第48話 大丈夫です。

 書斎と聞いていたが、想像していたのと違う。大量の専門書、溢れる資料に積もったホコリ。そんなのを想像していたが、部屋は至ってシンプル。白を基調にしたPC周りは清潔感溢れていた。窓辺にはハーブの鉢植えがあり、接客用のソファーはやや硬めだけど座りやすさを考慮した結果だろう。


 事前に琴音がお母さんに伝えてくれていたおかげで、俺は説明しなくて済んだ。お母さんは俺にもわかる資料をモニターに映し、色んな可能性を説明してくれた。さっきまでリビングで接していた同じ人とは思えない雰囲気。医師の顔だった。


「恐らく精神的な問題だと思うの。その辺りを詳しく聞きたいんだけど、その梶さん自身が原因だと思った出来事とか、気付いたこと。その……まったくうまくいかないのか、そうでもないのか。どういう時そうでもないとか」


 お母さんは精一杯ぼかして言ってくれてるけど、この質問に対して俺は何をどう答えたらいいんだろう。少し目をつぶって考えをまとめた。


 ***

(何って、母として当然の権利でしょ? 知ってる? 女医シリーズは高校男子の永遠の憧れなの!)


(いやいや、女医である前に私のお母さんだから。変な目で見ないでよ)


(何言ってんの? お母さんの問題じゃないわよ、梶君も男子高校生なのよ! どうすんの、とかに憧れてたら‼)


(あの、斎藤さん。親子丼なにがダメなんです? おいしいじゃないですか)


(もう、関さん。あなたが言ってるのは鶏肉に卵どんぶりでしょ?)


(他にどんな親子丼があるんです?)


(母娘版‼ ある意味いろんなの感じよ!○○が○○で○○なの!)


(斎藤……いくらなんでも、それはないよ。お母さんきれいだけど、梶だよ? ヘタレだよ?)


(バカね、ああいうタイプが年上にコロッと持ってかれるのよ! なんだっけ? 幼馴染の……)


(来島先輩?)


(そう! 絶対、梶君好きだよ、逆も! そんな訳で目が離せないの! 嫌なら委員長だけリビングに戻ってて!)


 ***

「その……質問いいですか?」


 私たちは……正確には斎藤さんが巧みな技で、音を立てずにドアを少し開けた。顔一つ分入るくらい開いて4人が頭を重ねる。

 まるでトーテムポール。ちなみにここからは『ビッチシスター』長女こと関榛那はるながお伝えします。只今、梶君が行儀よく小さく挙手して質問するところです。


「なに?」


「その……薬とかあるって聞いたことあって……」


「あるわ。でもその……『勃起不全』の診断をしないと」


(勃起……不全⁉ 梶君が?)


(斎藤。その勃起不全ってなに?)


(何って……委員長に聞いて!)


(斎藤さん、それあなたの専門分野でしょ)


(皆さん、声!)


 私は「しーっ」と指を立てた。


「診断ですか?」


「そう、この場合……触診が必要なの」


「触診って……」


「そう、その……梶君のを触らないとなの」


(委員長、あんたのお母さんナニ触ろうとしてんの! 職権乱用じゃない!)


(医療行為よ、仕方なくない? 知らないけどそういう決まりがあるなら)


(その、皆さん……『ナニ』とはなになんでしょう?)


(関さん、それは……斎藤さん、お願い!)


(はあ⁉ あんた達さぁ、高2でしょ? 私なんか中2の時には……)


(斎藤、能書きいいから黙って!)


「それに、未成年には処方するのは違法じゃないけど、推奨されてないのよ」


「そうなんですか……」


「うん。まだその精神的にも肉体的にも未熟でしょ? だからいきなり薬とかじゃなくて、カウンセリングになると思う。受診も保護者の同意書が必要だったり……」


「そうなんですか……」


「だから、診察とかじゃなくて、娘のお友達として相談に乗るって形ならどうかしら?」


「いいんですか?」


「いいわよ。元々専門外だし、その……人に話して楽になったら改善するかもだし、肩の力を抜いて話してみて。そうね……その原因になる出来事とか、最近ショックを受けた事とかない?」


「ショック……」


「そう。なにかない?」


「聞いてませんか、その娘さんに?」


「知ってるみたいだけど、言葉を濁すの」


「そうですか……」


 思い当たる節なんてひとつしかない。琴音もすぐにわかったからお母さんに言葉を濁したのだろう。ここ最近でショックだったことなんて、志穂の裏切り。寝取られ以外あるワケない。しかも、その相手はクラスのイケメンで、その後も同じ空間で息をしないといけない。


 桜花たちがいるから、なんとか正気を保っているが実はそこまで平気じゃない瞬間もある。フラッシュバックと言えば聞こえがいいが、麻利衣の『ハメ撮り』というキーワードが未だに脳内で繰り返される。


 桜花たちがいてくれるから助かる反面、暗い顔出来ない重圧もある。うかつな感情を顔に出せば敏感なミキティーナが気付いてしまう。贅沢なことを言っているのはわかる。気付いてくれる人がいてくれるだけで、全然違う。


 だけど、中には誰にも解決できない問題もあって、起きてしまった過去の事、変えられない事実に気付いてくれても「大丈夫だから」と強がるしか出来ない。結局のところ、本当の意味で立ち直るのは自分自身が強くなるしかないのかも知れない。


 俺はここまで親身になってくれてる琴音のお母さんに今更何を隠すんだという気持ちになっていた。もう恥ずかしい内容の8割は言っている。付き合ったばかりとはいえ、彼女のひとり……特に仲がいい女友達という意味だけど。


 医師とはいえ、その琴音の母親に「立たない」「立ちにくい」などと、口に出来ない個人情報を明かしてるのだ。これ以上なにを恥ずかしがる必要がある?


「その……言いにくいことなんですけど」


 そんな前置きをして、志穂のこと。麻利衣の『学校の裏サイト』のこと。麻利衣に脅されて毛入りの『汚チョコ』や『毛入りコーヒー』を飲まされ続けたこと。最終、その志穂に裏切られ、クラスメイトに寝取られたこと。それが学校中に知れ渡って、琴音をはじめ仲間に助けられてる事実を淡々と話した。


 最初はメモを取っていたが、ある程度のところでお母さんの手が止まった。記録に残すのが不憫に思えたのだろうか。

 最近、少し痛覚がおかしい。麻痺してる。麻痺しておかしくなってるにも関わらず、俺は無謀にも自分のことは余り優先しないで来た。志穂が孤立してないか、両親の離婚後平気だろうか。もしかしたら、離婚の引き金を引いたのは間接的に俺だったのではないか。


 そんな心の奥底に沈めていた感情までお母さんに話した。話しながらでも感じた。こんなこと聞かされて迷惑じゃないだろうかと。いや迷惑じゃないわけないだろうって。

 だから俺はここでも落としどころを探し始めていた。どう言えばきれいにまとまるか。どんな表情で言えば、心配掛けないで「大丈夫です」と伝えれるか。そんな都合のいい言葉と、感情を探した。


 それはきっと無駄な努力になるだろう。相手は大人で医師だ。数え切れないほどの患者さんと向き合ってきただろう。俺が付く浅い嘘や、取り繕う態度なんて手に取るようにわかってしまう。だけど、そうなるとわかっていても俺は演じた。まるでそうする事が最適解だと信じているように。






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