第17話 軍師立つ。

「志穂」


 俺は不意にもう一度、その呼び慣れた呼び方で呼んだ。意味があるのかないのか、自分でもわからない。


 わからないけど、どうしようもなく、このメスガキ麻利衣の恍惚とした顔に、煮え湯をぶっかけたい気分だった。きっとゆでだこみたいになるだろう。まぁ、単に未練がましいだけで、その言い訳にこのメスガキを使ってるだけかもな(笑)


 自虐はさて置き……志穂が不憫だった。堪らなく不憫に思えた。もし俺が寝取られのことを知らずにいたら、志穂はこんな思いをせずに済んだのでは、そう思ってしまう。


 間違えた考えなのはわかってる。でも油断したら自分を責めてる。志穂にこんな思いをさせてるのは自分だと。だけど実際は違う。志穂が嫌な思いしたくないなら、他の男とラブホに行かなければいい。


 なんなら、俺と付き合わなければ、誰とラブホに行くのも自由だった。難しいことなんてなにひとつない。それでもこの生意気なクソ妹に、いいように言われてる志穂が不憫で堪らなかった。見下されてる志穂が嫌だった。


 でも、だからか。俺の一時の感情が志穂に誤解を与えてしまう。期待させてしまう。許してもらえると、誤ったメッセージを送ってしまう。


「え……っ」


 何かを期待して驚きの表情で顔を上げる志穂と、いい感じに中身同様、醜悪に歪んだ表情で麻利衣は俺を二度見した。姉は暗闇に希望の光を見つけた表情をし、妹はしぶといゴミ虫を見る目で姉を視界にとらえた。


 残念だ。本当に、残念だ。


 こんなことがなければ、こんな妹がいなければ俺はどうにかして落としどころを探して、志穂を許していただろう。でも、それでもそれはきれい事。


 一時の感情で許しても、ひとりの時間になれば彼女を疑い、ありもしない妄想に苦しむだろう。いや、さえわからない。そして『まいん』の既読が付くのが遅いことにイラ立ち、不機嫌な時間を送るのだ。


 人は本気で誰かに何かを隠そうとすれば、隠せるだろう。事実今回もそうだ。学校の裏サイトがなければ、このメスガキの暗躍がなければ表面化してない。


 裏サイトの犯人なんて最初からわかっていた。目的は犯人探しと見せかけたトドメであり、この姉妹との永遠の別れ。


 何よりこのメスガキに対するざまぁは、今までやらかしてきたのとすべて明るみに出し、暗黒の高校生活にしてやりたい。


 今回の事「学校の裏サイト」に動画という形で現れなければ、志穂は普通に俺の隣に立ち、そして木田とラブホに消える。志穂は木田との関係に気付かない俺に、どこかでホッとし、いつか侮るだろう。


 そしてたぶん、俺は徐々にその侮りさえ受け入れてしまう。そうなれば、なし崩しで麻利衣との関係改善を求められ「いつまでも過去に囚われたつまらない男」のレッテルを貼られる。


 俺に必要なのはなんだろう? 踏み出す勇気とか、志穂の浮気を受け入れる寛容さだろうか? 


 いや、実は浮気相手は俺の方で木田が本命か。そんなことを一瞬考えてしまった。自ら心を揺さぶってしまった。簡単に敵に隙を作ってしまった。


「お兄さん、未練ですか? もういいじゃないですか、こんなお股ガバガバな女(笑)それにしても、ヘンですね~~寝取られ女はまだ名前で呼ぶのに、清廉潔白な私は『妹さん』扱いですか? 納得いきませんねぇ~~お気に召しませんでしたか? 私の毛。おかしいですねぇ~~ご褒美だと思ってくれてるのかと(笑)JKですよ、JK!」


『キモい!』『マジありえない……』そんな言葉がクラスに充満する。その言葉を麻利衣はひとつ、ひとつ吟味するように『ふむふむ』と頷きながらクラスを歩き回り「やり過ぎましたか」と独り言。高坂のスマホをとびっきりの作り笑顔でのぞき込む。


「うわぁ~~凄いですねぇ、最近のって、こんな人を陥れる映像も作れるんだぁ‼ びっくり! もしかしてAIですかぁ~~嫌だなぁ、こんなの作ってお兄さんと私の仲を裂こうだなんてぇ~~こんな画像まで用意してお兄さん洗脳するなんて、高坂さんって悪い人、?」


 まるで劇場の舞台に立つように手を広げ、観客に語り掛ける。いちクラスメイトなら、麻利衣の感情のこもった演技に飲み込まれてしまうところだが、当事者はそうはいかない。


「あんた、なに? もしかしてに出来るとでも思ってる? バカじゃないの? 散々梶の育ての親だの、授乳だとか語った後で?」


 佐々木が堪らず割って入る。


「いえいえ、事実育ての親ですし、授乳をしましたから(笑)だからっていう、私への? あと手の凝ったお兄さんへの洗脳をですねぇ、です、よっ‼」


『よっ‼』という声と共に、麻利衣は高坂のスマホをクラスの女子の手から奪い取りなんの躊躇も迷いもないまま、床に叩きつけた。硝子の砕ける音、スローモーションで床から跳ね上がる、見慣れた高坂のスマホを麻利衣は念入りにその足で踏み砕いた。


 狂気。言葉では完全に理解できてなかった。俺や、高坂の話、そしてイカれた麻利衣の言動も次元が違い過ぎて、ドラマや映画の話でもしているかと、錯覚していたクラスメイトに、これが目の前で起きている事実だと理解するのに十分だった。


「あらあら、こんなつまんない捏造するから、壊れちゃいましたよ(笑)? 高坂さん、猛省してくださいねぇ?(笑)」


 そう言って嘲るように鼻で笑い、興が乗ったのか麻利衣劇場は続いた。


「そもそも、が存在したかどうか、証明出来ないじゃないですか? 捏造された忌まわしきデータはもうこの世界にはない。お兄さんはを食べたと言いますが、私はそんな毛入り自体作ってませんよぉ。それはお姉ちゃんも知ってるよね? お姉ちゃんも食べたんだからぁ(笑)」


「梶にだけ入れて、澤北が食べたのには入れてないだけでしょ‼ 子供か! バカ‼」


 佐々木の反論は正しい。実際そうだろうが、人を陥れるという狭い分野において、このふたりはあまりにも役者が違う。幼子と悪女では勝負にならない。いや、勝負の舞台に迂闊に上がってラッキーパンチを貰う程、この悪女は優しくない。


 麻利衣は佐々木の言葉をさっと笑顔で流し、自分の主張を展開する。佐々木の指摘通り確かに子供だ、質の悪い子供。


「ほら、言うじゃないですか? 、確定されないとか、どうとかって。だから、半分の可能性でお兄さんはを食べて、半分の可能性で、そんな妄想チョコは食べてない。確かめようがないの! ねぇ、お姉ちゃんもそうじゃない? 、こ~~んな安物のイケメンに半分の可能性で股開いて、半分の可能性で股開かなかった重ね合わさった状態が存在するの! お姉ちゃんはとしても(笑)観測されてない以上、確定されない! いい妹でしょ?」


 そして感極まった麻利衣は笑い声を押し殺して、床を叩きながら爆笑をした。その時だ。あまり聞き覚えがない声、透き通った声。強くはないが、臆する事ない声と共にある女子が静々とその足を進めた。


「では、の理論だと『月は見上げてる時にだけ存在する』という話ですか? これはであって、個々のです。つまりが梶氏に陰毛チョコを食べさせたことも、澤北さんが……第三者とそういうをしたのも確定されてます。観測の問題で、行動自体は確定してます。高坂君、こんなつまんない娘を相手させるために私を引き込んだのですか? 不本意ですが、このさんの言葉通り猛省してください」


 そこにはいつも自席で本を読んでる、情報処理部の古賀さんがつんと唇を尖らせて不機嫌に立っていた。




















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