第23話 命令


「私の、せいか……?」


 ようやく絞り出した声に、アリシアの瞳が大きく見開いた。


「私、言ったよね。早くトランに戻ろうって。間に合わないかもしれないから、一刻も早くトランに戻ろうって」


 私の視界が、ぐらりと揺れた。


「あなた、私を止めたよね。間に合うからって。……どうしてあの時私を止めたの?」


 トランがいつこうなったのかは分からない。けれどまだ、灰の匂いが漂っている。もしあの時戻っていれば、間に合っていたのかもしれない。


 ここにきてようやく私は確信した。

 ……アリシアはずっと正しかったのだ。甘い判断をしていたのは、ずっと私の方だったのだ。


「そもそも最初からそうだった……奴隷解放戦線に疑われたのもあなたがいたからじゃない」


 確かにあれは、私がいたから起きたことでもあった。ただ、


「私だって、好きでこの村にいたわけじゃ……」


 私は次の言葉を飲み込んだ。

 アリシアの反応が分かっていたからだ。


「私が悪いっていうの!? あなたをこの村においた私が? 私は……」


 アリシアは力なく膝をついた。


「私は、ただ、村を守りたかっただけなのに……」


 アリシアが大地に手をついた、肩が小刻みに震え、煤けた大地に涙を落としてゆく。


「アリシア……」


 アリシアの名を呼ぶも、何と言えばいいのか分からない。


「……ええ、そうよ、分かってる。私が悪かったのよ。何もかも私が悪かったのよ。だからもういい、もう疲れた」


 声が震え、言葉が途切れ、小さくなってゆく。


「ねぇ、ルビ、私もういいや。もう疲れちゃった。だからもういいから……死のっか。死んでみんなの所に謝りにいこう」


 アリシアは自分たちの命を絶つことで皆へと贖罪しようとしているようだった。

 けれど、このアリシアの言葉は命令ではない。服従魔法の「命令」ではないのだ。ギリギリのところで踏みとどまっているのだろう。ただ、次の言葉が魔力を込めた本気の言葉でないとは限らない。

 だから……私はそれを止めなければならない。


「どこまで自分勝手なんだよ、アリシアは」


 アリシアが涙にくれた顔をあげた。


「……自分勝手!? 自分勝手ですって!? 私は、ただ……みんなに謝ろうと……」

「謝る? だったら謝り方が違うだろ!」


 アリシアの身体が震えた。


「今のアリシアは、自分が楽になりたいから死にたいって言ってるだけだ。こいつらの気持ちなんて考えちゃいない。本当に謝るつもりなら、こいつらの気持ちを汲むべきなんじゃないか?」


 アリシアが、涙に濡れた目を見開いた。


「アリシアは、「こいつらの願いはアリシアが死ぬことだ」とでも思ってんのか?」


 アリシアの肩が震え、新たな涙が溢れ出す。


「……それに、こいつらの怒りや無念の大きさは、アリシアが一人死んで晴れる程度のものだとでも?」


 アリシアの涙を見つめながら、言葉を続けた。


「違う。アリシアがやらないといけないのは、死んでこいつらに謝りに行くことじゃない。こいつらの気持ちを晴らしてやることじゃないのか?」


 私は、自分の拳を握りしめる。


「……そうだな、まずは砦にいる軍の奴らかな。あいつらを殺るか。あいつらが直接の仇なのは間違いないからな」

「…………」

「もしくは先に奴隷解放戦線でも殺るか? あいつらがこの近くで活動してなければ、こんな事になってなかったはずだ」


 アリシアの身体がピクリと震えた。


「あとは……そうだな、志は大きくって誰かが言ってたな。だったらこの国に仇討ちでもするか。こいつらをこんな目にあわせたこの国に」

「……あなた」

「私はどれでもいい、全部でもいい。とりあえず砦でも襲って終わりにするか? ……でも」


 次の言葉を言うのには抵抗があった。ただ、言うしかない。


「でも、あんたはこの国の王族なんだろ? だったら国の方はあんたにも責任があるんじゃないのか?」

「……っ!」


 声をあげようとするも、喉をつまらすアリシア。

 私自身も思ってもいない言葉だ。詭弁でしかない。けれども。


「アリシア、あんたがどこまで知ってるかは知らないけど、西の方では同じように滅んだ村がいくつもあるんだ。異常気象がきっかけで不作になり、増税されて、最後は治安悪化のコンボだ。もうこの国は民なんて守りゃしない。守るどころかこんな目にあわせてくる。あんたもそれを感じていたから、私をこの村においたんだろ?」

「…………」

「この流れは今後も変わらない。それどころか、さらに悪化するだろうね。このままでは第二第三のトランが生まれるだけだ」


 私とアリシアの間に、冷たい風が横切った。


「こんな中、あんたがすべきことは、一つなんじゃないか?」

「ルビ、もういい!」


 アリシアが、悲痛な声で私の名前を呼んだ。


「もういい、もうやめて!」

「……アリシア」

「だって知らない、そんなの知らないわ! 私にどうしろっていうのよ! 私が王族だから何だっていうのよ!」


 声に怒りが混じってゆく。


「私にこの国を変えろとでも? それとも責任を取って滅ぼせとでも? そんなことできるわけない! 私は何もできなかったんだから! ……今だって、昔だって!」

「できなかったことは知ってるよ! 私だってできなかった。でもだからって、これからも何もしないっていいたいのか? 私はごめんだね、私だってできない事の方が多いよ。不自由ばっかりだ。でも、私だって、ルビ派を殺されてるんだ!」


 アリシアが目を見開いた。


「ヘッドが仇をとらなきゃ、誰が仇を取るんだよ!」


 アリシアの瞳に色が灯る。


「……ルビさん……あなたも、そうなの? あなたも私と同じで、悲しんでくれてるの?」


 私は大きく首を振った。


「違うね、全然違う。気持ちの大きさが全然違う。私がこの村にいたのは、ほんの短い期間でしかない。でも……曲がりなりにでも一時期、私はルビ派の頭だった……だったら仇をとらなくてどうすんだよ! あんたもだ!」


 それまで空白だったアリシアの表情に、意志が宿る。


「ルビさん……」

「あんただってそうだ。あんたが村を取りまとめていた。それに私と違って、あんたと村人たちの関係は本物だった。なのに……悔しくないのか?」

「悔しくないわけないじゃない!!」


 アリシアが立ち上がる。

 おぼつかない足取りで私の元へと歩み寄り、私の首元を掴む。


「私だって出来るなら仇をとりたい! 二度も! 二度も奪われたのよ! そんなの許せるわけないじゃない!」


 一度目は落ち延びてきた時のことだろう。

 私は、私の首元を掴んでいるアリシアの手を掴んだ。


「だったらどうしたいんだ? そのためにはどうする? 目的のためになんだって利用するのが、アリシアだっただろう?」


 アリシアが再び瞳を揺らした。その感情は、動揺か不安か。


「ルビさん……あなた、命令しろと?」

「知らん。ただ……今更なに甘っちょろいこと言ってんだ、と思うよ。あんたが今一番しないといけないのは、覚悟だろう?」


 アリシアが瞳を強く閉じた。浮かんでいた涙がこぼれ落ちる。そして目を開けたとき、アリシアの瞳に光が宿っていた。


「そうね……分かった、私はあなたの主人だもの。私はあたなに命令する」


 アリシアは、私の首元を掴んでいた手を、私の奴隷印の位置へと移動させる。


「私、アリューシア・エルシュタットは、あなたの主人として命じます。……ルビ、あなたに仇討ちを命じます。……皆を奪ったこの国アクトリアを――滅ぼしてくれる?」


 私はアリシアの言葉に、目を閉じた。

 

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