11話 恋する狂信者。

 結局、志穂は移動教室に現れなかった。授業が始まる前に担当教師に木田が告げた。志穂が保健室に行くということを。それを聞いていたクラスメイトからざわめきが起きた。


 クラスメイトからしたら、一連の騒動があったのに、まだ関係を続けているのかという驚きの声だった。


 しかしクラスメイトのその反応が、どうやら木田の自己顕示欲を満足させたらしい。前髪をかき上げながらチラリと俺の方をみた。


 俺はどうだったか。もちろんざわついた。俺の中のもうひとりの俺が、いつまでこんなひょろいイケメンにデカいツラさせておくんだと叫ぶ。


「嫌な奴だなぁ。アピってるぜ~~梶っち、ああいう大人になっちゃダメだぞ」


「ははっ……殴りてぇ…」


 俺の中のもうひとりの俺の感情を読んだのか、ミキティーナはクギを刺してきた。本当に刺すべきは木田じゃないのか、言葉ではなく物理的に。


「それ、佐々木に止められてるだろ。あーしも、あんなヤツのために梶っちが怒られるのはヤダなぁ」


 ここでも正論か……心配してくれるのは有り難い。でも、このままじゃ俺の感情やら心が先にヤラれそうだ。でも、心配してくれてるのはわかる。それを支えに何とか息が出来てるのも。


 化学実験室。


 教科書を忘れたことになってる俺は、化学実験室の長く広いテーブルにも関わらず、ミキティーナこと楢崎実希菜に、くっつくように座っていた。いや、実際に腕と腕は当たり前のように触れていた。乾き切った俺にはこういうのだけでも救いだ。


「あのさぁ。梶っちが望むなら」


「うん」


「授業終るまで、手握っててあげようか。あーしでいいなら」


 ダメな俺はミキティーナのお言葉に甘えた。どうやら現実はまだ生傷らしい。生傷だからって、誰でもかれでも寄りかかっていい訳じゃないが、ミキティーナの優しさを振り払う勇気もない。


 心底、俺は寝取られる程度の男なんだと実感してしまう。実際それだけじゃない。心では志穂を軽蔑しているが、視線は志穂を探してしまう。


 化学実験室での志穂の席。


 そこに収まるだろう彼女の姿。髪をかき上げる仕草。不意に視線が合った時の弾けるような笑顔。そのすべてをまだ好きだった。今朝まで楢崎さんと呼んでいたミキティーナの手を借りながらも。わかるだろ? 正真正銘ダメなヤツだ。


 まったく集中出来ないまま、化学の授業が終わった。俺はミキティーナにお礼を言い、トイレと言って先に移動教室を出た。ここまでして貰いながら、ひとりになりたかった。ミキティーナのせいじゃない。


 息苦しい、うまく呼吸が出来てない感じ。それでも、これ以上心配を掛けたくない俺は……空気を読まなきゃの俺は、言い訳が必要だった。佐々木に、琴音に、ミキティーナに。ホントはいらない言い訳を考えていた。


 ひとりになった言い訳が必要だった。誰も求めてない言い訳が、必要だと感じた。もしかしたら、こういう人の顔色を伺ってしまうところが、志穂は嫌だったのかも。だから捨てられた。だから寝取られた、だから、だから、だから……


 本当に嫌になる。何でもかんでも、志穂、志穂だ。何なんだ? 


 俺の人生は志穂なしでは回らないのか? 実際俺は昨日までどうやって、学校で生きていたんだ。それすら覚えてない。俺はひとりになりたかった。でも、学校でひとりになるなんて無理だ。


 気付けば俺は食堂の前まで来ていた。そう言えばいい訳が欲しかった。委員長、和田琴音に、1限目のノートと引き換えにジュースを要求されていた。本気じゃないだろう。


 渡さなければ「ドケチ」と罵る口実が欲しかったんだろう。無難に俺をいじれる口実が。


 そうか、俺だけじゃないんだ。みんな誰もがいい訳を必要としている。ひとりになる言い訳、人と繋がる言い訳、人を嫌いになる、言い訳を。


 意味もなく食堂まで来て、この事に気付けただけでも成果だ。俺は琴音にイジられる材料を作るために、要求されたバナナオーレではなくイチゴオーレを買った。そう、俺はただ誰かに、今は琴音にイジられたい。構われたい一心でイチゴオーレのボタンを押した。


「やるわねあなた、いえ素直に認めましょう。


 俺は今朝から佐々木たちがたむろ場所にしている自席に戻り、そこで琴音にイチゴオーレを手渡した。佐々木とミキティーナ、高坂もいた。


「佐々木さん。なに変な顔してるの。そうか、恋して美しさを増した私に見惚れているのね、仕方ないわ。特別よ」


 そう言って華麗な手つきで琴音は眼鏡を外した。眼鏡キラ~ン! みたいな感じで。まるでイケてるお姉さんがビーチでサングラスを外すように。露わになった素顔。眼鏡越しでも端正な顔立ち。眼鏡を外すと意外にも少し幼く見えた。


「いや、委員長。それどうでもよくて、さっき梶に言ったわよね『素敵よ』って。なんで? 確か委員長が要求したのはバナナオーレで、梶が買ってきたのはイチゴオーレ。しかも昼休みに欲しいって。いつもの委員長なら蔑んだ目で睨まない?」


「佐々木さんの良く気付いたわね、感心したは。もう脱帽よ。つまりは揺さぶりよ。私が求めている物を、求めてる時間に用意するなんて退屈の極み。その壁を、いとも簡単にぶち抜いてきた。素敵以外ないわ」


「いや、和田っち帽子かぶってねえし(笑)」


「あら、そうでした。失礼、失礼。それと、確かに私、今朝ノートの代償にバナナオーレを要求したわ、佐々木さんが指摘するように昼休みに。でも、梶君? 淳之介君……淳之介さん……彼……? ダーリン? そうダーリンは、イチゴオーレを昼休みではなく2限目終わった休み時間に汗をかいてまで買いに行ってくれたわ。素敵」


「おい、委員長。今のなに?」


「今のというと? 佐々木さん。抽象的過ぎてご指摘箇所がわからない、ダーリンは素敵」


「いやそこじゃねえし! わかるだろ? 梶の呼称! 何で梶君で始まって最終ダーリンで落ち着いた? いや、その1歩手前の『彼』で悩んだのも大概なんだけど?」


「あら気付いたのね。そうね、実は私も気付いたの。気が付いたら自然にダーリンのことを『あなた』って呼んでたの。ハイソな私が男性を『あなた』と無意識で呼んだ、これはつまりとしての『あなた』であって、行きつく先は婚姻関係なの。幸いダーリンはこの週末、我が家で両親にお披露目が決まってるのは周知の事実」


 佐々木は半開きの口で呆れ顔のまま俺を見て、指先で俺をツンツンした。


「梶、あんたさぁ、いい加減何か言い返さないと、来週にはが爆誕してるわよ、さっさとこの何処でスイッチが入ったかわからない、恋愛暴走機関車止めなさいよ……なに、あの委員長のはにかむ仕草、今のどこに恥ずかしがる要素あった⁉」


「いや、まぁ、これはこれで面白いかと……思わない?」


「思わねぇよ! 梶っち! お前、、無駄に心広くしなくていいんだぞ?」


「酷いなぁ、ミキティーナ。俺はいや、拙僧はこの機会に仏門に――」


「なにで出家しようとしてるかな! 高坂あんたも見てないで、梶止めて!」


 これだ。このドタバタ感の中にいられたら、それだけで俺は救われる。だから俺はほんの少し油断した。


 ほんの少しだけ気を抜いた。でも自分の心の傷はまだ応急処置をしたばかりで、ちょっとのことで痛みを感じる。そして回らないはずの思考なんだけど、勘だけはやたら冴えていた。


 このクラスメイトの女子が俺に来客を告げた時に、何もかもが繋がった。










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