第16話 ただの仲よし。
「でもよ……? でも、逃げられるよね? その……澤北さんに言えなくても、走って逃げちゃえばよかったんじゃない? 梶君、帰宅部だけど走るの速いし……」
関さんは申し訳なさそうに、探るような目で言葉を求め声にした。その声には恐れがあった。自分の意見が間違えているのではないか、そんな疑問が大量に含まれていた。
声に、言葉にせずに黙り込んで逃げることは出来たはず。でも彼女は逃げなかった。それが彼女の人としての誠意で、俺に対する姿勢。だから、彼女は俺の仲よしで心から信用できる友人。
表面を取り繕うのではなく、わからないことをわからない、理解できないことを理解できるまで、時間と労力を掛けてくれた。そんな友人がひとりでもいる。もうそれは人生で勝ちを収めたと言っていい。
だから、そんな彼女だからこの先に待ち構える、答え合わせに心底動揺し憤り、自身の柔らかい心の皮膚を掻きむしることになる。俺の為に。
「関ちゃん、僕も最初ね同じ事言ったよ『ジュンなんで逃げないんだ、言いなりになる必要ないだろ』ってね」
「そ、そうよね。最悪後で澤北さん、お姉さんにチクるとか……? 愛莉センパイに相談するとか」
「だろ? でもね、このメスガキ。おっと、失礼。ジュンにこう言ったんだ『目の前で食べないと、お姉ちゃんに言いつける』って」
「こ、高坂……なによ、言いつけるって?」
「佐々木ちゃんか……暴れるなよ。温厚な僕でもマジ切れしたからな? えっと『無理やり暴力振るわれたって、襲われたってお姉ちゃんに言いつけるから!』だったか。ジュンがそんなことするわけない。過去形だけど、どんだけ澤北ちゃん好きだったか、わかるでしょ。その妹さんに無理やりするはずない。バカな子だよ、まったく……そんなこと言って自分になびくハズない」
「でも……でも! そんなの……証明出来ないよ! 梶君の立場になったら何もしてない証明なんて出来ない、冤罪だけど、証明出来ない‼ 私は信じるよ! 1ミリも疑わない! 梶君優しいし、そんな事する子じゃないよ! でも、大好きな人にそんなウソ言われたら……誰だってビビるよ……この子……畜生、最低だ」
ダン。関さんは思いっきり自分の太ももを両の拳で、腕で手加減なく殴った。それはまるで、俺の本当の痛みを理解出来てない自分への戒めにも、俺との痛みの共有にも見えた。
仲はいい。
挨拶もする。バカな話も、たぶん他のクラスの女子に比べたらする方だし、廊下で会ったら教室まで一緒に来たりで、もしかしたら今朝まで、佐々木よりも話すこと多かったかも。何回か一緒に食堂でメシを食ったこともある。
だけど、学校の中だけの仲よしの関さんが声を荒げて泣いている。その涙を見て俺もなんでだろう、涙が出た。ただの仲よしのために、関さんは泣いてくれた。
恥ずかしい訳じゃないけど、俺は雑に手のひらで涙を拭った。前に進まないと、この学校の中だけの仲よしと、またこれからもバカ話をするために。また学食で笑いながらメシするために。
高坂の話は続いていた。しかも志穂に対して。
「澤北ちゃん、顔を上げて。まだあるんだから。悪いけど君には聞く義務がある。そうだなぁ……こういうのも知ってる。ジュンが君の家に行ったとき、飲み物って妹さんが用意してたんだよね?」
「え……うん。麻利衣がしたいって」
「それね、毎回、毛を入れてたの。1本。飲み終えるまで目の前で見てて、ジュンが嫌がったら……わかるよね? 同じだよ? 脅して飲ませて……これさ、もう完全に暴力だよね? 覚えてない? 君が夕食に誘ってもジュンさ、僕と約束あるからって断ってたでしょ? だって固形物だよ、食事って。何入れられるかわかんないでしょ? ちなみになんで知ってるかって言うと、僕とメシ言ったことにしないとマズいでしょ? アリバイだよアリバイ」
「……ごめんなさい」
「いや、僕に謝られても。でもさ、ないのわかるよね? 復縁。実際頑張ったと思うよ、ジュンは。君が寝取られなんかしなきゃ……まぁ、僕的にはありがとなんだけどね。だってさ、親友をイバラの道に進ませたくないじゃない。たまに遊んでも楽しくないだろ? 落ち込んでる姿見たら」
気丈に立っていた志穂だったが、支えなしでは立っていられない程の衝撃を受けていた。抱えられない程の負の情報にめまいを起こした。
だけど、ふらつく志穂の肩を支える者は、誰もいなかった。そこはお前だろとイケメンの木田を見たが、顔面蒼白で目すら合わさない。それどころか念仏のようにブツブツと独り言を繰り返した。
その気持ちはわからないでもない。こんなサイコな妹がいる姉と関係を持ったら誰でもそんな反応になる。支える者がいないまま、志穂は床にぺたりと座り込んだ。いつもなら俺がと思う。ここまで追い込んでおきながら、かわいそうだという感情が残ってる。情緒不安定か、俺。
どうしようか。まだ序の口なんだけど。しかし、俺のその感情に一番近いのは意外にも麻利衣だった。この機会に、目の上のコブ志穂を再起不能に陥れる気満々な表情。下卑た笑顔で座り込んだ志穂を見下す。だけど、先に口を開いたのは姉の志穂だった。
「あんた……梶君の育ての親ってそういう事なの?」
「お姉ちゃん、そういう事じゃわからないよ~~ちゃんと言ってよ、ちゃんと!」
志穂は力なく首を振る。もう気力もない。元々色白な肌が陶器のように真っ白で、体温を感じない。完全に血の気が引いている。だけど、最後の気力を振り絞って顔を上げ、言葉を発した。その声は何かを覚悟した声だった。
凛として透き通っていて、ここに来て力強さまで感じた。
「自分の毛で育てたって事が言いたいの?」
「そうよ、なんだわかってるじゃない。私の毛はね、いまお兄さんの体中をめぐって、細胞のひとつひとつを形成してるの! すごくない? いま目に見えてるお兄さんすべてが、私の毛を栄養として出来てるの! まさに愛の授乳よ!」
恍惚。その言葉に尽きる。自己陶酔。自分に酔って頬真っ赤に染めていたが、ここにいる誰もが苦い顔をした。無意識で麻利衣の陰毛を、自分の口に押し込まれる想像をしてしまったのだろう。
慰めになるかわからないが、想像で済むなら幸せだ。俺はそうじゃない。
「何が授乳よ。脅して与える授乳なんてこの世界にないわ。梶君、本当にごめんなさい。謝っても謝り切れないのは、うん。わかる。でも、謝りたい。それとね、こんなのがいる私の傍にいてくれて、ありがと。知ってるでしょ……私も偉そうな口きけないんだ。なんで、こんなことしたんだろ。後悔は……うん、してるけど。私は梶君に相応しくなかった。ずっと、彼女したかったけど……未練がましくてごめん」
うなだれる志穂の肩。駆け寄って許してしまいそうになる。
もし、ここで彼女が「あれは冗談だよ、手の込んだどっきり! ごめんね~~でも、そんなワケなくない?」と笑ってくれたら。これまでずっと騙してきたのなら、いつもみたいに上手な嘘をついてくれたら、俺は……
だけど、現実は残酷で、俺のささやかなセンチメンタルを許してくれない。教室には押し殺した笑い声が静かに響き渡る。
「ようやく? ようやくなの? お姉ちゃん、ようやく負けを認めたのね! はははっ、そりゃそうだ! だってそうでしょ? こ~~んな安物のイケメンに簡単に股開いちゃうお姉ちゃんと、育ての親の私じゃ勝負になんないわよ、ねぇ~~お兄さん?」
そのルートだけは絶対ないだろうと、クラスの誰もが思った。
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